

学ぶのをやめて、実践しよう。
検索するのをやめよう。あなたの探し物は既にあなたの中にある。
あなたは本やブログやハウツー本を読んで、Youtubeのビデオを観て、ポッドキャストを聞いて、光り輝く黄金の情報のかけらを探し求めている。そこからもっと意志の力や自制心を得るために、あるいは知識が増えたことに喜びを感じるために。
あなたは絶え間なく新しいアイデアを探している…生産的だと、幸せだと感じさせてくれるアイデアを。満足感を感じさせてくれるアイデアを。でもあなたは幸せになるために必要なことはもう全て持っているのだ。
既に持っている物を使うよりも新しい情報を探す方がより簡単なのは何故だろう?
それはきっと私たちには何かが足りない、何かがもっと必要だと訴え続ける広告ビジネスのもたらす副産物なのかもしれない。
きっと新しい情報を探すことが良い気晴らしになるからかもしれない。
今持っている知識を利用するということは苦痛で面倒だから失敗してしまう、ということが原因の根っこにあるのかもしれない。
例を挙げよう。
私とガールフレンドのAmandaは二日前の夜にこんな会話をしていた…彼女は執筆でお金を稼ごうと考えると、いつも如何にそれが彼女には不可能であるか考え始めてしまうのだ。
6ヶ月前に二人で南米を旅していた頃は、自分なら何だって成し遂げることができる…そんな風に彼女は感じていた。でも何かがゆっくりと変化を続けていて、彼女の目の前で開いていたドアはどんどん閉まってきているようだ。
彼女はストレスを感じるようになった…数ヶ月前は沢山の作品を書き上げていたが、徐々に書く量が減り、感受性も乏しくなり、生産的ではなくなったきたからだ。私もこの話にはすごく共感できる。私も旅の後に働き始めた時にそういったストレスを感じたことがあった。幅広い視点は実はそんなに重要ではないのだが、そのストレスは私をクタクタにして、サイドプロジェクトに費やす時間を減らし、ゴールまでの道のりが程遠いと感じさせるのだ。
Amandaが彼女の抱えている問題に共感してくれる人間を探していることはわかっていた。自分はその問題の対処法を知ってるけどそれをしない、だから気持ちが落ち込んでいるのだと、彼女は私に理解して欲しかったのだ。彼女がそれを求めていることを私はわかっていた、でも私も日々の暮らしに疲れきっていた。私はその問題をなんとかしようとした。朝の習慣を作って、瞑想を始めて、日記を書くようにして、気を散らすものを遠ざければ、彼女はもっと書けるようになって問題も解決するのではと思った。ここで私が気づいたのはこういうことだ:
私は彼女に問題を解決するための情報を提供しようとして、彼女はすでにその情報を持っていた…彼女はすぐに実践すればよかったのだ。
彼女はプロのライターになるなんて自分には不可能だ、あるいはありえないと自分自身に言い聞かせていた。そうやって心理的過程と折り合いをつけて、辛い感情を避けていたのだ。私も自分の人生をなんとか変えようとして、この心理サイクルは何度も経験しているから良くわかる。彼女は自分の欲しいものは不可能だと自分に言い聞かせていたのは、彼女がそれに対してもはや努力を注がなくなっていたからだ。文字で書くと何だか馬鹿げたことに感じるが、こういった思考のループは皆にとても共通することで、これにより私たちは自分の尻尾を追いかけ始め、ぐるぐる回ってどこにも辿り着けなくなるのだ。
彼女はいつしか、書いていないことに罪悪感を感じるようになった。罪悪感は人を不快にさせる感情で、その反射運動として人間は罪悪感を感じた元を抑制し、無視し、ついには逃げ出してしまう。彼女は書くことをそういった罪の塊と考え出して、書くことについて考える時間が減ってしまった。そういったことを何度も繰り返すことで、そのちょっとした過ちはどんどん大きくなっていく。そして私たちはこれをやらないやりたくないと言わずに、私たちには厳しい、できないといってしまう。
こういった自己否定のループを止めるには、そもそもの理由を理解することだ。
Amandaが罪悪感を感じるようになったのは、望んでいるよりも彼女が執筆できていなかったからだ。彼女がどれだけの量を執筆したかったかは知る由もないが、僕が考えるにその量はとても少ない量だったのではないだろうか。彼女は、自分は執筆するための十分な時間とエネルギーを持っていると思っていた…たとえフルタイムジョブで、別のサイドプロジェクトを持っていて、ヘルシーな食事生活を送り、ソーシャルライフもきちんと管理し、ほとんど毎日運動をこなしていても。彼女は私たちのほとんどの人々が同じようなことを抱えていて、そしてそれらを全てこなしていると信じていた。彼女もそれを全てこなすしかなかった。全てこなせなかったと認めるということは失敗を意味しているからだ。
