女の子らしくコードを書く、ということ

Haruo Nakayama
12 min readMay 1, 2015

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この記事の元となっているプレゼンテーションは、オークランドで開催された AlterConf のものです。テーマはジェンダー・ダイバーシティについてでした。同カンファレンスでは、人種差別、障害、階級差別など多様なテーマについてのプレゼンテーションが行われていました。

Always (訳注:女性用品のブランド)の広告で、成人の男女に「走る・叩く・投げる」を女の子らしくやってもらう、というものがあります。頼まれた人々がそれをおこなう様子は、なよなよしくてひどいものでした。その広告では、次に、同じことを若い女の子達に頼んでみます。すると、彼女達がそれをおこなう様子はまさに「精一杯・一生懸命」でした。その後、「女の子らしくやる」ってどういうことかな?と尋ねてみると、女の子の1人がこう返します。「自分に出せる全力でやる、っていうことよ」。

残念ながら、ある程度年をとると、「女の子らしく何かをする」ということが何を意味するか、ある種の固定観念が身についてしまいます。具体的には、「だらだらと・なよなよしく・真剣に受け取ってもらえない」ようなやり方で何かをする、ということです。いったいこの固定観念は、女性や “non-binary”(訳注:自身の性別を男女のいずれとも認識していない人のこと)にとってどういった意味を持つのでしょうか。テック業界で働いていて女らしく振る舞っている人達、女の子らしくコードを書く人達(わたしもその1人です。)にとって何を意味しているのでしょうか。

今日は、女性として振る舞い、プログラマーとして20年生きてきた私自身の経験談と、同じような立場にあった女性達との会話からわかった彼女達の経験談を紹介します。もう一つ、テック業界やゲーム業界で働く人達が自由に性別を表現できるようになるために、私達に何ができるかについてもお話したいと思います。

「でも、プログラマーっぽくは見えないけど」

女性としてプログラマーという仕事についていると必ず受けるリアクションの1つに、「私がプログラマーだとは誰も信じてくれない」というものがあります。

実際に会って私の職業を知った人達に何度言われたかわからないくらいです。デザイナーか、経理関係か、マーケティング関係か……とにかく、私の職業はプログラマー以外の何かだろうと。

私はこれまで、週末のワークショップで講師補助として女性にコードの書き方を教えてきました。仲間の男性からワークショップ中いつも尋ねられるのは、プログラミングを勉強するのはどうだったか、ということです。

そこからわかったことは、女性らしくしていると初心者っぽく見えてしまうということです。プログラマーだと思ってもらえなかったり、いつまでも初心者扱いされるとすごくイライラします。というのも、私は8歳のころからコードを書いてきたからです。基本的に、いままでずっとプログラマーになりたいと思って過ごしてきました。MIT で学士と修士もとりました。ホンダの人型ロボット部門で ASIMO 用の機械学習アルゴリズムの研究を担当する客員研究員として働いたこともあります。

ただ、こういった経歴があっても、私のことを優れたプログラマーだと思ってくれる人はいないと思います。それにも関わらずあれこれ挙げたのは、あることを確信しているからです。私が白人男性でこういった経歴があった場合、誰もプログラマーとしての私を疑わないだろうということを。例え経歴がこれより劣っていても、事情は変わらないでしょう。

「どうせわからないでしょ」

ではここで、Pinterest のエンジニアである Tracy Chou の体験談を紹介します。数年前、彼女が技術系のカンファレンスに参加したときの話です。初日、ドレスを着て出かけた彼女は会場をウロウロしてみましたが、誰も話しかけてはこなかったそうです。そこで、参加者が採用しているシステム構成について、込み入った質問をしてみることにしました。そうすれば自分がプログラマーであることが伝わると思ったからです。結果は、「どうせわからないでしょ」と煙たがられて終わってしまいました。ひどくがっかりし意気消沈したまま帰宅した彼女は、翌日は行くのをやめようかとも思ったそうです。ですが、思い直して、2日目はプログラマーっぽいTシャツとジーンズで行ってみることにしました。すると、前日よりずっと楽しめたのです。まわりのみんなが彼女のことを技術畑の人だと思い、説明するときに手抜きしなかったからでしょう。

