生きる - 関根唯の映画に見つけるfilmical【2】

yui sekine
KYO-SHITSU
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14 min readJun 20, 2019

【Filmical】film : 映画, -ical : 性質を表す接尾辞

filmicalとは、 映像ならではの表現、もしくはそれから生まれる独特な感覚のこと。動きによって生まれるダイナミズムや、空気感、みずみずしさなど、言葉にするときに、こぼれ落ちてしまうような「映画が映像というメディアだからこそ生まれるもの」。このコラムでは、映画の中で、私が見つけたfilmicalを紹介していきます。

※filmicalについての詳細は、本連載の第一回をお読みください。

「古いから見ない」は、もったいない

「監督の名前は知っているけれど、作品は見たことがない。」2018年10月にイギリスのBBCが史上最高の外国語映画の第1位として発表した『七人の侍』の監督、黒澤明の作品が、そのような位置付けにある人も多いのではないでしょうか。現に、私が初めて黒澤映画を見たのは、本格的に映像の研究制作を始めた大学院生の頃でした。それまでは「難しそうだし、白黒だし、セリフも聞き取りづらそうだし、なんだかハードルが高いな……」というぼんやりとした理由で見ていなかったのですが、見始めてみると、そんな曖昧な理由で見なかったことを後悔するほど、面白く良い作品がたくさんありました。優れたものは、作られてから何百年経ってもその良さが私たちにも分かるように、たとえ作られた時代が古くても、良い映画は今に通じる、むしろ現代でもなかなか越えられない良さを持っていることを、黒澤作品を見たことで改めて理解したのでした。今回、このコラムを読む方に、古い作品を見るハードルがあるのなら、それが少しでも低くなれば幸いです。

“アクション映画”ではない映画の、映像ならではの表現とは?

今回はそんな黒澤映画の中でも、『七人の侍』と同じくらい傑作としてその名があがる『生きる』の中に潜むfilmicalを見ていきます。黒澤映画は、よく「ダイナミックな映像表現」と評されています。そう聞くと、殺陣などのアクションのような印象を受けるかもしれませんが(もちろん『七人の侍』での殺陣の撮影や編集は素晴らしいのですが)、『生きる』において描かれるのは、そのようなものではありません。極めて日常的な、私たちの生活の中でも起こりうるような状況設定の中で、見た瞬間にショックを受けるようなものを始め、一見しただけでは気がつかないような細部にまでわたり、映画が映像であるからこそ可能な表現にあふれているのです。『生きる』を見ると、黒澤監督が映画の中の、動きやリズムや音など、あらゆる観点からの“映像での表現”に対して敏感であったことがわかります。

そして、黒澤監督とともに多くの脚本を作り上げた橋本忍は、諸外国の監督やプロデューサーから、作り方にもっとも興味を持たれた作品は『生きる』であった[*1]と語っていました。映画の玄人が制作方法を知りたくなるほど完成度が高く、そしてアクション映画でもない映画に、“映像ならでは”の表現は、どんな風に潜んでいるのでしょうか。

『生きる』について

監督である黒澤明の紹介は、ここでは不要でしょう。今回取り上げる『生きる』は、"あと75日で死ぬ男"というテーマ[*2]を元に、黒澤明と橋本忍、そして小国英雄の三人で脚本を作りあげられたのち、1952年に公開されました。

映画のあらすじは、以下のとおりです。

書類に判を押すだけの無為な日々を送る、市役所で市民課長を務める渡辺勘治。30年間無欠勤ではあるが、市役所に「不衛生な周辺環境を改善して公園設備を作って欲しい」と訴えに来る主婦たちを機械的にたらい回しする一員でもある。また私生活では、妻に先立たれ大事に育てたはずの一人息子とその嫁に疎ましく思われている。

あるとき病院の検診で、自分が余命いくばくもない胃ガンであると悟り、やけ酒を飲んでいた際に知り合った小説家と享楽的に遊びまわる。人生の意義を見失うなかで、同じ課に勤めている女性部下の小田切とよに偶然会い、彼女の活気に満ちあふれ生きる様に感化され、「自分にもまだやれることがある」と気がつき、あることに尽力し始める——

