「誰でも写真家」の時代に自分らしさを見つけ出すには:TABF2016 岡本仁×奥山由之トークイベントより

Kento Hasegawa
MEDIA BREAD
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10 min readSep 18, 2016

2016年9月18日(日)、「THE TOKYO ART BOOK FAIR 2016」のイベントスペースにて開催された「誰でも撮れて、誰でも発信できる時代の写真“論” 番外編」をのぞいてきました。

登壇者は、編集者の岡本仁さんと、写真家の奥山由之さんです。

「番外編」と付くように、もともとは書店「SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS(SPBS)」で、岡本さんが全8名の写真家に公開インタビューをするシリーズであり、今回はそのサテライト企画としての位置づけ。過去のインタビューはZINEに収録され、SPBSで販売しています

岡本さんはマガジンハウスで雑誌『BRUTUS』や『クウネル』などを手がけた後、2009年からはランドスケーププロダクツに所属し、執筆活動もなさっています。

奥山さんは1991生まれ(25歳!)の若さながら、第34回写真新世紀優秀賞、第47回講談社出版文化賞も受賞し、雑誌や広告からも人気を集めています。作品作りに「写ルンです」といったフィルムカメラを使うのも特徴的といわれています。

今回は写真の「捉え方」と「撮り方」について、新鮮な気づきを与えてくれた部分をピックアップしました。ともすれば、スマートフォンで誰もが気軽に写真を撮る時代だからこそ、その価値は非常に高まっているのかもしれないと感じるのです。さらに、写真だけでなく、アウトプットの表現方法が異なっても通じる部分があるように思います。

およそ1時間半にわたるトークイベントから、聞き書きをまとめました。

今の20代は「レイヤーの感覚」を持っている

岡本仁さん(以下、岡本):
僕が腰を抜かしてしまったのは『BACON ICE CREAM』の展示が僕の常識を超えるような方法だったので、前回はその意図をまずお話しいただきました、展示のキーワードは「レイヤー」と「対局するものを混在させる」とお話していましたけれども。

奥山由之さん(以下、奥山):
基本的には写真集の世界を実空間で表現するのがテーマにありました。僕のやりたかった一つ目にあった「レイヤー」は、僕や20代の人は平面を「奥行き」をもって捉えていて。パソコンの世代だからかもしれないけれど、平面の奥に平面があるというレイヤーの感覚を持っている、それを体現したいと思ったんです。

展示の入り口はアクリルで透明にして、そこにタイトルが載っていて、その奥に写真が見える。そうすると、僕の写真を文字が乗っている状態でまず見ることになります。その空間をくぐりぬけて、写真だけになると、どう見え方が変わるか。

異なる写真を重ねていた(作品)のも、写真って10割が見えていれば真意がわかると思いますが、仮に1割が隠れているせいでわからなくなるかというと、そうでもない。写真の「見える割合」は本質と関係があるのかが気になっていて、9割が隠れても真意がわかる、あるいは1割でわからなくなるというのが、めくっていくことでわかっていく。

そういったイメージの変化を、歩く、くぐる、めくるといった体を動かすこと、体の仕組みを通して体感していくような展示です。

もうひとつは「相反するものを組み合わせる」っていうのもあって、(写真集のタイトル『BACON ICE CREAM』を例に挙げれば)しょっぱいベーコンと甘いアイスクリーム(の組み合わせ)もそうですけど、本来遠くにある2つが無理やり合わさっていると見えるものがある。「ソファが外に置いてあるだけで可愛い」みたいなことです。

あえて言語化しないことで浮かぶ「自分らしさ」

岡本:
この(『BACON ICE CREAM』の)展示をするにあたって5年間で撮った3万枚の写真から絞り込んだという話を(前回のトークで)してもらったんですね。その時のキーワードが「言語化しない」、目だけの会話で選ぶということをおっしゃっていた。

奥山:
結局、写真を選ぶのは、ものすごいその人の個性になるというか。撮るというのは瞬間を選べないと思うんです。「瞬間がきた!」と思ってシャッターを切っても、もうズレてしまっている。

だから、自分がいつ撮っても撮りたいものになる、その瞬間になる場所をどう作るか。そして、そこから選ぶのは写真家のすごく大事な仕事だと思う。僕の写真をホンマタカシさんが選んだら、ホンマさんの作品になるじゃないかと思えるくらいに大事な仕事で。

具体的には、どうしても選んでいると言語化したくなるんですね。写真集をつくるにしても、仕事においても、「どっちにしようかなぁ」と思った時の理由付けを自然と言語化してしまう。写真集をつくるなら(一本筋が)通ったテーマがあると選びやすいんですけど、自分らしさを思う時に、何にも言葉が存在しない状態で選ぶのが一番難しい

「自分らしい写真とは何か」を絶対に言語化しないで選んでいくのをやってみたいと思って、(『BACON ICE CREAM』では)仕上がったものを見てから言語化しようと。できる限り言語化しないで、5万から、5000、3000、200枚と3ヶ月くらいかけて絞っていった。

でも、日によって違うんですよね。レイアウトしていってもそうで、昨日は良く思えた並びが今日はそう思えない時もある。それは言葉にしない、本来悪い表現とされる「なんとなく」という作業。(伝えたいことを)文章にできるならするけど、(それだからこそ)やってみたかったんです。

