「都市と暮らし」をアップデートするための5つの視点/『WIRED』VOL.24発売記念 若林恵編集長トークイベントより

Kento Hasegawa
MEDIA BREAD
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33 min readAug 8, 2016

2016年8月7日、六本木アークヒルズにある「WIRED Lab.」にて、雑誌『WIRED』編集長の若林恵さんによるトークイベント『これからの都市という「メディア」について考えたこと』が行われました。

“WIRED on WIRED”と銘打たれ、最新号が出るたびに編集長自らがその裏側を語る本イベント。今回は来る8月9日に発売される『WIRED』VOL.24の第一特集「NEW CITY」をつくりながら考えたことを、若林さんが語り続けました。

(定期購読しているので、すこしだけ早く届いた!)

今号を『未来の建築家への教科書』にしたかったと若林さん。

その試みを多角的に組み上げるべく、著名な建築家と考えを深める“基礎工事”はもちろんのこと、現在起きつつあるムーブメントや事例から読み解く「新しい建築家のための5つの視点」までをまとめた一冊となっています。

都市や建築の先にあるのは、私たち人間ひとりずつの人生です。だからこそ今号のテーマは、暮らしと人生を取り巻く諸問題ともいえ、誰にとっても無関係な話にはなり得ないでしょう。

それでは以下、若林さんの独演です。

(およそ2時間の独演会より、聞き書きメモを抜粋・編集しました)

若林:こんにちは、こんばんは。

今回は新しい試みで、雑誌が発売していない状況でやってみています。9日に発売でございまして、普段は10日なんです。だいたい雑誌って10日と25日の発売が多くて、取次から「8月10日は刊行物が殺到するから、売れない雑誌は日付をずらせ」とお達しがきたんですよ。

僕としては校了日が延びるから後ろにずらしたかったけれど、ダメといわれ前倒しに。雑誌って、トラック使って全国に配るわけじゃないですか。「多すぎてさばけないから刊行日をずらせ」って今もあるのは、すごいですよね。

今号がどういう特集かを紹介しつつ、買ってもらったときに、どういう考えで、何を伝えたくて、この記事が載っているのかを話していこうかと。本誌を読んだときの補助線にしてもらうのがよいかなと思ってます。

建築家の仕事は、いつからダメになった?

「新しい都市」という特集テーマなんですけど、都市の特集は3年くらい前にやったときも売れ行きが割と良くて。それをきっかけにしてなのか、不動産屋さんとかから話を聞かれる機会が増えています。

いろいろと世の中が変わっていく中で、都市の有り様も変わっていくんだろうと考えながら、東京オリンピックがあるし、その他の日本の都市での良い話もあんまりない。

それで何を、どう作っていくのかが良いかを素人なりに考えるわけでして、新国立競技場に絡んで、世の中がわーわーっとなった中でのことなので、「都市と東京をどう考えていくのか」という問題意識を反映させていきたいのはありました。

前号の予告では「未来の建築家のための教科書」と書いた。つまり、建築っていうのが……うーんと……“建築家の仕事”が『Casa BRUTUS』的な感じからすると「イケている仕事、カッコいい仕事」に見られがちだけど、どこかの時期からダメになってきているんだろうなって思いがあるんです。

「今までの建築家というのは社会について考えてこなかった」

僕がよく覚えている話は……この話をする度に腸が煮えくり返るほど、怒りを抑えきれないんですが(笑)……2011年に震災があって、紅白歌合戦の前だったと思うけど、某建築家が被災地に入って復興住宅を建てるドキュメンタリーをNHKでやっていて。

正確なコンテクストを覚えていないけど、その某建築家がインタビューで「今までの建築家というのは社会について考えてこなかった」って言ってたわけ。俺は「はぁ?!」と思うわけですよ。何言ってんだこいつと。

建築は基本的に個人住宅であったとしても、ある種の社会性の上に成り立つものじゃないですか。国土の上に建つわけなんで。「何言ってんだこいつ、許せんな」と思ったわけです。