考えてみてください。コミュニティの一員として、こういったケースで何ができるでしょうか。

相手を自分と同じくらい、もしくは自分よりもその分野で詳しい人だと思うようにしてみましょう。

カンファレンスで話しかけている相手が女性らしい人であったなら、その人はカンファレンスのテーマについての専門家だと思ってください。

とある論文についてドレス姿の人を相手に偉そうに講釈する前に、一度思いとどまって「この人がその論文を書いた人かもしれない」と考えてみてください。

「それ、わたしが書いたんだけど」

絶対に、「誰と一緒に来たんですか?」などと質問しないでください。その人自身が興味を持ったからその場に来ている、と思うようにしてください。

相手の肩書や経歴を勝手に想像せず、礼を尽くして尋ねてください。回答がなんであれ、驚くような素振りを見せないでください。

「髪の毛を触るな」

話は変わりますが、「フィードバックをもらうときに、自分が女性であることを意識させられるようなフィードバックがくる」ことがよくあります。

よく覚えているのが、参加していたプロジェクトに関する発表を大学でしたときのことです。フィードバックをプロジェクトメンバーからもらい、これが一番良かったとメンバーが評価した発表に対して、教授から表彰が受けられる、というものでした。実際に、何度か表彰を受けたこともあります。バックアップ用の重複削除アルゴリズムについての発表や、画像処理のクラスで作った顔認識アルゴリズムについての発表に対してでした。ですが、表彰を受けるほどの発表であったにも関わらず、プロジェクトメンバーからは以下のようなフィードバックを常に受けていたのです。

「なんでスライドが全部ピンクなの?すごく目障り。」

「発表するときに髪をかきあげるの、やめてくれないかな?すごく気が散るんだ。」

「話すとき必ず語尾があがるね。」

これらに加えて、外見を採点するようなコメントも数多くありました。

Liz Rush とは去年の RubyConf で知り合いました。彼女が Ada Developers Academy を卒業して、プログラマーとしてのキャリアを始めたばかりのころです。公共データを組み合わせて利活用するプロジェクトに関するスピーチを、プロジェクトパートナー(同じく Ada Developers Academy の卒業生)と一緒に何度もしてきた Liz ですが、そういったときのフィードバックといえばきまって「その服いいね」だとか「きみ、かわいいね」などで、発表の内容に関するものではなかったそうです。質問をしてきた人達のなかには、発表が終わってから彼女に一度技術的な質問をした後に、「あー、やっぱりパートナーの方に聞いてみてもいいかな。彼女のほうが力になってくれそうだし」などと言う人もいたそうです。パートナーは女性らしい格好をしたりはしないタイプでしたが、Liz はそうするタイプだったからです。こういったこともあって、Liz は今年いっぱいはカンファレンスでのプレゼンはおこなわないことにしました。その代わりに、ダイバーシティに特化した女性中心のミートアップに参加したい、とのことでした。

これに関して、もっと改善の余地があるとは思いませんか。

「成し得たことに対して相応の評価を得られている。」テック業界で女性として振る舞っている人達(実際に女性であってもそうでなくても)がそう実感できるようになるために、

中身に対してフィードバックしましょうよ。

発表の最中に何か目障りなことがあったら、一度考えてみてください。「ひょっとして、これって単に発表の最中にそういったことを目にするのに自分が慣れてないだけじゃ?」と。

「相手が男らしくシスジェンダーな白人男性でも、おなじフィードバックするかな?」と考えなおしてみてください。

「これってプロっぽい?」

その他にも、女らしく振舞っている女性や “non-binary” な人達に特有の問題というのはいくつもありますが、特に悩ましいのが「プロらしくあるべきかオシャレにすべきか。インタビューやスピーチの場に着ていく洋服を決めるときはいつも綱渡り。」という問題です。