強い写真を残すには「撮ろう」をまず忘れる

岡本:
5月(のトークイベント)で言っていたのは「写真を撮ることが一番上にきている写真は弱い」と。楽しいことが第一にあって、思わず撮ってしまったものがいいと話していましたね。

奥山:
「楽しい」が条件だけではないですね。「写真を撮ろう」というのが一義目だと弱い。撮るっていうのが「結果的に撮る」だといいんですけど。

ある時に、写真集にしようとも思っていない(で撮っていた)ものたちをまとめてみようと後々見直したら、ものすごい強かった。人に見せる前提がなく撮っていたから、「撮る」っていう目的が(最上位に)なかった。

たとえば、その人と一緒にいる、友だちと遊んでいることが目的で、「これはとりあえず収めたい」としたものほど強さがすごかった。特に人物の写真はそう。

あと、(対象が)好きすぎると自分が出なくなっちゃう時ってのもあるんですよね。「好き好き!」ってパワーが前向きに働くこともあるけど、それだけじゃないというか。『BACON ICE CREAM』に入っている餃子の写真は、撮影が終わった後にスタッフと食事をしている時に撮ったものですけど、僕はそんなに餃子が好きじゃないんです(笑)。でも、その気持ちがあるから画角が中心からそれていたり、ピンが甘かったりするのが良かった。

仕事で撮る時も、スタッフと一緒に作ることもあるけれど、一義目が「撮ろう!」という感じになるのを、ちょっと忘れてしまうくらいのことって、たまにあって。15分くらい撮ってない時とかの仕上がりがすごかったりするから、いかにその環境を一緒に作り上げている人たちと育めるか。もちろん、他の人には、他の作り方もあるとは思います。

岡本:
この話については、詳しくはZINEを読んでほしいのですが、篠山紀信とおすぎとピーコの話を延々しまして、そういう存在になれたらいいと。今の話が面白くて、前回はそればかり聞いてしまったんですよね。ぜひ、ZINEで読んでみてください。

デジタルカメラは「見る人」にとって冷たい?

岡本:
もともと奥山くんは映像を撮るのが先にあり、写真は後で始め、今は両方やられていますが、そもそも「写真をやってみよう」と思ったのはなぜ?

奥山:
映像って点と点の間の線じゃないですか。その線が、波線なのか一直縁なのかは切り取る人にとって見え方が大きく違ってくる思うんですけど、映像はセリフもあって、音があって、尺もあるから、時間がある分の情報量が多くて、(見る側の)感じ方が固められちゃうところがある。

それは強さでもあって、10年後に見ても(初めて見た時と)印象がそれほど変わらないことが大きいけれど、写真は2週間でも印象が変わる。同じ写真を「いい」と選ばないときがある。

(映像が線なら)写真は点になる。その点が「どういう線の点なのか」を選び出すのが、その人の力だと思って。点の前後にある経験で日々の捉え方も変わってくるのが面白い。映像の絵コンテを書いたり、そのために風景を模写したりした時、そこにすごく奥行きや、奥ゆかしさ、色気を感じたんです。見せすぎないチラリズムじゃないけれど、それはエロという意味でなく、奥行きを感じるのが写真の良さだと思った。

(写真を始めた)当時の僕は「なぜ駅張りのポスターはその良さを完全に消しているんだ?」と感じていた。今では年齢も重ねて、家賃も払わないといけないから(笑)、写真の捉え方も変わったけれど、今でも出発点はそこにあるんです。

岡本:
映像から写真の面白さを見つけた時に、フィルムカメラを選んだ理由は?

奥山:
撮った時の温度感や空気感ってあるじゃないですか。その場で「良い」って判断するのは、その温度や空気を込めたまま写真を見てしまう。ポスターや雑誌なら何ヶ月後ですけど、それって将来見る人たちに冷たいと思うんです。

コンビニでパラっと見た時の感覚と同じように(自分も)見ないと寄り添えない。撮っているものをすぐにチェックできるとなると、やっぱり便利だから見たくなっちゃうけれど、極力したくないのがあって。

* * *

奥山さんの写真集と展示の『THE NEW STORY』は「光」をテーマにしたものということから、質疑応答では「奥山さんが光を捉えるためにしていた訓練は?」と質問が。

奥山さんは少しむずしそうにしながらも「光の滑りや光の凹凸をいかに捉えるかだと思っています。光よりも影をよく見ることじゃないですかね。訓練か……数は撮ってきたと思います。学生時代はバイトを5つ掛け持ちしていて、バイト代はネガにすべてつぎ込んでいた」と答えました。

新世代の旗手として注目される奥山さんであっても、ある一定量の数を黙々と積み上げてきた時期がある。どうしても「才能」や「観点」に目がいきがちなのですが、その事実はしっかりと受け止めなければならないと感じます。

ちなみに、熟練の陶芸家にも似たような面があるそうです。以前にある取材で「迷いがなくなるのは、数をこなしていく経験でしか到達できない。その時になって、同じものを無になって作っていけたり、ハッと気づいたものを形にしていく力がついていく」と聞いたのを思い出しました。

良質なインプットと、膨大なアウトプット。そして、感情や感覚に正直かつ敏感に思いをめぐらし、表現へ反映させ、時には「なんとなく」を信じ切ること。その経験を積み上げた先に、やっと現れてくるのが「自分らしさ」なのでしょう。

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Kento Hasegawa
MEDIA BREAD

長谷川賢人/86世代の編集者・ライター/日本大学芸術学部文芸学科卒/フリーランス