40歳の今、私の人生が始まる。情熱とともに。
去年の1月、私はTwitterを退職しました。
世界最高の会社の1つを離れるなんてクレイジーで向こう見ずに思われるかもしれません。でも私には変化が必要でした。イライラして怒りっぽくなっていて、このまま残っても誰に対しても良い影響を与えられないと思ったのです。
振り返ってみると、バービー人形で遊んでいた少女の頃から私はいつか自分自身のために働いて、やりたい事業を立ち上げることを夢見て来ました。
「買い物客」にではなく、お客さんのフェイク・ファーのケープにぴったりの鮮やかなピンク色のオペラ・グローブを売るような「店主」になりたかったのです。
そして今、私は人生で1番のチャンスを迎えています。25年間ファッション業界で撮り続けてきた夫のジェイソン・リカーとニューヨークでフォトスタジオを開いたのです。
それで私はストックオプションとして得たTwitter社の株式と貯金の全てをこの無謀な夢に注ぎ込みました。ジェイソンの才能と私の商才を信じていたのです。そして4月にはブルックリンのクリントンヒルに「リカー・スタジオ」をオープンしました。この決断はある意味、私たちが人として、そしてアーティストとしてどんな人物なのかを最も良く説明してくれていると思います。正直さ、愛、クリエイティヴィティーを大切にする人間としてです。
ここに至るまでは簡単ではありませんでした。どんな感じかですって?もしあなたがどのようなものであれクリエイティヴ・ビジネスのスタートアップを立ち上げようとすれば、周りの反応は次のようなものでしょう。
「何でよりによってフォトスタジオなの?私の知り合いのフォトグラファーはみんなスタジオを閉めてやめてしまったよ。」
「儲からないさ。9か月後には破産だね。」
「写真で食べていける時代は終わったんだよ。」
面白いことに、20歳そこらの若者たちが作った出来の悪い新しいアプリやスプレッドシートにヴェンチャー・キャピタルが投資してしくじりそうになっても誰も何も言わないのに、世界でも指折りのテック・カンパニーで15年の経験を積んできた40歳の女性が「クリエイティヴ・スタートアップを始める」と言った途端、ありとあらゆる方面から疑い深い目で見られたり、お節介なアドバイスをもらったりするのです。
思うのですが、最近は「コンテンツ」(むしろ私は「アート」と呼びますが)そのものにこそインターネットの価値があるのだという事実が軽視されている気がします。フリーのコンテンツを生むクリエイティヴな人々がいなければ、見たり読んだり考えたりする価値のあるものはインターネットから消えてしまうでしょう。
でも、このようにアーティストが無料で作品を提供するのが当たり前のような最近の風潮は変わりつつあるのです。例えば、私はカニエ・ウェストが最近つぶやいたこの内容に心から共感します。
ひたむきで才能のあるアーティストは、自分たちの知的財産(音楽、写真、著作、イラスト、演技等)でそれ相応の生活が出来るべきです。それなのに何故TwitterやFacebook、Spotify、Apple Music、Mediumといった各種メディアばかりがリッチになってアーティストは投げ銭程度しかもらえない(もしくは1銭ももらえない)のでしょう?
ところで、少し脱線しますが、私はこの日曜で40歳になります。
正直怖いです。皆さんも心底怖い思いをしたいなら、新しいクライアントがどこから現れるか心配しながらニューヨークでクリエイティヴなビジネスを始めてみるのがいいですよ。
でも私はこの種の強烈な怖れからなんとか抜け出すことができました。自分自身を認め、子供の頃の嫌な思い出(自分の体型への嫌悪やいじめを受けたこと等)から立ち直ることが出来たのです。今はそれほど怖れはありません。
それと同時に私は自分自身の影響力がどの範囲に及ぶのかを分かっているので、メディアやテクノロジー業界で働く女性のイメージの1つとして私の生き方が皆さんの参考になればと思います。
自信を新たに持つことが出来たのが嬉しかったので、2016年のヴァレンタイン・デーにジェイソンと私は写真をスタジオで撮りました。この3か月間続けてきたダンスと有酸素運動、キックボクシング等をしながらカニエ・ウェストのThe Life of PabloとリッツオのBig Grrrl Small Worldを聴いていたのです。
40歳で私は1番なりたい自分になれました。私の生き方が、自分の夢を追うのはもう手遅れだと思い込んでいる方々の励みになれば幸いです。
周りの人たちが言ったように、私たちのスタジオは失敗するかもしれません。でも、人は未来を予知できないはずです。
だから私はダンスをし続けます。そして、これから何が起きるのか、この目で見てみようと思っています。
皆さん、お元気で!