雑誌にあってWebにない「社会性のインパクト」、そしてWIREDがチャレンジする課金モデル@若林恵の大独演会「編集の分際」より<1>

Kento Hasegawa
MEDIA BREAD
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12 min readOct 3, 2015

雑誌『WIRED』編集長の若林恵さんが3時間語るトークイベント『若林恵の大独演会』に参加してきました。オーガナイザーはBENCHの横石さん。横石さんは数々イベントなどを仕掛けてらっしゃいますが、ここまで振りきれたものは早々ないというか、ユニークというか。即チケットを買いました。イベント開催までの流れなどはpeatixのページにて。

2015年10月3日(土)、会場は東京・渋谷の「Red Bull Studios Tokyo Hall」。エナジードリンクのRed Bull本社5階にあるホールです。参加者にはRed Bullも振る舞われ、30名強くらいがゆったりと話を聞ける良い会場でした。また行きたい。

さて、イベントは、若林さんが事前に参加者からもらった質問に答えていく形式。質問はWIREDのこと、若林さん本人のことはもちろん、「ロボットと人間の一番良い形って?」「カルチャーって何だと思いますか」など、さまざま。

若林さんが応える話はどれも面白く、刺激的な良書を超高速で読んでいるかのような満足感がありました。SNSはおろか、録音や撮影もOKというゆるさでしたので、お言葉に甘えて、聞き書きメモをまとめてみます。

いくつか出たトピックより、個人的に刺さったウェブを含めた「メディア」のこと、「編集」のこと、「WIREDの未来」に絞って、それぞれ別立てにしていきます。まずは、メディアのことから。

若林:僕はあんまり自分から話さなくて、振られればしゃべる感じなんですね、割と。仕事もそうです。WIREDをやっていますけれど、テクノロジーがすごい好きかって聞かれると、そうでもなくて。ずっと雑誌の仕事をやってきたこともあって、振られた仕事に応えるのが8割で、自発的にやるのが2割くらいで。僕もこうやってひとりでしゃべるのは初めてなので、手探りな感じでやらせていただきます。よろしくお願いします。

質問:雑誌、Web、イベント、アワードなど、WIREDのコンテンツ同士の関係性をどうデザインされていますか?

若林:基本的には、でたらめですよ。WIREDはコンデナストの持ち物で、僕は「公園の管理人」みたいなもので、それをいかに広げるか、整備するかだと思っていて。

雑誌はコンデナストが出すからやる、Webは10年以上続いていて僕の意思とは関係なくやっている。一昨年からイベントをヘビーにやっているのは、雑誌は年4回の刊行で、Webは毎日更新だけれど、世の中に対して「やっている感」が出てないと思って始めたのが最初だったんです。当初はプロモーショナルな面が強かったけど、いまはもう少しコンテンツ的にやっていると。アワードも、クライアントが「やりたい」って言ってきて、「いいですね」という感じでやるという、外部から来ているのがあり、それをどうやるのがキモで。

雑誌とWebのシナジーは(今のままでは)生まれない

これ言うと会社の人に怒られるんだけど……雑誌とWebって、基本的にいかにシナジーをつくるかを考えないといけないんだけど、やってもやっても生まれないんですよ。「Web見てます!WIREDめっちゃ好きです!」みたいな人が、「えっ、紙も出てるんですか」なんて未だに言うんですよ。僕らのプロモーションがまずいのもあるかもしれないけど、体験がリンクしていっていないんです。WIREDは雑誌とWebが同じ記事ではなかったりもするので、もうひとつ、読者の中での概念操作が必要っていうか、そこがつながっていかない。難しいんですよ。

広告が入りにくくなっているので、雑誌には別の役割を与えないとだめだよね、という話です。Webとイベントはある種の親和性でつながっていくけれど、それをどういう位置づけにして、どう広告をとっていくか。最近は、イベントをやりたいクライアントが多いので、単体ではなくセットで、まるっと受ける形になると。イベントをやるなら告知とレポートの記事も出るからWebもついてきて、「それなら紙までやりましょう」と勧める設計になっていって。

紙は基本的に製作コストがかかるので「お荷物」なんですよ。市況も下がっているし、全体感でいくと下がっていくのは間違いないんです。WIREDに関しては雑誌をもう少し上げられると僕は思っているけれど、最近はWebコンテンツみたいのに比べても、紙は徹底的に役割でちがうものがあると。要は、僕が思うのは、「社会性を持つかどうか」が大事だなと思うんですけども。