彼女は自分自身に非現実的な期待を抱いていた。一つの仕事は沢山の時間と多大なエネルギーを伴うものだ、だから彼女にもリラックスしてエネルギーを回復するための時間が必要だったのだ。仕事の後に執筆する自分を期待するのはガソリンタンクが空の車に走ることを期待するようなものだ。人間には休息が必要であるということを許容しなければ、休息をとったときに罪の感情が引き起こされ、自分自身の評価を下げてしまう。評価を下げることでお粗末な結果を残し、それにより自分がダメな人間であることを認めて、状況はどんどん悪くなる。
私がこの例を挙げたのはこれがごく最近に起こったことで、鮮明に憶えているからだ。でもほとんど全く同じことを私は度々経験している。私はヘルシーな食生活を送り、もっとエクササイズをして、幸せに暮らして、他にもたくさんのことをやりたいとずっと思っている。私は自分自身に本当に期待していることについて考えようとしなかったし、それらの期待が無理のないものかどうか考えようともしなかった。私はただ新しいプログラムや情報の一片を探していた。Paleoダイエットやkettlebell運動、毎日日記をつける効果についての研究など、新しい情報を見つけては定期的にそれを実践することを自分自身に期待した。
あなたが自身の振る舞いを変えようとしている時、あなたは自身の奥深くに統合された習慣を変えようとしている。スペイン語には習慣を蜘蛛の巣が鎖へと変わる様に例えたことわざが存在する。あなたが何かをすればするほど、同じ状況でその行動をとるようになる…体がその状況に適応したからだ。良いアイデアだからといってあなたが今までの食習慣や運動習慣からそれに瞬時に乗り換えるなどということは現実的ではない。毎日の習慣を本当の意味で拭い去るにはそれこそ何ヶ月もかかるものなのだ。
もし無理のない期待を定義しなかったら、あなたは度を超えた期待を抱くことになるだろう。
もしあなたがPaleoダイエットの利点を聞いて、納得のいく程度の失敗を考慮せずにPaleoダイエットを実践すれば、あなたはきっと毎日Paleoダイエットを実践する自分を期待する。そしていつか美味しい食べ物(それは私が今日の午後に食べた贅沢なチョコに包まれたクロワッサンのようなものかもしれない)の魅力に負けて、罪悪感に苛まれるだろう。自分自身への期待を裏切ったことに対する罪悪感によってあなたは自分を惨めに思うだろう(自分は弱い人間だ…ダイエットなんてできないんだ…)。さらに簡単に屈服するようになるだろう。この状況はあなたがはじめに掲げていた目標を捨て去らない限り続くのだ。
これは適用しようとしている新しい情報の種類が問題なのではない、Paleoダイエットであれ、Crossfitのエクササイズであれ、走ることであれ、書くことであれ、もっと他人を思いやる気持ちを持つことであれ、どれも同じだ。もしすぐに自分自身が変わることを期待したなら、失敗に直面した時にあなたは罪悪感を感じ、自分自身に負い目を感じ、そして失敗するだろう。
私たちはすごくファンシーで複雑なダイエットやプログラムや情報に無駄な時間を費やしている…それを実際に試すまでは本当に自分をポジティブにしてくれるかどうかについて許容できないからだ。私たち自身に対してもっとポジティブになるためには、人間性を許容する必要がある。
私たちはコンピューターではない。Paleoダイエットをアップロードして、今から死ぬまで草のみで育った動物の肉やケールだけを食べて生活するなんてことはできない。
チョコレートでコーティングされたクロワッサンは最高だし、もしあなたがその誘惑に負けて食べてしまっても全然問題ではないのだ。私たちはこの時代を駆け抜けながらいつも新しい情報を探している…そうやって自分が求めているものを達成するためにはまだまだ知るべきことがたくさんあると自分自身を納得させているのだ。あなたは体重を落とす方法を十分に知っているし、健康でいる方法も十分に知っている。でも自分が完璧でないことを認めたくないから、それらを実行せずにまた新しい情報を探してしまうのだ。