『生きる』におけるFilmical

「生きる」においてよく語られる名シーンは、みっつあります。ひとつめは、公園整備の陳情を訴える主婦たちが、役所の中をたらい回しにされるシーン。ふたつめは、主人公の渡辺勘治が、小田切とよとの会話の中で「死ぬ前にまだ出来ることがある」と気づき喫茶店の階段を下っていく際に、同じ店内で準備されていた誕生日会の主役の女性が、渡辺と入れ替わりで入店し、彼女の友人たちによって、まるで渡辺勘治に向けてかのようにハッピーバースデーの歌が歌われるシーン。みっつめは、『生きる』のメインのシーンとしてよく語られる、主人公が雪の中でブランコに乗りながら「ゴンドラの唄」を歌うシーン。

みっつとも、映像の特性を存分に発揮した、映像ならではの表現となっています。中でも、ハッピーバースデーの歌のシーンは、“主人公の渡辺はこの瞬間から、本当の意味で生きる”ことを、背景である誕生会の歌によって強調して示しています。これは、映像ならではの表現としての“背景の重ね合わせ”という手法を、本連載の第一回で紹介した“テーマを象徴するfilmical”と組み合わせた、映画史に残る非常に巧みな演出です。(こちらの“背景の重ね合わせ”の手法については、今度、別途紹介します)

上記みっつのシーンは多くの先行研究において取り上げられているため、このコラムでは、あえて言及しません。このコラムでは『生きる』において、先述したテーマやメッセージと重ね合わさるようなシーンが多いがゆえ見過ごされてきたであろう、けれども見る人にとって確かな表象を与えているfilmicalをみっつ、紹介します。

filmical その① 映像における身体表象 :聴覚で共有する絶望感

ひとつめのシーンは、以下の通りです。

※本編12分30秒〜

主人公の渡辺は、体調不良で病院に向かう。すると待合室にいる間に居合わせた別の患者に話しかけれる。「医者が軽い胃潰瘍にかかっている、消化に悪いものでなければ好きなものを食べていいと言ったら、それは間違いなく、余命いくばくもない胃ガンである。」と胃ガンの詳細な症状を列挙され、思い当たる節がある渡辺は、黙りこくる。

診察に呼ばれた渡辺は、医者から「軽い胃潰瘍ですな」と言われ、自分が余命いくばくもない胃ガンであると悟る。

失意の底に落ちた渡辺は、うつむきながら帰り道をトボトボと歩く。角を曲がり、往来を渡ろうとする。

突然、クラクションを鳴らして走るトラックが目の前を走り抜ける。驚いた渡辺は足を止める。目の前の道路には、トラック、バス、乗用車がひっきりなしに走り、渡辺は立ち尽くす。

このシーンでは、落ち込む渡辺が歩いて、トラックのクラクションが鳴るまでは、セリフはもちろん、環境音や人の声など、音がありません。

ショックを受けた渡辺は、何も耳に入らず、歩くのがやっとという状態です。それまでの無音を、突然のクラクションで打ち破ることで、周囲のことに全く気が向かないほどの絶望感に苛まれている渡辺の身体感覚を、映画を見ている人も共有することができます。これは、視覚と聴覚が統合された映像というメディアだからこそ体験できる身体感覚であり、聴覚で共有する絶望感というfilmicalと言えるでしょう。

filmical その② 映像における身体表象 : 視覚と聴覚による驚きの共有

ふたつめは、渡辺が胃ガンであることを悟り、無断欠勤を続けた後、ヤケ酒をした店で知り合った小説家の男と遊びに出かけるシーンの中にあります。

※本編42分37秒〜

小説家の男が渡辺をはじめに連れて行ったのはパチンコ屋であった。男はパチンコ玉を渡辺に受け渡す。渡辺がこわごわと機械に玉を投入すると、当たったことを知らせる機械のランプが光り、渡辺と男は嬉しそうに顔を見合わせる。