ムラ化するWeb、社会の中にある雑誌

たとえば、吊り広告って意外と強いなと思うのは、僕がそれを見ているのが大事でなく、「周りのみんなが見ているものを僕も見ている」というのが重要だったりするなって。いっとき走っていたロボットレストランなんて、僕が見て周りが見ている、周りが見て僕も見ている、というのに大きな価値があるっていうか。

Webも「他の人も見ている」というのはあるかもしれないけれど、物理空間でそうなっているというのは、インパクトが全然ちがうなと。Webのバズって通じる人には通じるけど、通じない人には通じない。ムラ化していきますね。でも、ロボットレストランなら通じちゃう。

紙の雑誌がコンビニや書店に並んでいることって、メディアが社会性を持つという意味において、非常に重要なことなんです。複雑な流通機構に乗って、コンビニに並んでいることも含め、大変なこともであるし、それを経て社会化された存在になっている、そして人の目に触れて社会化していくのが大事だなって思うんですよ。雑誌は基本的にお荷物だけど、やめちゃえばビジネス全体が崩壊するかもって気もあるんですよ。「重し」みたいなもので。

紙の表現性はステートメントとして高いですよ。メッセージ性なら、紙はデザインや情報量や閲覧性の面で、ウェブに比べて高密度に提供できるので、WIREDの価値観の体現、ステートメントを出すものとしてプリントは有効性が高いと思う。だから、決定的に役割が違う。

クライアントが載せて欲しい情報を持ってきたとき、「Webの掲載でいいですか」と言うと、「できれば紙で……」って言うんですよ。目に触れる回数ならそれほど変わらないし、告知能力はウェブのほうが高いのに、紙の話をされるんです。これからは変わるかもしれないけど、Webでやるもの、紙でやるものをクライアントもセグメントできているのかもしれない。

ただ、基本的には重しは重しなので、あまり紙そのものでビジネス負荷をかけるとツラいことになる。部数は絞った形で、売りこぼしのないようにちゃんとやるっていう、ビジネス負荷のないようにやるべきことをやるのが重要かなと思っています。

「Webの記事がなぜ無料なのか」を解消する、価値付けとカテゴリ分け

Webは毎日記事が上がるし、人がアクセスしやすいっていうことでいくと、いまはメディア全体の中で大きなスペースを占めているかもしれないけど、僕はWebをやりはじめて、今に至るまで、「なんでこの記事が無料なんだ」ということに対して納得のいく説明は聞いたことがない。

ひとつだけ、ハフィントン・ポスト日本版の初代編集長の松浦くんが言っていた、「自分たちはソーシャルニュースで、記事を放り込んでいくのは無料でよく、そこは人が集まる壮大な井戸端会議である」は、なるほど、と。井戸の水は無料だけれど、そこに人が集まってくると、お店や屋台も出る。だから井戸端会議ができるネタを放り込んでいくのが大事だと。ネタは井戸端会議できるものであればなんでもいい……まぁ、どういう人を集めるのかもあるので、「エロはやらない」とかのルールはあるにしても、そうやっていると。

いまはあらゆるWebメディアは、無料で記事をディストリビューションしている以上は、構造としてそうならざるを得ない。ただ、そうすると、どんな記事も井戸端会議のネタにされちゃうのが、一方でそれはどうかという気持ちもあり。最近、僕が思っているのが、文体の話、形式の話。たとえば、ハフィントン・ポストの記事はすべて「ネタ」として存在しているけれど、WIREDの場合は、ニュースはネタとして井戸端会議に放り込めばいいけれど、そうではないものもある。

僕らはいま、記事の形式ごとにカテゴリを分けられないかと思っています。ニュースはただでくれてやってもいいもの。そこでバズが生まれて、新しいお客さんがやってきて、屋台が出るショバ代のビジネスもできる。でも、それ以外の記事で、「ストーリー」というものがありますと。よく海外の雑誌で記事をストーリーって言い方するんですよね。何か事件があったり、事象の裏側をジャーナリストが掘って記事化していくというのはあって、それはとても大変なんです。良いストーリーって着眼点が優れていないといけないし、ちゃんと取材の緻密さ、筆力も要求されるので、ニュースとは別のレイヤーにある。

読まれ方も、井戸端会議の対象ではなく、ノンフィクションの本を読むのに近い。それは自分がある種、社会の一断面に接していくことだったりするので、それは近所の人と雑談するタイプのものではなかろうと。ニュースとはちがうカテゴリになる。

