一昨日、IMAXで「ダンケルク」を観た。
自家用ヨット船長のMr. Dawsonが一番かっこいい男である。
彼をもう少し若くすると、桟橋で撤退を指揮していた中年の海軍士官(ケネス・ブラナー)になるだろう。
スピットファイア乗りのトム・ハーディが歳をとったら、おそらくMr. Dawsonのような爺になる。
こうしてみると、その三人は同じようなキャラクターである。
持ち場でベストを尽くす。悪態をつかず寡黙である。我が身の危険を顧みず他人を助けるだけの技倆がある。そういう自分であることを、自信の源として生きる。
彼らの迷いのなさは美しい。
それがゆえにエスタブリッシュメントの失敗の後始末という御鉢が彼らに回ってきてしまうことの痛みを思うとき、その美しさに翳りがかかる。
それでいいのだと思う。
この映画でドイツの軍人の姿が描かれない――影すら映らない――のは、何だろう。
Mr. Dawsonたちのようなエートスを、人工的に植え付けることは多分できない。ナチスのイデオロギーはそれを成し得なかったし、イデオロギーはエートスに負けた。
監督はそう見せたかった。だから、ドイツ軍人のエートス――そこには善きものも多々あっただろう。ナチ思想は別として――は、敢えて無視した。
そういうことではないか。
Mr. Dawsonのヨットのプラモデルが欲しいけど、売ってないだろうなあ。