二人のいる場所は、混んで賑わうビヤホールに移る。小説家はタバコをふかしながら、カメラに背を向けた渡辺になにやら熱心に語りかけている。その言葉は、騒音にかき消されて聞こえない。

すると、突如として画面のほぼ全体にトロンボーンとトランペットの先がかぶさる。渡辺のすぐ後ろ、カメラのフレームの外に演奏隊がいたのだ。トロンボーンとトランペットによる演奏が始まり、その音に驚いた渡辺は、思わず立ち上がって後ろを振り返る。

ここでは、ひとつめのfilmicalと同じように、観客は、映像の中の主人公の渡辺の“驚く”という身体感覚を共有します。ひとつめと異なるのは、観客は、突然画面を覆う楽器の姿……知覚で言えば "視覚"によって驚きますが、主人公の渡辺は楽器の出す音、つまり"聴覚"によって驚くという、異なった感覚で驚きを共有させるという点です。

「賑やかさ」の中にある驚きを共有させる方法としては、観客には視覚で、映像の中の人物には聴覚でという構造は、優れた演出でしょう。観客にも聴覚で驚かせようとしても、場所の騒々しさと楽器は双方とも音であるために差異が少なく驚きは生まれづらく、一方で、登場人物も視覚で驚かせようとすると、このシーン設定で、観客も驚くような画面を覆うような大胆な画面作りは難しいでしょう。

Filmical その③映像のベクトル :映像の流れで表現する心情の一致と不安定さ

みっつめは、主人公の渡辺が胃ガンであると悟り、病院から帰宅した夜の家でのシーンです。渡辺の家は、息子との二世帯住宅で、一階は渡辺、二階は息子夫婦が住んでいます。息子夫婦は、渡辺の退職金目当てに新居を建てようと目論んでいたり、渡辺へは冷めた視線を向けています。渡辺は、自分がガンになったことを息子に言えず、亡くなった妻の仏壇の前に座り、妻が亡くなった時のことや、息子の光男を思って再婚を断った時のシーンが挟み込まれます。

※本編23分55秒〜

二階から、「お父さん、お父さん」と息子の光男が渡辺を呼ぶ声が聞こえる。回想に耽っていた渡辺は、振り返り急いで階段の下に向かう。渡辺は、階段を登りながら「光男」と名を呼ぶ。すると光男が、「おやすみ。下の戸締り頼みます」と返事をする。

階段の途中で、両手をつき、うなだれる渡辺。ゆっくりと階段を降り、玄関に向かう。下を向いたまま戸を閉めた後、傘立てに立てかけていた野球のバットを戸に噛ませる。

戸に引っかけられたバットに、打球音と拍手の音が重なる。中学生ほどの光男が、野球の試合で走っている。ヒットを打って塁に出たのだ。今より若い渡辺が、立ち上がって嬉しそうに「光男!」と、観客席から叫ぶ。隣の男に「いい当たりでしたな。あのバッターは実はわたしの……その……」と話しかける途中、周りの観客が皆立ち上がる。それに釣られて渡辺も立ち上がる。光男が盗塁を失敗しそうで、一塁と二塁の間を右往左往している。「光男……光男……」と、渡辺のつぶやくような声が重なる。アウトになってしまう光男。渡辺の隣に座る男が、「アホんだら!」と叫ぶ。うなだれてベンチに戻る光男。

①グラウンドの光男を見つめながら、ゆっくりと座る渡辺。そこに、「光男……光男……」と心の中で息子の名を呼ぶ渡辺の声が重なる。

②現在の渡辺が、目を見開いた表情で立ち尽くしている。

③担架に乗せられた光男。エレベーターで階下に移動している。横には渡辺が立っており、光男に声をかける。「光男、しっかりしろ。なに、盲腸の手術なんて虫歯抜くくらいのもんだ」渡辺はポケットからハンカチを取り出し、光男の額を撫で、同じハンカチで自分の首元も拭く。エレベーターが目的の階に到着すると、光男が渡辺に話しかける。「お父さん、手術に立ち会わないの?」「う……うん、お父さんその、ちょっと他に用事もあるし……その……」そう渡辺が答える間に、看護師が光男の乗った担架を運び出す。慌ててそれについていき、エレベーターを降りる渡辺。そのあとすぐに立ち止まり、担架を見送る。

