僕の時代、桜田倶楽部の誤解から この冬のキャンプbeatを考える
僕が桜田倶楽部に在籍していたジュニア時代(中1〜高校卒業、プロになってからもですが)をどのように過ごしていたのか、クラブとの関係を含めて、よく勘違いされるていることについて。
何からなにまで重宝されてた、もっと掘り下げると飯田藍先生から重宝されて育てられたと思われがちなのですが、まったくそんな事はありません。
こいつ(毒、自分)には、こいつ(毒、コーチ、ちにちみに麦わら帽子の横松さん)でみたいな、毒を以て毒を制するではないですが、的確なコーチの選出が藍先生からなされていたのは確かだと思います。
ですので、何からなにまで”重宝”されたことはないです。たぶん言葉にすると”放任”されたといったほうが的確なのかなと思います。いたずらするなら、さっちゃんでみたいな。
歴代には夏希さん、育史さん、岳二さん、辻野さんやらと、凄いというか個性溢れる人たちがゾロゾロ他にもいたので、そもそも重宝されるようなポジションにもいなかったというのが正しいのかもしれません。
選手はおろか、個性あるコーチがとても光っていました。
いずれにしても、今の反対の立場になって、この”放任”について考えてみると、この放任主義って難しい。
いや普通ちょっとでも戦績出した選手がいると囲いたがるんですよクラブやコーチって。なのにそれが全くなかったなと。やりたい放題やらせて貰えたといってもいい。
また歴代選手の保護者も称賛に値しますよね。クラブに絶対的な信頼をおいてすべてを任せているわけですから。
反対にそんな自由な風紀な桜田なので、僕の父親からは、
「薫君ではなく丸山プロって呼びなさい」とか
日曜日はよく山口涼子さんから居残り練習の相手をさせられてたので
「もっと感謝して走ってボール拾いなさい!」
その他、あーだこーだなんて言われたりもしました。
では今の自分に問いただしてみるとどうか?こんな環境を作れているのか?とても難しい。
バンコク、シンガポール出身のジュニア選手を放任できてるか?いやーできてないな。ガミガミ言ってしまう。
今年の冬のキャンプ、allout beat 2019は僕の中でもチャレンジでもあるのです。