未来より“明日”の話を―予測不能な時代に、50年後の都市を考える意味はあるのか。

#SpaceDesign 2/8

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2017年9月に開催された第1回「LivingTech カンファレンス」。全9セッションの中から、「都市におけるイノベーションのあり方とは?」と題して行われたセッション(全8回)の2回目をお届けします。「都市のこれから」というお題に対し、登壇者3名が提起したのは“未来”という言葉への違和感。その真意とは?

登壇者情報

  • 若林 恵 /WIRED日本版 編集長(当時)
  • 齋藤 精一 /株式会社ライゾマティクス Creative Director / Technical Director
  • 林 厚見 /SPEAC共同代表, 東京R不動産ディレクター
  • 内山 博文 /u.company株式会社 代表取締役, Japan. asset management代表取締役(モデレータ)

“気持ち良くなるほう”に、向かうべき姿はある

内山: 皆さんが感じている問題意識があるところ、問題提起のところから、少し皆さんにお話しをお伺いしたいです。まず林さん、いかがでしょうか。

林: 「都市」という言葉は常に流行っていて、今もまた流行っているのに、未だにちょっとわからないところがあって。

ビルの立ち並ぶ風景の話がそうかというと「もうさすがに違うよな〜」と。人によっては スマホの画面の中こそが世界であり都市かもしれない。少なくとも、道を歩きながら一生懸命上の方を見ているのは、僕らみたいなオタクだけで。

「都市の問題」と言っちゃうと、全てを含んでしまうので。せっかく「LivingTech」ということでいろいろ考えてきたんですけれど、「リビング」って広くとらえると僕らの生活環境全部になるし、都市というのも僕らの住む世界で起こること全部になる。なので都市というものを考えるときにあんまりフィジカルな風景の話をしてもしょうがないだろうなという前提が、まずはあります。

僕は基本的に「何が気持ちよくなっていくのか」ということが、いつも未来像のベースになってるところがあるんですね。若い子と話すと、「あなたは一体何が気持ちいいですか?どういう世界が気持ちいい?」というのをずっとヒアリングしています(笑)。

そこに、たぶん向かうべき姿が見えてくるし、ビジネス的に言えば市場がどうなっていくかみたいなものを、そこからスキャンしようとしているという、前提の話でした。

どうですか?

未来を占うよりも、今日の明日の話をしよう

齋藤: 僕が思っているのは……「テクノロジー」という言葉を使うのは40歳オーバーだという話をよくしているんです。よく分からない方のほうが「テクノロジー」を使っていて。

テクノロジーは、良くも悪くもポケットにもあるし、家にも入ってるし、電波も飛んでるし。たぶんもうどこにでもあって。それがインターフェース的に進化してきているということだと思うんですけど。

不動産業界で仕事をするようになってずっと思っているのは 、さっき新規供給されるオフィスの床面積が年間18万坪といった話がありましたけど、これだけいろいろな定量調査ができる時代に、なぜ皆さんで話し合って誰も入らないようなビルを作ろうと思うのか。それが僕はすごく不思議で。それなのに口を揃えて「坪3万で貸したい」とか言ってるじゃないですか。

矛盾しているような気がしていて。そこはテクノロジーの出番というか、共有の資料を作るだけでも良いと思うんですけど、「うちはこういうのをこうやってこうでこう作ります」というのを皆さんに共有するだけで、たぶん変わっていくと思うんです。

当たり前のように、日本のいわゆる縦割りの業界構造、これは企業も行政もそうですが、全然ワークしていないから、テクノロジーだなんだというよりも、その前の段階かなと僕は思います。そこが改善できると、多分変わっていくと思う。

あと僕自身、今やっている仕事でできるだけ使わないでおこうと思っている言葉が二つあって、一つは「都市」、もう一つは「未来」。

前に若林さんと話した時も、「未来は今日の持続である」「Continuous Today」みたいな話を、押井守さん(編集部注:映画監督のほか、小説家や脚本家、漫画原作者として活動)としたという話があったじゃないですか。あれが頭に残っていて。

未来って、さっきの未来開発みたいなテッカテカのビルが建っているのではなくて、その時も話したんですけど、50年後も100年後も、日本人はヒジキを食っているわけですよ。箸は2本使っているわけで。

そこまで大きく変わることは……いろんなものが小さくなって統合されたりすることはあるとは思いますが、大きなところで人間の生き方っていうのは変わっていかないような気がしていて。

だから、あまり「未来、未来」ではなくて、「明日」という使い方をするんです。できるだけ明日の話をしよう、と。今日の明日の話をしていかないと。

見本市で出てくるような架空の「未来のもの」ではなくて、本当に作れるものを、本当にこの世の中に公開して意味のあるものを、今の時代に作らないと、未来のことを話していてもしょうがないような気がしている。

どうですか?

