ちょっと前のことになりますが、オリンピックでは、各国の選手たちが素晴らしい熱戦(寒かったと思いますが)を繰り広げていました。感動的なシーンや印象的なシーン、いくつもありましたね。
テレビを見ていて、最近のスポーツ選手は、インタビューの受け答えがとても上手で、と思いました。とにかく感謝の気持ちを語らせようとするアナウンサには辟易させられますが、選手の方々は、誤解を招かないように、慎重に言葉を選びながらも、自分の思いや考えを、しっかり話してくれているように感じます。
こういったインタビューは、いろいろな文化圏で、その地域の言葉に訳され、伝わっていくでしょう(文化が違うと、必ず好意的に取られるかはわかりませんが)。
それは、その発言に価値がある、と認める人がいるからです。中身のある話であれば、世代や言語の壁を超えて、伝わるのです。それは、その内容を知りたい、と思う人がいるからでしょう。
言語というのは、あくまでもツールなんですね。
ここ数年続いている英語を話そうブームは、手段と目的を取り違えている気がします。
「グローバル化」というものは、「世界に通じる人材を育てる」ということのはずです。いつのまにか、「英語や中国語を話せるようになろう」という意味に成り下がっていないでしょうか。
3ヶ国語を話せるけど、そもそも大した意見や発想を持たない人は、精度の高い翻訳機が普及すれば、お役御免になります。その時代は、もう近づいてきていると思います(むしろ、遅すぎるくらいな印象)。
反対に、自分の頭で考えることができる人は、便利なツール(翻訳機もだし、パソコンとかもそうですね。もっと、全く新しいものも、きっと出てくるでしょう)によって、それを広められるようになります。
自分の言葉に少しでも価値を持たせられるように、日々を過ごしたいものですね。