初めて技術的なプレゼンテーションをしようとしている女性が、発表前に「今度のプレゼン、ドレス着ていくなんて問題外よね?」とツイートする場面を何度も見てきました。彼女達が心配しているのは、「もし発表するときにドレスを着ていたら、内容を真面目に聞いてもらえないかもしれないし、余計なコメントや不快な誘いすら受けかねない」ということです。それに対して、これまでに目にしたネットコラムでアドバイスとしてよく出てくるパターンがこれです。「女性の皆さん、自分のプレゼンテーションで聴き手の気を散らすようなことをしてはいけません。小綺麗な格好をしておく必要はありますが、目を引くような派手さは必要ないのです」。

「きちんと化粧したほうがいいか、女っぽく見えないような服装にしたほうがいいか」で困っている女性を大勢見てきました。しかも、悩んだ挙句女っぽくあることを選んだ女性達に対し、 いかにも女性らしいフェミニスト達が小言を言う場面にも何度も出くわしました。

こういった流れは、「女性はありたい自分であればいい」と思うようになる人も出てくる、という点においては前進ではあります。Oppositional Sexism(排他的性差別主義)に対向する流れだからです。しかし、それは Traditional Sexism(男性優位的性差別主義)に対しては役に立っていません。女らしさと男らしさは同じくらい意味のあることだ、という主張よりも、女性はありたい自分であればいい、という考え方に同意してくれる人の方が多いはずなのに。

一例として、”Strong Female Character” について考えてみましょう。運命の女だったり魔性の女だったり、映画でよく出てくるキャラクターのことです。では、この女性キャラクターが荒くれ者だった場合はどうでしょう。やかましくて断定的、バイクを乗り回していて、拳法が得意、などなど。いかにも荒くれ者って感じ、しますよね?ですが、想像をいくら広げてみても、女らしく相手の立場に立って思いやり豊かに世界を救う “Strong Female Character” というパターンに思い至ることはないでしょう。

これはまた、Lean In という書籍に存在する問題でもあります。女性が「はきはきとしたい」と思い、それが本人の個性なら、好きにそうすればいいのです。それは望ましいことであって、批判されるべきことではありません。ですが、相手の立場に立って励ましていくことで人々を導くリーダーがいるならば、それもまた望ましいことなのです。

人々が自分をどう表現するのかはその人次第です。どういった表現であれ、個性として尊重しましょう。女らしさについても尊重し、そうありたいと思う人がいれば進んで受け入れましょう。

これこそがプログラマーっぽい見た目

「ジーンズにTシャツのほうがよく似あってるんだけどなぁ。なんでわざわざドレスを着たり化粧をしたりするの?おしゃれして感心させようとしなくてもいいんだけど。」と前に付き合っていた人から言われたことがあります。そう言われて、あーそうか、と実に多くのことに気づきました。まずもって「女らしさ」とは、大抵の人にとって男性を感心させる手段である、ということです。ですが、私は何より自分のためにオシャレをしていたわけで、彼が私のドレスや化粧を嫌っていようが何も気にしていませんでした。自分のためにオシャレしていたわけですから。さらに、自分自身のためにドレスを着続ければ、男性中心の父権社会に「ほっといてよっ!」というメッセージを強く示すこともできるはずだと思うようになりました。

結びに代えて:出来そうな気がするけどやる気が起こらない……まったく問題ありません。どんな活動よりも、自分を大切にすることが優先されるべきです。ですが、もしやる気もあるなら、ぜひ好きな服を着てでかけましょう。ド派手でも、奇抜でも、フリフリでも、ガーリーでも思うままにすればいいのです。ゲーマー・プログラマー・ゲームデザイナーとして活動しつつ、自由に行動しましょう。そうすることで、プログラマー・ゲーマー・ゲーム開発者の外見に対する世間のイメージが変わってくるはずです。自分らしくあり続ければ、この世はもっと「いい感じ」になっていくに違いありません。

謝辞

  • AlterConf: こういったテーマについて話しても大丈夫な機会を与えてくれてありがとう。
  • Tracy ChouLiz Rush: 2人の体験を紹介させてくれてありがとう。

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Haruo Nakayama

ex-Medium Japan translator. Trying hard not to get “lost in translation”. 元Medium Japan翻訳担当。