“予測可能な未来”ではなく、“未来は予測不能”と認識して一歩目

若林: 全くその通りだと思っていて、「2030年の未来予測をして、そこからバックキャストして考えましょう」みたいなのを皆さんやっているでしょ? それは本当にやったほうがいいの? そういう相手の上司とか出てきたら、止めましょうと言ったほうがいい。

誰も予測できないところに僕らはいるわけだし、「未来は予測可能である」という考え方自体が、近代及び僕の最近の学びによると、おそらく新古典経済学というものに非常に大きくあって。

そういうものからいかに脱却するかが、時代の要請として非常にあるというふうなことは、完全に一般論としては思っているんだけど。ただ、例えば大規模な不動産開発は、10年か20年スパンで考えなければいけないじゃないですか。よく知らないですけど。

そうだとしたときに、「できあがる20年後ってどうなっているんだっけ」というのは分かっていないと困る、というような話がおそらくあるんだろうとは思うんです。

じゃあ予測不能である20年後の開発をどう考えるかというところは、正直、僕もよく分からないけど、おそらく市場の動態はこうなっていて、定量化できる数字というのは見られるのだとは思う。

だけど、それが実際どういうふうな都市の姿をとっているか、街の姿をとっているか、実際には分からないだろうと。そんなことをいうと、「もうちょっとこういうのがいいよね」という表現として考えていくということをしない限り、話がずれるかなと。

つまり、20年後を見ているんだけど、5年経った時点での15年後は、元々の20年後の想定とは違っているかもしれないという中で、それをどうやって貫き通すかというと、たぶん外の状況とはあまり関係のないところに設定しておかないと、使い物にならないだろうなという印象はあるんだけど……。

都市のつくり手は、まず“明日できること”から変えていくべき

内山: 齋藤さんの先の話、「未来」と語るのは止めよう、まずは「明日」という話をされたと思うんですけど。この明日というテーマで、具体的に何か動かれていることはありますか?

齋藤: 今の都市開発って、だいたい鳥瞰からの図が出て来るじゃないですか。あれが気持ち悪くて。鳥瞰でビルごと見る人なんか、ヘリコプターに乗っている人だけ。そんな街の作り方をしているからダメで。

僕が今いろんなデベロッパーさんにコンサルで入って、当たり前のことをいち消費者として言っていると思うんですけど、「いや、低層部から考えましょうよ」と。どんな手すりで、どこに池があって、どこで集まれて……というのを。

あの鳥瞰の絵、ファラオ的な「俺たちすげーだろ」的なのは、作り方としては古いかなと思っている。まず明日できることから変えていかないと、業界自体は変わっていかないかなと思っていて。

明日変えられることといったら、もしかしたら各デベロッパーさんが、今持っているカードを、とりあえずデベロッパーの中のインフラ屋さんだけでもいいから、全部手のうちを出し合うとか。

まあ業界の仕切りだとできるわけがないと思うんですけど。そういう集まりに僕も何回か行ったんですけど、みんな当たり障りのない話をして終了するんですよ。

「あ、これはウチは関係ない」と言うんですけど、たぶん手のうちを出さないと、もう皆さんが沈んでいくだけ。あとは床を増大させて……例えば企業など集めようと言っているエリアもあるじゃないですか。

海外のインバウンドの企業とかを誘致したいと言っているんだけど、 そもそもインバウンドの人たちを誘致するための法律が整っていなくて、デベロッパーは大企業をいきなり作ることはできないし、海外の企業さんが日本でいきなり薬事系のことってできなかったりするじゃないですか。

その辺り、まだ全体的に縦社会の壁が残っているので、本当にテクノロジーがワークするためには、壁を一個一個取っ払うことから始まっていくのかな。

だから、業界を横断して好き勝手やれる環境? エストニアはこの前ICOしましたけど、もしかしたらそういうエストニア的な考え方かもしれませんが、そいうことが明日からやれることなのかな。

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