それ自体の言わんとすることもわかるっちゃわかるし、非常時みたいなことに十分に考えをめぐらせられなかった以上はそうなんだろうと思うんですけど、ある種の非常事態に、平時の建築家は無力であるというのをナイーブに認めてよいのか、という気はしたわけ。

その建築家がダメなのかもしれないけど、僕は「建築家」がダメになっていると思い始めた。社会にどうコミットできるかの意識が、あるにはあっても、足りていないのかなと思った。たぶん世界的にも見てもそうで。

前号の特集は「会社」をテーマに、要するに「会社は何のためにある?」っていう話でした。アメリカを中心に、会社の社会的な意義を立て直さないとダメなんじゃないかっていう、リーマン・ショックとか、1%くらいの人間が富を専有して、それ以外は地べたに這いつくばって生きる状況に、資本主義のドライバーとしての会社が、資本主義のみに加担しているという状態が許されるのかが議論として出ていると。

(※筆者注:このあたりは雑誌『WIRED』vol.23「いい会社」特集やWIRED.jpの記事をどうぞ。“B-Corp”という株主よりも社会的な利益を考える企業のあり方や、認定されたKickstaterの事例なども載っています)

要は会社が単に経済的な存在だけではなくて、コミュニティとか都市に対して、どういう位置づけになるかを考えた特集だったんですけど、今回の特集もそれに近い視点が入っています。

現在の建築家から抜け落ちてしまったもの

今号には、OMAニューヨーク事務所のパートナーで、ニューヨーク事務所の代表を務める建築家の重松象平さんにインタビューしています。『ザハ、テロ、パブリック』って良いタイトルでしょ。

結局、建築家と社会の関わりでいえば、建築及びデザインの一部が社会的な、思想的な一部をこれまで担ってきた。もうちょっとモラリズムな枠組みがあったところに建築家が参加していた過去では社会性をもっていたわけです。その連動が失われていったときに、建築家は自分たちの寄って立つ思想なり思考なりが社会性を持たなくなっている現象が起きたよね、という話をしているんですね。

つまり、建築家っていうのは何に奉仕するかというと、経済に対してある種のデザイン的な、テクニカルな技術を提供していくことによって成り立つのみの存在になってしまったんだろうという気はして。

基本的にクライアントからの「どれだけ儲かるのか」という点においてのみ価値を判断していくことがどんどん深まっていく中で、おそらく建築家が本来担えていたものが狭まってきているのだろうと。

今号にはチリの建築家のアレハンドロ・アラヴェナに、建築設計事務所のNoizをやっている豊田啓介さんがインタビューしたパートがあります。アラヴェナはソーシャルハウジングという貧しい人たちに向けた住居設計を専門にやっている活動が評価されて、2016年にプリツカー賞という、建築のアカデミー賞をとった人です。

インタビューは2011年に収録されたもので、どこにも掲載されないままウェブにあったのをうちのスタッフが見つけてきて、面白いからそのまま載せちゃえということで、両者に許可をとったんですね。

この中で結局、アラヴェナは(重松さんと)同じことを言っていて、「もはや重要なところに建築家は呼ばれていない」と。経済的に建築がどう成立するかの話があり、それを阻害しない形でかっこ良くしてよ、というところにしか呼ばれていない。経済合理性が重視される流れの中で、違う形でデザインの価値を得ないとダメだとアラヴェナは言っているんです。

いずれにせよ、建物とか都市とかっていうものをつくる建築家として、彼はデザインだけでは仕事にならないと。社会に対してコミットしないと仕事もなかろうし、一方で都市であるとか、生活であるとか、思いに寄り添った設計が考えられないと困る。従来の建築の仕事がそれには寄り添えなくなっているよね、というのが前提にある話なんです。

Airbnbはどんな建築よりもインパクトを与えた

建築の仕事って、かっこいいデザインをつくっていればいいわけではなく、原理的な部分で、コミュニティをどうデザインするか、人の動態みたいなものをどうデザインし直すかというのが必要になってくると思う。