もうひとつあるのは「インサイト」で、人の考えを表明したエッセイ、インタビューもそれに近いけど、その人なりの知見とかを世の中にストレートに出していくのがあって。読まれ方や届き方でいくと、井戸端会議での議論のきっかけにはなるから、半分は井戸端会議にためだけど、もう少し自分がちゃんと考えられるとか、新しい気づきを得るとかを目的としている作業だったりするので、ニュースとは切り離して考えられるのではと思っていて。この2つは価値の設定がちがうだろうと。

WIREDは「編集者の観点」から課金システムに取り組む

お金が一番かかるのはストーリーで、そこでもたらせるものの価値付けをちゃんとやったほうがよくないかと思っていて。来年にWIREDはリニューアルをするけれど、記事ごとのカテゴリ分けとしてニュース、ストーリー、インサイトの3層と、写真だけを見る「ギャラリー」もある形です。3層に分ける理由は、ニュース以外を課金したいわけです。うまくいくかはわからないし、難しい作業にはなるけれど、どうなるかなって。ただ課金はやってみたいんですよ。

結構勇気のいることだけど、その前段として、課金すべき記事とそうでない記事の整理をしたほうが良くて。読者のみなさんに周知していく、これは別物だという意識を持ってもらわないとなって思っているんですよ、単体の記事で課金は難しいから、サブスクリプションかなとか思ったり、悩みどころではありますが……失敗したらひっこめればいいので。

課金、課金と言っているけれど、世界を見ても、それほどうまくいってないんですよ。ドイツ版のWIREDが課金をやって大失敗したりとかもあるので、僕はいろんなことをちゃんと考えた上でやれば、もう少し課金もできるかなと思って、トライしたいのはあるんですよね。

あとは、ビジネススキームとして「いかにお金をデジタルチャネルで獲得していくか」はいろいろ考えられているんですけど、漠然と、「編集側の観点」からお金をどう取れるかはあんまり検証されていないというか。基本的にスキームの話ばかりで、どういうコンテンツを、どうデザインして、いかにパッケージすれば、Webでお金を取れるかはたくさんトライされていないんじゃないかと思うので、ひとつチャレンジしてみたい。

今もWIREDは通常の記事とは別にHTMLをリッチにした特設サイトはあって、それなりにボリュームもあって、読後の満足感も高いものもあります。滞在時間が12分くらいあって、読者もちゃんと読んでくれる場所になっていて、そこは課金できるものになってくるだろうと思うですよね。そういう編集やデザインを含めて、ストーリーやサブストーリー、連載が入ったうまいパッケージをして、紙で言うと24ページくらいの冊子みたいなものが毎週Web上で見られるみたいなのがあり、年間50種で何円みたいなサブスクリプションができないかなと。

生活において「月」という単位には、もうほぼ意味が無い

「WIRED Week Ender」というパッケージで、週刊で出していくのはやりたいアイデアでもあって、そこで初めて紙とWebがシナジーを持つかもしれないと思っていたりもする。Webの週刊誌を展開しちゃえと。WIREDは去年刊行数を増やしたけど、僕は「月間」より「週刊」にしたいんですよ。おそらく今、生活において「月」という単位はほぼ意味がない。「週」という単位のサイクルは強く、その中で生きているのがあるので、僕はまだ週刊誌にポテンシャルがあるのかなと思っていて。

週刊誌のいわゆる記事編成って、ここ何十年、ワイド特集っていう編集の仕方が出てきたのはイノベーションと堕落とどちらもとれるけど、フォーマットはほぼ変わっていない。『FOCUS』などの写真週刊誌が出てきて以降、新しい週刊誌の形式が生まれていない気がしていて。英語版の『TIME』はいつ面白いなと思っていて、伸びてはないと思うけれど、週刊誌としては成立している。1週間擦れてきた情報を留めていく機能として、可能性があるかなと思っています、

なので、質問にかえると、どのようにデザインしているかは、位置づけをいちいち確認しながら、やっていかないといけないという話で。うちはスタッフ全員が紙もWebもイベントも、すべてに関わる「トータルフットボール」だって言っているけど、「そろそ辞めな」と言われていて。ツラいんですよ(笑)。でも、案件が入って、その都度デザインするしかないという感じですけども。

(この記事は、長谷川賢人のブログ「wlifer」掲載のものを転載しました

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Kento Hasegawa
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長谷川賢人/86世代の編集者・ライター/日本大学芸術学部文芸学科卒/フリーランス