東京集中から地方分散の居住シフトは実現できるか?あるいは、すべきなのか?

#SpaceDesign 6/8

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2017年9月に開催された第1回「LivingTech カンファレンス」。全9セッションの中から、「都市におけるイノベーションのあり方とは?」と題して行われたセッション(全8回)の6回目をお届けします。自動運転をはじめ、モビリティの進化は、人々の住まい方・暮らし方にどんな変化を及ぼすのか?

登壇者情報

  • 若林 恵 /WIRED日本版 編集長(当時)
  • 齋藤 精一 /株式会社ライゾマティクス Creative Director / Technical Director
  • 林 厚見 /SPEAC共同代表, 東京R不動産ディレクター
  • 内山 博文 /u.company株式会社 代表取締役, Japan. asset management代表取締役(モデレータ)

多様性、ヒューマンスケール……街づくりのキーワードは?

内山: たぶん今の話の中にいろんなキーワードが出ていたと思うんですけど、なんとなく皆さんの言ってることをまとめると、「サスティナブルな社会の実現」。こんな言葉になっちゃうのかもしれません。皆さんが思っておられるキーワードも、ぜひいただけたらなと思います。

昨今の街づくりの議論によく出てくるジェイン・ジェイコブズは、国の経済発展というのは国家ではなく都市が生み出すものだという観点で、都市が多様性を持つための条件をいくつか言っていて、その一つである多様性、ダイバーシティみたいなことがキーワードとしてよく挙げられています。

一方で、建築家ヤン・ゲールは、ヒューマンスケール。自動車中心ではなく、人間中心だよね、みたいなことを言っている。今まで私的空間を作ってきたけど、もっと公共空間を良くしていこうと、そんな話がなされているわけなんですが、まさに未来を予測する上で皆さんの感じているキーワードがあれば、一つでも二つでもお話しいただければと思います。

自動運転が普及しても、日本人は都市に住むことを選ぶのか?

齋藤: キーワードというか3人に質問したいことが。

2035年以降は、世界的に見て都市集中型の住居……衣食住いろんな要素がありますが、そうなっていくとの予測というか自然現象があるんですけど、僕は最近それに「はてな?」がついています。

前に若林さんと林さんとディスカッションした時に、自動運転の車があったら、駅前の不動産価値がフリックするんじゃないかという話があったじゃないですか。

あれからもずっと考えているんですけど、自動運転というのもまあ今は都市伝説みたいな話なんですけど、レベル3、4、5までいって、もう手放し……要は自動追尾みたいなものはもうできるんですね。

東名高速の夜のトラックも、一台だけ運転手がいれば、後の皆さんはiPhone見てても追尾して東京まで来れるというのが、もうできるんですね。このへんは国交省の問題なんですけど。

それができた時に、都市に住む選択肢を日本人がとるのかどうか。僕が最近思うようになってきたのは、もしかしたら都市型ではなくて、もうちょっと郊外に住むんじゃないかなと思い始めたんです。

多分これは議論を生むと思うんですけど、どう思われますか?

自動運転が可能にするのは、移動時間の有効利用

林:もちろん都市集中を数字として追っていけば、今よりおしなべて集中は増すとは思います。一方で郊外や地方にポツポツと新しい小さな、そして面白い集積ができていくだろうなとも思っています。お互いに離れた場所での会話っておそらく10年後には相当ノーストレスでできるようになっているから、そうすると僕なんかは「もっと気持ちいいところに行こうかな」と言って、東京を離れられるかなというのはかなり想像できます。

技術というのはどこでもドア的な世界にどんどん近づきますよね。自動運転になれば、5キロ離れていてもその間というのは時間的にはワープできているというか、別のことやっているし……

都市のあり方は、国民性を無視しては語れない

齋藤: そうですね。

僕の持論的には、皇居を中心とした大きなサークルとして、超過密都市というのができたじゃないですか。そこが今、1964年のオリンピックやその後の高度経済成長を経て、いろんなものが老朽化しているみたいな話になっているじゃないですか。水道管もそうだし、ポストもそうだし、いろんなインフラが。

それでもう一回、いま建っているものをリニューアルしようとする瞬間に、僕は比較的もう、ここの東京超都心エリアは終了かなあと思っていて。

ここをもう一回ほじくり返してやるのであれば、超大規模開発みたいなのをバンバンやっていかないと、一個のエリアとしてはできないと思うんです。職としてはいいと思うんですよ、働く場所としては。なんですけど、どうしても住む場所が。

これもまた前にもすごく議論したことだけど、スタートアップは日本に定着するのか論があって、僕は定着しないと思っていたし、まだ定着していないと思っているんです。

それは、シリコンバレーモデルとかドイツとか、いろんなところにスタートアップシーンがありますけど、やっぱり日本人の感性というものを考えていかないと。

日本人はそもそもシェアが得意なのか、日本人は自ら何かを生むことが得意なのか、文化性とか、我々は敗戦国であり、農耕民族に近いものがあり……というバックグラウンドを考えると。都市に住むっていうよりも、僕自身が郊外に移り住んでたっていうのもあるけど、絶対都心には戻れないです。

そうなると、もしかしたら離れているところのほうが、人間的に本当の意味でのウェルネスというのが体現できるのではないかなと思うんです。

反論してください。

“ハイパーループが幸せをもたらす”は、20世紀型の思考

若林: 論点的にまず整理したほうがいいのは、東京と地方都市の2項という話と、都市エリアとそれ以外のルーラルエリアの話というのは、割とごっちゃになって話されることが多いので、そこは注意したほうがいいかなという気がしていて。

齋藤さんが言ったようなルーラルエリアがもうちょっと居住区になる話、そこはどうなんだろうね。

例えば多摩エリアというのも、高度経済成長期にマンションなんかを建てたのが荒廃して捨てられた土地に、畑を持って若い人が楽しく暮らしているという話があるじゃないですか。

それはそれで全然問題はなくて。それでいいし、増えていくんだろうなという気がしていて。逆に、都市に近いけどルーラルなエリアの機能性みたいなものが明確に分かれてくる、ということでもあるのかな、と。

齋藤さんがおっしゃっている鎌倉みたいな話というのは、話としては微妙で。田舎じゃなくて、「それ自体街じゃん」って話じゃないですか。だから、それは都市として考えていったほうがいい気がしなくもない。

そういう意味でいうと、齋藤さんは割と「近距離で多拠点になっている」という理解かもなと思ったりするんですよね。で、距離感自体は自動走行車で広がって、要するに「ハイパーループを使えばどこでも1時間圏内」という話があるんだけども、その発想自体、僕は割と20世紀ぽいなという気がするんだよね。

つまりそれは、私鉄の沿線が伸びていくのと一緒じゃないですか。高度経済成長期には私鉄の沿線は、「八王子から東京までの間でこの辺だったらどうですか」という風なロジックだったと思うんですよ。それはあまり人を幸せにしなかったような気がして。

たぶん齋藤さんがおっしゃっているのは、そのロジックがちょっと違うんだろうなという気はする。そういう風に理解したら結構面白いかなと思いますけどね。

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