それは単純に、建物よりも都市生活、人の生活そのものをリデザインする領域に踏み込んでいかない限りは、建築っていうものがちゃんとした形で意味を持たなくなっていると。

Airbnbみたいなものが都市デザインに与えるインパクトは、どんな建築家もたらすものよりデカいわけですよ。だって、今までは「ひとつの導線に対して、ひとつの主体だった」のを解体しちゃうし、空間の所有を根底から変えちゃうじゃない。不動産や家を持つとか、事務所を借りるとかってこと自体が決定的に変わってきてしまう。

そういう領域も広がって、ドラスティックに建物の有り様も変わっていく中で、建築家は仕事をしないといけなくなる。だから、これからはいろんな視点が必要になるよね、というのが特集の根底にあります。

でも、特集をつくっている途中に「俺、そんな建築家の未来とか興味ねぇや」ってなって(笑)、もうちょっと広げて都市の話にしようと、構成をガラガラッと変えたんです。

まぁ、建築を志す人が、建築的な視点だけだと仕事は減っていくし、自分たちがもっと面白いことを考えたい時には、建築からのアプローチでない見方を取り入れることが必要であろうという、その根底は変わっていないんですけどね。

「最低の公園」を再興した、ニューヨークの事例

じゃあ、(今号の特集を)頭から見ていきましょうか。

今回は特集の前段として、ライゾマティクスの齋藤精一さん、Noizの豊田圭佑さん、SPEACの林厚見さんっていう仲良しで好きな人がいて、昔から知っているんです。3人は同じくらいの時期にコロンビア大学で建築を学んでいて、彼らは建築から一旦離れて、それぞれの分野で活動し、従来の建築に対して悲観的な視線を持って路線を外れていったけれど、日本の建築に対しては関心が高い。

デジタルクリエイティブに進んだ人が、彼らが望んでというより時代的な要請として、クライアントから「一緒に建物もつくってくれ」と言われたのもあって建築に戻ってきています。

たとえば、ライゾマティクスはアーキテクチャー部門をつくったし、最近ではチームラボも建築部門をつくった。それで都市と建築について話す機会があったし、彼ら3人をフィーチャーする形で特集をつくっていったのもあります。

ライゾマティクスの齋藤さんにはニューヨークに行ってきてもらった。ニューヨークはいま大改造みたいなことをやっている転換期。齋藤さんに「ニューヨークのどこへ行きたい?」と聞いたら「Bryant Park(ブライアントパーク)」だって。

ここは、昔は麻薬の密売人とかが闊歩している危険な場所だったのを、非営利団体の管理組織ができて、その人たちが公園をきれいにしつつ、いろんなコンテンツを入れ込むことで市民の憩いの場として活性化したのがあって、日本からも行政の人とかが視察でものすごく訪れている公園です。

今度、齋藤さんを呼んでイベントもやりますが、彼は宮下公園の再開発に関わっているのもあって、公園というパブリックな場所をどうデザインして、どう運営するか、いたるところでヒントになるものを見つけたいと。

すげー重要なのは、ブライアントパークをデザインした会社のシニアバイスプレジデントにも取材しているんですけど、敷地をどうデザインするかではなく、つくった後が非常に重要だと言うんです。

基本的に彼らは公園で行うコンテンツを非常に細かく、厳格なルールをもって運営している。企業に貸し出しもしているけれど、そのときには金を高く取るし、ルールも厳しい。でも市民には気軽に貸すし、料金も安い。社会性と公共性を確保してきたのをやってきたところなんです。

建築×音響は注目したい領域

National Sawdust(ナショナルソウダスト)」は、ブルックリンにできた現代音楽寄りのアーティストをインキュベートするための文化設備で、もともと工場だったところを作り変えて演奏できる場所にしている。

面白かったのは、ARUP(アラップ)という会社があって、大手ながら先進的なことをやる建築デザイン会社があるんですけど、そこにサウンドラボという、建物の音響を研究する部門があって、ナショナルソウダストの音響を全面的にやったというんです。特集ではここまで話が至っていませんが、建築的には特徴であると。

