Webエディターのためにアワードが必要/教育はWIREDの面白い仕事になる@若林恵の大独演会「編集の分際」より<3>

Kento Hasegawa
MEDIA BREAD
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6 min readOct 3, 2015

雑誌『WIRED』編集長の若林恵さんが3時間語るトークイベント『若林恵の大独演会』に参加してきました。2015年10月3日(土)、会場は東京・渋谷の「Red Bull Studios Tokyo Hall」。若林さんが参加者からの質問にひとつずつ答えていく形式でした。

SNSはおろか、録音や撮影もOKというゆるさでしたので、お言葉に甘えて、聞き書きメモをまとめてみました。いくつか出たトピックより、個人的に刺さったウェブを含めた「メディア」のこと、「編集」のこと、「WIREDの未来」に絞って、それぞれ別立てにしています。メディアのこと編集のことに続き、WIREDの未来へ進みます。

質問:以前に言っていた「これからのメディアは文学である」について、もう少し聞きたいです。それと「編集者は野次馬である」という話も。

若林:お金の特集をやったあたりから、「物事を交換する」という、そこにおける信頼を考えていたんですけど、結局は言葉っていうものの問題にぶつかることが結構多くて。それは言語学の話だったりするんですけども、これは基本的には世の中すべて文学の話だなって行き着いたんですよね。結局なんとなく、すべてが言葉の問題に行き着いている気がして。

WIREDでは次の号で「言葉の特集」をして、僕の探求がひとつ行き着くのかなと。だから、少なくともここにいる人は、必ず買ってください……という宣伝です(笑)。

編集者や記者は、暇人でなければならない

「編集者は野次馬である」については、ジャーナリズムなどもそうで、「第三者であることが大事」という話だろうと。

編集者や記者は「どこかで火事が起きたときに見に行く人」でなければならないということですよね。どこかで火事や事件が起きてもみんな忙しくていけないので、代わりに見に行くやつなんですよ。その暇人を産業化したのが出版であろうと考えたわけで。それでいくと「誰の代わりに見に行ってるのか」の話が大事で。

新しく出来た蕎麦屋に、暇人が代わりに行って食べてきて感想を言う、みたいなところが、ある時から「暇人が蕎麦屋からお金をもらう」ようになった。それが広告とメディアのせめぎあいみたいなのにつながるわけで。でも、メディアとしては行けない奴の代わりに蕎麦を食べに行くのがあくまで大事であろうと。

オウンドメディアってどうなんだっていう話だと、それは本当に第三者になりうるのかって思っていて。オウンドメディアは自分の要件を自分で持っちゃっていて、暇な蕎麦屋が自分で蕎麦の話をしちゃうようなもので、難しいなと。

スマートニュースこそアワードをやって、業界のスタンダードをつくれ

若林:出版業界とか新聞業界には企画の立て方や著者の発掘など、ノウハウや価値観があるけれど、それがウェブには行っていませんね。アメリカでは、『TIME』のデジタル版の編集長が再三出戻りするみたいに、紙の価値観とデジタルの価値観が継承しあっていく関係があるが、日本ではまだないように見えます。

書籍の企画者であれば、その仕事を一本でずっと続けていくことができるんですよ。でも、いまのWebエディターって、キャリアステップの想像が見えないんですよね。どうすんじゃって話なんですよね。毎日記事3本作って、それを40年続けるのか?みたいな話で。あとは、若くて優秀な子が入ってきていないっていうのもあるんじゃないですか。

僕はスマートニュースに「アワードをやって」と言っていて。数字ではなく、いい記事を出し続けたところをちゃんと評する、価値付けをするのには意味がある。それを業界のスタンダードとしてつくっていくのを、作業としてやったほうがいいのではと。そういう意味で、それぞれのメディアが勝手にやっている状況もありつつ、みんながいっしょに議論したりするのは、やったほうが良いと思います。

教育は編纂されなけばならない。教育はWIREDの面白い仕事になる。

質問:WIREDの未来を教えてください。

若林:さっきも言ったけど、週刊誌にしたいよね。あとは、あんまりロードマップを立てて進んでいる感じではないけれど、当面の課題としては、新規のビジネスをいかにちゃんとロールモデル化していくのはあって。具体的に言うとコンサル事業とスクール事業を始めていて、それをできるだけちゃんと本格化させたいのはあります。

学校は面白いんだろうな、というのは思っています。来年の『WIRED』2月号で掲載する記事ですが、Beats Electronicsをドクター・ドレと一緒に立ち上げたジミー・アイオヴィーンが音楽大学を立ち上げた。何をやるかっていうと、音楽がこれからちゃんと大きくなっていくための人を育てると。

音楽がいいものであり続けるには、音楽家だけがいても仕方ない。Apple Musicのようなサービス運営者、録音エンジニア、ヘッドフォン設計士みたいなのがいて、音楽はエコシステムになっていく、それを守らないといけないよねっていうのは、全うな話じゃないですか。それをまるっとやるので大学をつくって、USのWIREDのはそこで授業を持ったりしていて、それはいいなと。教育はそうやって編纂されないといけないだろうという思いはあって。

僕は「The BRIT School(ブリットスクール)」ってイギリスの学校が好きで、14〜19歳の子どもが無料で参加できるんですね。アデルやエイミー・ワインハウスなどが卒業生にいて、音楽産業にかかるパフォーマンスができる人だけでない、周辺の優秀なスタッフも育てられるところだと。

日本のカルチャーにまつわる教育って、アーティストとして人を育てようということに注力しすぎているんじゃないかと思って。美術だってギャラリストがいるわけで、アーチストが挫折してルサンチマンを抱えながらやっているみたいのは、あまり健全じゃないですよね。それにアーチストって世の中にそんなにいらないんですよね。そういうところに対して道筋が見える環境をつくるのが、先ほど出した2つの音楽学校の話。

ファッションやスポーツも同じですね。『VOGUE』はファッションの学校を持っていてすでにやっていますよね。教育は、WIREDのひとつ面白い仕事になるだろうなと。

(この記事は、長谷川賢人のブログ「wlifer」掲載のものを転載しました

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Kento Hasegawa
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長谷川賢人/86世代の編集者・ライター/日本大学芸術学部文芸学科卒/フリーランス