Facebook を「閉じる」

Haruo Nakayama
5 min readMar 19, 2015

わたしの名前は Lauryn Tuchman。38歳の元 Facebook 中毒。

約7年もの間、Facebookを熱心に使ってきたのだけど、そのアカウントを3週間前に削除したの。アカウントを作ったのは2008年、ちょうど私たち夫婦にとっての第一子が生まれる前のことだったわ。思い出と再開するのは楽しかった。元カレ、高校の「友人」、サマーキャンプで一緒だった人たち…それから5年後、Facebook 上の友達は400人にまで増えていた。そんなに大勢と面識があったなんて、思いも寄らなかった。少なくとも、そんな多くの「友人」がいたことはなかったもの。

暇つぶしといえば Facebook、そんな日が続いたわ。友達の(あと、350人くらいの「面識がある」人たちの)日常を知るためにニュースフィードを眺める日々。2度の産休中(2人めが産まれたのは2011年)どちらも、そうやってみんなとつながっておくのは楽しかった。けれど、ソーシャルワーカーとして介護の仕事に復帰してしまうと、以前からの趣味だった文章を書いたり本を読んだりする時間はまったくなくなってしまったのよね。さらに悪いことに、限られた時間をそういったことに使うこともなく、ただただ Facebook を眺めていたの。今思えば恥ずかしい話だけど、これって中毒よね。当時は子供たちと一緒にいても上の空だったし、夫と一緒に車に乗ればイライラしていたわ。

当時は Facebook が現実逃避の格好の道具になっていて、それに気づけてもいなかった。ひどい話だけど、今では一番大切にしていて、もう取り戻せない、そんな時間すらも あのころは Facebook につぎ込んでいたし。

とはいえ、そのころから Facebook のせいで不安を感じるようにもなっていたの。そもそも打たれ弱いほうだし、過去には人間関係で悩み苦しんだこともあったせいか、 近い親戚や本当の友人でさえもあんまり投稿しなかったり、「いいね」の回数が減ってきたりすると「わたし、軽んじられてるんじゃ?」って感じたりしていたの。それに、自分はというと、いいニュースであれ悪いニュースであれ、なにか更新があればリアクションしなきゃいけない。そんな気になっていたと思う。

ここに及んで、Facebook 上のつながりはほころび始めてきていたわ。すっかり見かけだおしのものになってしまっていて、そんなもの失ってしまった方がいい、とまで思うようになっていたの。

Facebook を見るのはこれでおしまいにしようか。そんな風に思い悩むようになっていたのだけれど、半年ほど前、家族と一緒に引っ越してからは、そんな悩みも徐々に薄れていったの。引っ越し自体、とても楽しかった。住民専用プールの会員になったり、子供たちの習い事を申し込んだり、地元レストラン用のテイクアウトメニューリストを作ったり、新しい人付き合いが始まったり。けれど、すぐに Facebook 上で「友達」申請を送りあうようになって、はたと気付いたの。実際に会ってちょっと話したりすることもなく、新しくできた「友達」一人一人のことをあれこれ知ってしまってるって。Facebook 上で新しく「友達」になった人達と Facebook でやりとりをしたり、そもそもそういった形で交友関係を続けていくことを「もう無理」って思うまでになってた。不安感が日に日に増していて、SNS や実際の人付き合いに押しつぶされそうになっていたの。

だったらいっそのこと…そう思って、Facebook を退会したわ。当時はちょっと後悔もあって、アカウントを再開しようかと考えたり、夫に「Facebook でなにかニュースあった?」と訪ねたりしてた。でも、何日かたつとそんな後悔もなくなって、オフの時間を楽しめるようになっていたの。慌ただしい日々を送りつつも、面白い本を一冊読み切る(とってもいい本だった)こともできたし。前回の休暇の時以来、ほんとに久しぶりに本を一冊読み終えられたの。あと、ずっとご無沙汰だった、文章を書くことも再開できたわ(もちろん、家族や友人達からの「なんで Facebook やめちゃったの?」「なにかあったの?」といった質問にも答えつつだけどね)。

だから、これは「週末 Facebook 断ち」とかではないの。アカウントがハッキング被害にあったからやめるわけでもないし、アカウントについてのメールが山ほどきたから、ってわけでもない。

Facebook とはもうお別れ。退会してからというもの、Facebook には載らない、家族や友人達とのプライベートなつながりを本当に満喫しているから。本当に大切にしたいつながりのために、もっと積極的に行動するようにもなったわ。

最近、Facebook 退会一周年を迎えたのだけど、お祝いのカード、メールに電話、鉢植え(同僚から)と、色んな形でみんながお祝いしてくれたわ。Facebook で膨大な数の「おめでとう」メッセージがきたりすることはなかった。けれど、みんながすごく気にかけてくれている、そう感じることができたの。

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Haruo Nakayama

ex-Medium Japan translator. Trying hard not to get “lost in translation”. 元Medium Japan翻訳担当。