ある子育てエンジニアの一例

Daisuke Maki
makisanch
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7 min readDec 11, 2017

自分には子供が3人います。幼児が二人、乳児が一人(全員♂)。妻は働いていて、それぞれの子供が生まれて比較的すぐ職場復帰してます。三男の時にいたっては、彼が生後3ヶ月になる直前に職場復帰しました。

自分は基本的に朝8時半頃から仕事を開始し、4時に帰宅して、そこから父親業務をします(詳しくは数年前のこのエントリを参照)。そこで一日が終わりだと「あ、時短勤務なんですね」で終了なのですが、さすがにそれでは色々やるのに時間が足りない。自分はイベントの主催とかをやったりしてますし、それに通常業務もいくら午前中に気合いを入れて進められるだけ進めてもさすがにもう少し仕事をがんばらないとまわらないのです。なので夜に仕事ができる、ないし次の日のための余力を作るための時間を持てるというのはとても大事なのです。

幸い今のところ自分は子育てで忙しいなりにこうやってブログを書いたり、夫婦ともお互いに一人だけの時間を作ったり(=妻が美容室行ったり、お互い買い物に出たり、たまに夜の会合にでかけて相手に子供達を任せっきりにしたり)することはできています。

自分の家でこういう風に時間をある程度作れるようになった要因は大きくみっつあったと思っていて、それについて書いておきたいと思います。こういうのは各家庭での話なので、できるできない・そういうことをしたいしたくない、はそれぞれの環境違いますから、あくまでうちではこうした、という話です

基本:しっかりやるところはやり、あとは全て諦める

これ、さじをなげる、という意味ではないです。

例えば、おむつを確認する、少なくとも生命の危険がない安全な場所にいる(例:ベビーベッドの中、ベビーサークルの中、公園の砂場の中)、その他必要最低限のケアをしてある、という状態であれば、もうそこからは「あとはおまえががんばれよ」というスタンスで見守る、ということです。

たとえば乳児などは泣くことでしかコミュニケーションが取れないので大人はイライラさせられる事もあるでしょうが、それは逆に言えば「ああ、なんとかしてやらないと(なんとかしてやれるはず)」と自分が思っているからだと思います。でも親ができることというのは上記のように安全や食事、排泄等のお手伝いをしてあげることくらいであり、あとはもうなんというか、しょうがないのではないでしょうか。彼らはどんなにお世話をしても泣くときは泣くし、それが可哀想だとは思いません。「ちょうどいい運動してるからこの後よく寝るだろう」くらいの気持ちで泣き声をスルーして他の事をするくらいが良いと考えています。乳児は泣かせておけばそのうち寝ます

公園で遊んでいるときも、行ってはいけない場所に行くのや、他の子とトラブルにならないように見守るのは親の責任でしょうが、砂を口いっぱいいれて泣いてたり、膝や腕やおでこをすりむくケガなんて、もうしょうがないので(なんで子供っておでこに傷作るんだろうなぁ…)、「ああ、次回からは同じ事をしないように少し頭がよくなるかな…」くらいの気持ちでケガをさせてやればいいと自分は考えています。

いきなり大きな風呂敷を広げてしまいましたが、基本的には、親のやれる部分のサポートと、子供がむずがるとか小さいケガをするとか、そういうどうしようもないところは切り分けて、自分のやれる範囲をしっかりやったのなら、あとは諦めて自分のやらなければいけないことをやったほうがいいな、と考えて行動している、ということです。

大人と子供は別行動

我が家では最初の子供の時から、1歳前後の頃から寝室は大人と別にしています。一緒には寝ません。大人と子供が同じ条件で(夜遅い時間まで)活動できると思わせるような選択肢は最初から与えませんでした。一緒の部屋に寝てた時もベビーベッドの時代で別に寝てましたし、その後も川の字に寝ていたことはありません。