これも特集には入れられなかったけど、建物の音響設計はおそらく面白くなる領域なんじゃないかという気はしてまして。

今までは建物の音響設計といえばコンサートホールとかだったわけです。日本にも永田音響設計って企業があって、「世界一の音響」と呼び声あるウォルト・ディズニー・コンサートホールを手がけたりしているんです。

そういう従来のコンサートホールの枠を外れて、普通の建物とかをやっていくのが今後の重要なファクターになっていくような気がしていて、そこをにらんでARUPはラボを作ったんだろうと。

今のニューヨークは、経済合理性が高い「VIA 57 WEST」みたいな住宅街がある一方で、歩道公園の「HIGHLINE」のように経済だけでなくそこで暮らす人への広がりにどう貢献できるかが考えられている都市設計もある。

東京でも、HIGHLINE的な文化施設をどう設計し、どういう機能を街に足していくのかが重要になっていきているのかなと思うんです。

新しい建築家のための5つの視点

「新しい建築家のための5つの視点」は、特集のテーマだった「教科書」としての機能を持たせています。今回は、市民工学、コミュニティ、スタジアム、記憶、極限環境っていう5つを掲げています。

1:市民工学/架橋や河川工事は誰のためにあるのか

市民工学とは、要は「土木」で、みんなのために水道を整備したりとか、橋を架けたりとか、英語でいうシビルエンジニアリングのこと。記事ではローラン・ネイという橋をたくさん作っているベルギーのデザイナー……というか構造設計のプロなんですけど、いま人気のある彼に話を聞いています。

彼がよく言っているのは、建物の耐用年数からすれば橋のほうが長いからこそ、どういうものがその土地に残るべきかを非常に丁寧に考えている。

行政、市民、民間企業とステークホルダーがいろいろいるわけですが、彼がよくやっているのは、市民を呼んでワークショップをやって、「ここに橋が架かるならどういうのがいいか」をボトムアップで考えて、土木的な空間を高度なデザインでもって実装していっています。

僕は、土木に結構な興味を持っています。日本に大熊孝という河川工学の教授で、河川建築をどう社会の中に存在させるかを考えている人がいます。本を書いたりしているんだけど、その中に『技術にも自治がある』という素晴らしいのがある。

川に堰を作って水流を調整するのは行政が管轄する仕事だけど、川が氾濫すると困るのは、その川のすぐそばに住む人ですよね。でも、この人たちは川で何が起きても、行政が管轄しているから手を出せないわけです。それって、河川の周辺で暮らしている人にとってはリスクを高めているのではないかと。

河川の運営をしていく上で市民はどう参加しうるのかということを、いろんな実験をしながら考えているのですが、僕はそれを良い視点だと思った。行政が勝手に作って運営されるより、市民が参加して河川のメンテナンスをしたりする運営に僕は非常に興味があるので、土木という領域も、シビルエンジニアリングには市民が深く関わっている。

それを市民とか、そこに暮らす人に寄り添って設計し、どうやって運用していくのかを考えるのは建築としても面白い。そういう意味では、ローラン・ネイは橋をつくるワークショップをやったりしながら、設計図を引くだけではなく民意をすくい上げて、行政に橋渡しをするファシリテーションの地道な仕事をしていて、彼はベルギーで成果を出していると。

2:コミュニティ/地元から地元のビジネスを培養する

次の「コミュニティ」は、イギリスの話。2015年のターナー賞(イギリスの権威ある現代アートの賞)を建築家集団のAssembleが獲ったんですが、彼らは使えなくなったガソリンスタンドを飲み屋に変えて運営したり、要するに寂れた街にワッと入って、建物や空間をリデザインして、そこに人や物や金を流す、一種のまちおこしをやっている。