上記のシーン周辺では、回想の中での渡辺と、現在の渡辺のカットが、かなり明確な意図をもったカメラワークと編集によってつなぎ合わされています。特に、①から③の部分に関しては、映像の中の流れによって、渡辺の現在と過去の心情の一致と揺らぎを表しています。コンテとともに、詳しくみていきます。

①のカットで、カメラは、光男を渋い顔で見つめながら座る渡辺の顔をアップで写し、煽り気味の角度から顔の正面に移動します。

②のカットでは、①のカットの渡辺の顔に、ほぼ同じポジション — 映像用語として同ポジと呼ばれています — で現在の渡辺の顔に切り替わります。カメラの動きも①の流れを踏襲し、顔の正面から渡辺を見下げる角度へと動きます。

③のカットでは、初めは横たわる光男を写すアップショットから、隣に立つ渡辺も写るくらいのウエストショットに引いていきますが、常に画面の半分を占める背景に、エレベーターで階下に移動する様子が映し出されています。

①と②では、同じポジションで渡辺の顔を繋ぐことで、光男を想う渡辺の心情が、過去も現在も変わらないことを示しています。加えて、渡辺の顔を、カメラアングルが煽りから見下げるようになることで、画面自体が上に向かっていく流れが生まれ、渡辺の感情の高まりも表現しています。

一方で、③では、背景に映り込むエレベーターでの移動によって、下に向かう力のはたらく画面となっています。このカットは渡辺が、光男の手術に立ち会えない自身の弱さを露呈するエピソードです。その背景に、気持ちの高ぶりを表す①と②と逆の映像の流れを組み込むことで、このカットは、内省としての回想という意味合いが強められているのです。

『生きる』という映画、そして黒澤作品には、上記に紹介したものの他にも、たくさんのfilmicalが潜んでいます。それは映画が“映像”というメディアであることに、非常に意識的な監督である黒澤明の手腕が細部にまで行き渡っているからこそでしょう。初めて見る方も、もう見た方も、そう言った視点を持って、黒澤映画をぜひご覧になってみてください。

INFORMATION

『生きる』1952年・日本

監督:黒澤明、脚本:黒澤明、橋本忍、小国英雄、製作:本木荘二郎
第26回キネマ旬報ベスト・テン 第1位、第4回ベルリン国際映画祭 市政府特別賞等受賞多数。

黒澤明(くろさわ・あきら)

(1910~1998)映画監督。東京都生まれ。躍動的で重厚な面白さに溢れた作品によって、つねに戦後映画の中心的存在と目され、国内外の映画界に多大な影響を与えた。「羅生門」「生きる」「七人の侍」「用心棒」「影武者」など。

橋下忍(はしもと・しのぶ)

(1918~2018)脚本家、映画監督。兵庫県生まれ。伊丹十三の父であり映画監督、脚本家である伊丹万作の唯一の弟子として脚本の指導を受ける。回想シーンの多用など、時間軸を自在に操る構成力は、脚本家として最高の技術と評価されることも多い。ヴェネツィア国際映画祭グランプリとなった「羅生門」の脚本をはじめとする黒澤作品への参加も多数。「七人の侍」「砂の器」「白い巨塔」「八甲田山」など。

FOOTNOTES

[*1]『複眼の映像ー私と黒澤明』橋本忍, 文春文庫, p.129

[*2] 三省堂 大辞林より

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KYO-SHITSU

映像ディレクター・クリエイティブディレクター。東京藝術大学大学院映像研究科(佐藤雅彦研究室)修了。映画「子供の特権」は、ワルシャワ国際映画祭など多数の映画祭で公式招待上映された。 現在、広告会社スパイスボックス所属。映画やスマートフォンなどのメディアの特性を活かした表現を模索中。