一番最初に別部屋で寝る形に移行する時こそ、一緒に寝付くまでよこについていてあげましたが、途中から心を鬼にして「部屋の外にちゃんといるから、一人で寝なさい」と言い放ち、一人で寝かせてきました。

今では長男、次男は、就寝前の読み聞かせを終えた後はおやすみ前の話(主に、今日あったことと明日の予定について)をして、ドアを閉めておしまいです。稀に1時間しても物音がして起きている事がわかるので叱りに行きますが、基本は30分以内に寝ているようです。

その間大人は別室でテレビを見たり、今日会ったことの話をしたりしつつ、残った作業をしたり、イベントスタッフとチャットして物事を進めたりしています。やろうと思えばゲームをする時間も作れますし、趣味の時間にすることもできます。

この時間がどれだけ重要か!これは声を大にして言いたい。この時間があることによって、限定的とは言え、親に自由があり、リフレッシュ+心残りの仕事の整理等ができています。

生活のリズムを与える

ひとつ前の話に関連しますが、自分が子供達にできる最も大きなサポートのひとつは「生活のリズムを与えてあげる」ことだと考えています。朝起きる時間、朝食・昼食・夕食を食べる時間配分、昼寝や就寝の時間。これらのことは子供は本能的にできるはずと思いがちですが、社会ないし大人が期待する範囲内でするには理屈や話し合いではなく、ただただ習慣をつける、ということしかないと考えています。

よって、我が家では、たとえば起きる→おしっこする→ごはんを食べる→着替える、のような儀式には一切の交渉の余地はありません。儀式が滞り無く行われなければ朝のテレビは(Eテレ)は見られませんし、最悪朝のデザート(フルーツ)が出てきません。やることをやった後は自由に遊んでテレビを見て良い時間ですが、7:45に「コレナンデ商会」が終わった瞬間に保育園に登園します。登園したくない、という駄々には一切つきあいません。

夜寝る時の儀式も、ご飯、そのあとの遊ぶ時間、片付け、トイレ、本読み、おやすみの会話、就寝、と毎日必ず守らせます。さすがに長男、次男はこの辺りはもうわかっていて、ここ1年以上、おもらし等のアクシデント以外では特に問題があったことはありません。基本的に8時台には子供達は全員寝ています。

と、ここまで書きましたが、「今日は特別だよ」という前置きを伝えた上での、例えばお祭りの夜に夜更かしをする、だとか、ジジババに会いにいった時には少し余計におやつを食べる、だとか、そういうのは全然ありです。また、遊んで良い時間についてはもう本当に「お好きにどうぞ」という感じでやりたいことをなるたけやらせています。

ただ、「普通」の生活のリズムについては、軍隊的なノリで彼らが「今何をすべきなのか」を知っているように仕向けている、ということです。このリズムがあることによって、彼らは今求められている行動が「日常」なのか「非日常」なのかを理解して、大人との意思疎通がやりやすくなっている、と考えています。

我が家ではこの三つを最初から意識してやっていたので、正直自分は「子供がいることによって時間を奪われる」というようなストレスはあまり感じていません(ですが、さすがにゼロだとは言わない…)。このあたりのことに関して悲観的なエントリがやはり目立ってしまうので、「子育て、別にそんなに辛くないよ!」というメッセージを込めて本エントリを書いてみました。

子供はいないと幸せになれないなんて事はありません。我が家も子供ができない人生を設計していたこともありましたし、それでもハッピーでした。ただ、「子供を持つことができる(can)」し、「子供を持ちたい(want)」のであれば、子供をもつことはやり方次第ではネガティブな話ばかりではないので、子供をもつことを怖がらないでほしい、と思います。

以上、あくまで一例ですが、もし、未来の誰かの参考に少しでもなれば幸いです。

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Daisuke Maki
makisanch

Go/perl hacker; author of peco; works @ Mercari; ex-mastermind of builderscon; Proud father of three boys;