コミュニティをデザインで再興するというのは、日本でもいろいろやっているところですが、そういうトレンドがある中で、今回の記事でも別のイギリスの事例を挙げています。

割と治安が悪かったり、経済的にも恵まれていない場所に使われなくなった敷地があって、その活用案を募るコンペに勝ったのがカール・ターナーさん。彼は80個くらいのコンテナをそこに置き、いろんなお店を入れていって、一種のDIYなモールみたいな「ポップ・ブリクストン」を作ったんですね。それが1年くらい前で、非常に活気ある空間になっている。

ここで重要なのは、単純な商業施設ではなく、理髪店やレコード屋といった、クリエイティブに近いスキルや興味をビジネスにしたい人に格安の家賃で貸す、一種のスモールスタートアップのインキュベーション施設にもなっているのが良いところ。

空間を作って外からの資本が入って活発になるのではなくて、地元から地元のビジネスを培養していって、そこで循環していく発想なんだというのが重要で、そういう仕組み全体をターナーさんは考えてやっていると。

テナントには週に1時間の市民へのボランティア活動が義務付けられていて、地元にちゃんと還元しないといけないようになっているがゆえに家賃も安くしている。いわゆる、まちおこしのスキームなんですけど、建築家のカール・ターナーさんが自腹を切りつつ運営しているところで、コミュニティに根付きながら自給自足的なエコシステムを目指して作っているのが非常に優れているかなと思います。

ちなみに僕が特集を作っているときにわかったことがあって、ヒラリー・クリントンが大統領選のアジェンダを出したんですよ。ウェブサイトでも見られるんですけど、数ある中で、“Technology and innovation”(テクノロジーとイノベーション)というのがあって。

大統領になったらコレを大事にするという声明なんですけど、ハードウェアに限らないテクノロジースタートアップをアメリカの産業のど真ん中に据え、インターネットの自由というものを世界は守るべきとして、それが阻害されないように支援しますとか言っていると。

「なるほどね」と思ったのは、スモールビジネスやスモールスタートアップみたいなものを活性化することが、テクノロジーとイノベーションでは重要だと挙げられていたわけ。

俺の感じでいうと、シリコンバレーにはGoogleやFacebookといったITエコシステムがある一方で、ポートランド的なほっこりしたサードウェーブっぽい流れがあり、オモテウラでどうひっついているのがよくわからないと思っていた。

それをヒラリー・クリントンがテックスタートアップを産業の真ん中におき、デジタルドリブンなスモールスタートアップを増やすというのは面白いなと感じたんです。

アメリカの新規雇用の3分の2を生み出しているのがスモールスタートアップだそうです。でも、ITの良いところってそんなに人がいらないことにあるわけじゃない。ITの社会貢献は雇用を生んでいるといえ、たとえばGEとかGMとかが一社で30万人抱えるというほどのことではないし、ハードウェアは中国にアレしちゃうし、ITとかハイテク産業の復興はそんなに雇用を生まない問題があるとずっと感じていたわけです。日本に置き換えれば、トヨタがどんだけの人を食わしているかを考えれば、楽天なんて微々たるものだっていう。

でも、スモールビジネスのなかで新しい雇用を支えるというのは「なるほどね」と思ったわけです。グローバルチェーンのコーヒー屋ではなく、地元のコーヒー屋がいっぱいできて、そこそこの暮らしがみんなできたらいいというのが、これからの時代に必要な示唆で、そこまで考えるのが建築家の仕事だってことになるんだと。

3:スタジアム/都市とつながる「広場」こそ理想

「スタジアム」は僕が作った記事ですけども、スタジアムの問題って世界的には同じ話で金食い虫なわけです。作ってもコンテンツがないっていう話もある。

アメリカもイギリスも日本もそうで、非常にビッグビジネスになるのでどんどん派手にしたいというのが作る側の声だけれど、スタジアムを大きくすれば要は税金が投入されるので市民は怒る構造になっている。

その反省からロンドンオリンピックからは、オリンピックで使った施設を地元の負荷にならないように市民に貸し出したり、仮設で作って終わったらスケールダウンして市民が使うとかの取り組みをしていたわけです。

