hayato fukushima
LIVE WITH CORD
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4 min readMar 16, 2019

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もしビールが好きなら、LTをしたほうが良い

(もしくはソフトドリンク好きでも良い)

4月13日、表参道で行われるLT会に参加することにした。

【『Vue.js/PWA/JavaScript…新&定番技術なんでもあり』in表参道】
https://connpass.com/event/124534/
LT自体は初めてだけど、以下の理由から参加を決めた。
・できないことでも、まずは宣言して周りに周知してから自分を追い込む。

私のメンターである某企業勤務の某エンジニアから教わった言葉だ。
このメンターは世間には少ない感じのいわゆる「やべー人」である、
もちろん、コカインとかやってるわけではなくて、
いい意味でのやべーやつ。

この人とは、まだ1回しか話したことがないけど、
この人は自分自身の言葉・行動を持っていて、自分が決めたことを行う。周りの支持や言葉はあまり聞いていない。
なかなか一般的な企業人とは異なる感じの意見言葉が多くて、
一言一言が
『まるで胸の中を鷲掴みにされた衝撃』
といった感じ。

LTを行うことは以下の効用がある。
・LTを行うと発表した内容が、めちゃくちゃ理解できる。
(発表するために調べたりするから。)
・発表の内容が間違っていたら、フィードバックを受けることができる。
・発表しまくっていると「よく発表している人」「なんかいろいろ知っている人」といったタグ付けが自分自身にされて、自分にブランドがつく。
このように、LTにはいいことしかないのである。

しかし、よくこういう意見も聞く。
「恥ずかしいから、今回はやめておくよ。」
なるほど。
ただし、この考えは以下のように捉えれば良い。
そもそも恥ずかしいとは、自己と他者がいる場合に現れる感情である。
無人島では恥ずかしさなんて感じないし、犬相手でも恥ずかしさは感じない。
そして「相手の期待値」>「自分が出せる実力」であると感じとった
ときに、恥ずかしいと思うのではないかと思う。
相手に嫌な姿を見せたくない、という見栄である。
要するに、相手はめちゃくちゃ期待して俺を見ている・聞いていると思っているから恥ずかしいのである。
もし事前に「聴衆は100%あなたに関心がないです」と言われたら恥ずかしさはない。
ただし、幸いなことに相手の期待値は通常低いことが多いので、恥ずかしがるという行動は無駄なものとして気づく。
これを知っていれば恥ずかしさはなくなる。

しかし人間は、そうは言ってもやはり恥ずかしさを感じてしまうかもしれない。
そこで、次に自己を第3者の視点から見つめることを行ってみる。すなわち、緊張していることは通常な生理現象であり、最も通常な反応が出ている自分は全く問題がない、と見つめ直すのである。

私は、子供の頃(というか今でも)注射が嫌いだった。
どんなに痛くないと嘯いても、なかなかどうして痛いものである。
そんな注射の瞬間にはいつも第3者の目線を持つようにしている。
「そもそも痛いとはなんであるか。痛点に対して針先が触れることにより脳の中で電気信号がはたらき、神経が痛いと感じているだけなのだ。全く問題ないのだ。」という具合である。
こうすると、少し痛みが和らぐのだ。自己の問題を他社からの目線で見つめ直すことは、今体に起きている反応を和らげる効果があるのかもしれない。

さて、上記した通り、LTには効用が高い。
効用とは、経済学では――すごく乱暴に言うと――嬉しいと感じることである。お酒が好きならビールの一杯目の味の格別さを知っているかもしれない。もしくは、ランニングの後の水の美味しさでも良い。
めちゃくちゃうめーー!!って感じるあれである。
これは経済学では、一杯のビール/水は効用が高い、と表す。

もし、この一杯の効用を知っているのであれば、
LTを行わない選択肢はないだろう。

どんな内容にするかはこれから考える。
例えば以下のような内容にしようかなと思う。
(けど、思っただけで、変更も大いに有り得る)

・【HTML/CSS】floatよりflexboxよりgridのほうが良いよって話
・【ツイッター】自動で●●●●●●●する話
・【line bot】いろいろ遊んで見る話

やっぱり聞いてもらうからには、
・自分のためになるもの
・相手が聞いて面白いもの
が良い。
また、ただ聞くだけではなく相手がなにか参加/作業を行えると、飽きなくて良いかもしれない。

とりあえず残り1ヶ月の間に話す内容のアイディア集めと、そのプロダクトを行わなければならない。
この追い詰められた感じは最高である。
やっぱり人生は迷ったらやばい方向に進むべし!

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