WIRED.jpで『リオ五輪に学ぶ「トランスフォーマー建築」の可能性』って記事を出したけど、リオ五輪のために建設したスタジアムはオリンピック終了後に解体されて、その建材で学校をつくったりすると。

アメリアのスタジアムも似た問題を抱えて、基本的にバスケや野球の試合があるときしか人がいないみたいのをいかに回避するかを考え始めているわけなんですよね。

記事では紹介していないけど、どこかのスタジアムではITのシステム会社が作った会議室がスタジアムにくっついていて、テナント貸しをしたりするわけなんですよ。アメリカではスポーツを観戦するためだけの場所でなくて、野球観戦は商談やカンファレンスの場として使えて、試合があればそこで接待して話せるようになっていると。

飲食や買い物、商談とか、機能を復号化させるのが、いまのアメリカにおけるスタジアム建築の非常に大きなテーマになっているわけです。都市とコネクテッドしている、都市を歩くような感じで中を歩けるのが大事と。

いちばんエクストリームなのは、セーフコフィールドとかを作ったアメリカを代表するスタジアム建築家のダン・ミースに話を聞いたのですが、彼の思想ではスタジアムの今後は「そこが広場である」というのがいいと。

そのモデルはイタリアのシエナで、街の真ん中にある広場で1年に2回くらい競馬をやる催しがあって、3万人くらい来る。終わると元の広場に戻るというのが理想的な有り様のひとつで、スタジアム建築で大事なのは可変性と複合性だと。

「都市のエンターテイメントをどう機能させるか」とセットで考えるのが重要な視点かなと思っているんだけど、僕が友達とよく話す話があって、さっき言ったみたいに「ある瞬間だけスタジアムとなって、ゲームが終わると日常空間に戻る」のはF1で行われていることなんですよね。

F1もトレンドが変わってきていて、今年のF1のコースに加わったのに「アゼルバイジャングランプリ」っていうのが始まったの知ってます? 完全にロードレースで、バクーという市街地でF1をやったんですよ。

最近は、F1のコースは完全な郊外だけだったのが都市型になっていく流れがあって、成功したのがシンガポール。ソチはオリンピックをやり、同時にF1もやる計画が走っていて、オリンピック会場であると同時にF1もできるという設計だった。プーチンがモスクワの市街地レースを許可したニュースが出たり、ロンドンでもやったりすると。日本はあいかわらず鈴鹿でやってますが、まぁ、とにかくノスタルジーのあるところで……。

東京でF1をやるアイデアがあったらよかったのにと思いますよ。それで世界の自動車関係者のトップやセレブがぐるぐる世界を動き回っているわけだから、東京でやれるとビジネスの経済効果がデカい。トップのビジネスマンが来るとそこにお金が落ちるだけでなく、流れの中での経済効果も大きかったかもしれない。

そういうコンテンツをどう都市に実装するのかが、文化的だけでなく重要で。ミラノ・サローネで世界中から人が集まるのと同じように、東京にそうやって人が集まることを開発できていなくて、ハードウェアとしての活用も発想できていなくて、スタジアムをつくるのはそういう複合的な視点でもって考えられるべきだったのに議論がないのは残念であって。

オリンピックが東京をリデザインするための起爆剤になるだろうけど、「オリンピックが終わったらどうするんだ?」。都市におけるスタジアムは市民にどう開かれるかの「機能」が大事で、デザインなんて実はさしたる問題ではなかったんじゃないか、というのが僕の好きな話。

4:記憶/歴史のレイヤーから固有性を編纂する

「記憶」に関しては、「都市はメディアだ」っていう話はずっとあって、消費する情報だけじゃなくてもうちょっと色んな物をはらんだ空間だと思うんです。いま日本で都市を情報空間としていちばん上手に読み解ける人って、タモリだと思うんですよ。

(会場笑う)

いや、冗談じゃなくて、『Pokémon GO』も『Ingress』も、『ブラタモリ』的なことで、歴史的に積み重ってきた情報をどう読み解けるかが、実は都市の豊かさ、都市空間の豊かさにつながっていくと思うんです。

タモリがブラブラして「ここの段差ってなんですかね?」って読み解くのは、その空間で過去にどういう人が生きていたかのレイヤーになっていくので、都市の厚みを作っていると思う。だから「記憶」をいかにデザインに組み込んで今に接続し、未来をどう浮かび上がらせるかが大事で。

土地の記憶とか、そういうものが、都市の固有性を作っているものじゃないですか。パリとロンドンと東京の何が違うかというと、歴史の中で積み重なってきたものが表出しているわけなので、その土地の固有性をどう見出すかは建築を考える上でも重要なのかなと。

ドイツ語のLandschaft(ラントシャフト)は「景観」と訳されているけど、ラントは州や国、シャフトは「◯◯らしさ(〜性)」だから、本当は「その土地らしさ」という意味なんです。

歴史的な農村でも何でもいいんですけど、あぜ道がなぜこの形か、ここになぜ神社があるかみたいに、文化的、経済的、あるいは当時の法律に則った形かもしれないけど、ある土地の空間の成り立ちには理由があるはずなんです。

その村のまわりでとれる農産物や海産物で暮らし方とか産業も変わってきますよね。物をどうやって流通させてきたのかで道の有り様も決まる。だから、ある空間は地理的、生物学的、気象、そこからの文化や民族、経済とか、非常に複雑な用件に基づいているのが大事で。

それは「歴史地理学」という学問が扱っていて、京都府立大学で歴史地理学の准教授をなさっている上杉和央さんからもお話を聞いたことがあります。いろんな要件が絡んでいる観点から変遷しなおすのは大事だと思って、今回の5つのアイデアに「記憶」を入れたと。

5:極限環境/天災とテロに立ち向かえる都市の条件

「極限環境」は、村上祐資さんという、南極の昭和基地を研究したり、地球上で火星をシュミレーションする空間で半年過ごしたりしている人に話を聞いています。

都市に想定外のことが起きている時に、都市設計はどこまで責任を負うのかが大事になっているときに、彼みたいな人間から学ぶことは大きいと思っているし、なかなか面白いことを言ってますよ。

「南極に建物をつくるのは、時間と空間と人生を設計することだ」と。

たとえば、ある外的なリスクに対して空間がどうやって対抗するか、自らをどう守るかは非常に難しいわけです。それをするために防波堤をどんどん高くするという考え方は全然ダメだよねっていうこと。

おそらく、この前の震災でも明らかになっただろうし、海外でいうと都市内部で起こるテロにどう対処するのかは都市計画でも重要になっていて、セキュリティエリアを増やして、壁を高くすれば回避できるのかというと、そういうわけではないだろうと。

それをどうしたらいいのかは、つまんない話だけど、コミュニティをいかにタイトに編成しておけるかが防御策にもなる。南極とかですげー激しい嵐になったときにどうサバイブするかは、ハードウェアの話ではなくて、人同士がちゃんと助け合えないとみんな死ぬという。

当たり前の話だけど、どうやったら助け合えるんだっけというのは、ハードもソフトも考えないといけないのが、こういうところにおける建築の話ではありますね。

重松象平さんの話に戻ると、壁を高く、セキュリティを激しくしても、おそらくは役に立たないだろうと言っていて。インタビューの中から、僕が割りといいなと思った部分を話しますけど、

「たとえばネイバーフッドというか、不満が蓄積しない程度にお互いがお互いを見合うような、低密度な都市づくりというものができないかと考えています」

「もう少し都市が、人間の心理的なものに対してこまやかに対応できる、自分で自分のウェルネスを作っていくシステムを目指していくことが大切」

と重松さんは話しています。そう思いつつ、この特集が出来上がったと。

デジタルスタートアップ的な都市開発の彗星

特集の最後には『デザインとしての開発』として、Westbank(ウェストバンク)というアグレッシブな不動産会社がカナダのバンクーバーにあって取材しています。

たとえば、バンクーバー市内は、あるボイラー工場で作った熱風を地下の配管を通して各世帯に送って暖房設備としているけれど、Westbankはボイラー工場の運営会社を買収して工場そのものを新しくしていくとか、スタートアップ的な、ダイナミックな仕事をしている会社です。

もうひとつはWeWorkというニューヨークでシェアオフィスをやっている会社で、ありとあらゆるところにシェアオフィスを展開していて、ヨーロッパと中国にも進出し始めています。

古いニューヨークのオフィスフロアを買ってきたり借りたりして、リノベーションしてシェアオフィスとして貸します、ということなんですけど、この会社はいま160億ドルの評価額をもっていると。

シェアオフィスの会社がそれだけの価値を持っているのがすごくて、彼らはデジタルデザイン会社のCaseも買収して、デザインを内製化している。設計するときは3Dスキャナーを使って、まず空間を3Dスキャンしてデジタルデータ化して、その空間にもとづいて3Dでデザインして実装するというのをやっていて。

持っているたくさんのオフィスから、どういう設備があれば、どうやって人が動くかもデータとして持っているはずなんで、そのデータと3D空間データを掛けあわせて効率よく不動産計画をしている。

やり方が完全にデジタルスタートアップっぽい成り立ちになっているのも注目に値するところかな。もともとそっちの人たちだったんじゃないかな。そこに限りなく近いと。

彼らみたいな会社が大きくなる理由は、アメリカにはフリーランスワーカーがものすごい数いるわけなんですよ。ニューヨークでは3分の1がフリーランスで、今後は半数からもっと上になるともいわれている。そうなると従来型のオフィスはいらなくて、フリーランス向けオフィスの需要は上がるわけです。

デジタルの「当たり前」を都市開発に持ち込む

最近の傾向として、有名なスタートアップインキュベーターのYコンビネーターがベーシック・インカムの実験をすると。

つまり、「テックスタートアップの観点からやっていきましょう」というのが増えている。GoogleもAlphabet傘下に都市開発をやる会社をつくっているし、おそらくYコンビネーターがやろうとしているのも、今までのデジタル手法を都市に投影して、スピーディーかつレスポンシブルな都市開発をしておこうという話だと思っていて。

いわゆる土建屋や不動産デベロッパーがぐちゃぐちゃとやって進めるスキームではなくて、これからの都市開発はテックスタートアップがITでやってきた仕組みを取り入れていくのが、ひとつ新しい部分かなと。

今までの「建築」っていわれているものは、すでに一部分しかカバーできていなくて。とりあえず特集として提示しておきたかったのは、都心について考えることは、これだけ広い射程が合って、それを観ていく視点もどんどんアップデートされているという。それに実際、何かを作っていきましょうというのも更新されていっている、という特集になっているよね。

(以後、質疑応答などをはさみ、終演しました)

若林さんは質疑応答で「新しい都市」をテーマすることに対して、一般人がどれくらいこの分野に関心を持てるのかを問われ、こう答えています。

別に都市設計とかには人は興味ないだろうし、隈研吾に興味があるのもニッチな人だと思うんだけど、AirbnbやUberがどう都市を変えていくかの観点から行くと、仕事上で考えておかないといけない人は結構いると思うんです。

ユーザーとしてというか、末端の消費者としては関係ないけれど、仕事する上では考えとかないと、考えといた方が良いかもね、という提案にはなっているのかなと。

私たちが日頃の暮らしや仕事で触れる空間は、そのほとんどが「借り物」であることは、案外に見過ごされがちのはずです。

公園や駅といった公共空間はもちろん、仕事場、飲食店、道路、住んでいる住宅まで「誰かのもの」に他なりません。逆に言えば、誰かのものだからこそ、「作る人」は「借りる人」のことを見つめていなければ、そこに心地よい共存は生まれないでしょう。

若林さんのトークと『WIRED』VOL.24は、そんなことを感じさせ、仕事や人生にもひとつの視点を与えてくれる一冊でした。

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Kento Hasegawa
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長谷川賢人/86世代の編集者・ライター/日本大学芸術学部文芸学科卒/フリーランス