子どものためにパーフェクトな環境を整える必要はない

私が考える、母親としてのしつけのあり方

Ray Yamazaki
6 min readJun 14, 2016

By susan.speer

先日、近所のプールで子どもが走り回っていました。その様子を見ていたプールの監視員はその男の子に向かって走るのを止めるよう注意しました。それが彼の仕事だからです。すると、胸板が厚くて気難しそうな男が監視員に近づいて来て言いました。

「俺はこの子の親だが、やって良い事といけない事をこの子に教えるのは俺の役目だ。何か言いたい事があるのなら、子どもに言わず直接俺に言え。」

作り話ではありません。この父親は自分の子どもが他人から注意されたり叱られたりしていいか決めるのは自分だと言っていたのです。

プールで走り回る私の子ども

プールの監視員は熱くならず(私なら呆れて目をぐるりとさせるか、もっと酷くやり返したでしょう)その父親に向かって「プールの利用者の方にルールを守っていただくのが私の仕事です。それに『プールサイドを走ってはいけない』というのは、どのプールにもあるルールだと思いますが」と慎重に応えました。すると、その父親はまるで脅すようにその監視員に詰め寄って言いました。

「俺の子どもが何か間違ったことをしているようには見えないがな。だから、ひとこと言わせてもらおう。お前は引っ込んでろ。」

このやりとりからすると、「親である俺が認めたから子どもはプールサイドを自由に走り回れる、ルールなんてくたばれ!(ここはアメリカだ!)、俺以外に子どもにああしろこうしろと言える奴はいない」ということになります。

ええと、オーケー。

分別のある大人たちがおかしな怯えを覚えるようになってきています。ある時、私の妹の家族は何人か友達を家に呼びました。いえ、ひょっとすると妹の家族の方が友達の家に行ったのかも。いずれにせよそれはあまり重要ではありません。とにかくその場にいた1人の大人が、妹の子どもに向かって「食べ物やオモチャをシェアしなさい」といった大人が子どもに注意するような当たり前のことを穏やかに注意しました。それからその大人は、この21世紀では他人の子どもにどう接するべきかをはたと思い出し、自分が大変なミスをしたことに気づいて出過ぎた真似をしたと恥ずかしそうに妹に謝ったのでした。

「冗談でしょ?」と妹は答えました。「子どもたちが間違ったことをしているとあなたが思うなら、遠慮なく叱って欲しいわ。もっとお願いしたいくらいよ。子どもたちはね、母親である私以外の人の言うことも聞くようにしなきゃいけないのよ。」

もし私以外に子どもたちに注意する人がいなければ、子どもたちは世の中に対して全く非現実な甘えや幻想を抱くことになり、結果的に私は彼らをあらゆる意味でダメにしてしまうでしょう。しかも、いつまで経っても彼らが自立できなければ私は死ぬに死ねません。さっきのプールサイドで見かけた胸板の厚い父親のロジックからすると、ライフガードは他人の命を救えず、先生は教えることが出来なくなり、コーチはコーチングで人を導けず、マネージャーは管理出来なくなります。これが人生にどんな影を落とすか、分かりますよね?

アメリカ人はまるで強迫観念に取り憑かれているかのように子どもに過保護になり過ぎています。近所のお母さんたちは、文字通り毎日学校に足を運んで、我が子にテストで90点以上を取らせるため、生徒会に選出されギフテッド教育を受ける権利を得させるため、何に対してもうるさく口を挟みます。そして子どもが大学に入ると、今度はその母親たちは自分が全く無関係なのにも関わらず、わざわざ教授に子どものことで電話をかけて迷惑をかけるため、教授たちは電話を切った後でそんな親たちを笑うのです。

私の中学生の子どもは友人と一緒に学校の課題に取り組んでいましたが、何度も提出期限について注意を受けていたにも関わらず課題を期限までに提出しませんでした。するとしばらく経って、1度ほんの数時間顔を合わせたことがある程度の付き合いでしかないその子のママが私の家に押しかけてきて、いかに自分の子どもが先生から酷い扱いを受けたかについて延々と1時間近くも話し続けて全く帰ろうとしませんでした

彼女は、自分の子どもが今回の失敗でどれだけガッカリしているかを考えると胸が張り裂けそうだと言って何とかしたがっていました。しばらくして彼女はようやく帰ってくれたのですが、それは私が彼女に「悪いけど、状況をどうにかよく出来るようなアイデアが全く浮かばないのよ」と伝え、「教師が何とかすべきだと信じているなら学校の経営陣に直訴すべきよ」と提案したからだと思います。彼女からはそれっきり何の音沙汰もありません。

自慢ではありませんが、私の高校生の子どもはかなり失敗してばかりです。幸い重大な失敗はありませんし、まだ失敗から学ぶ時間は十分にあります。実はこのことについて最近話し合いました。私は息子に「あなたがこの家にいる間は大いに失敗していいのよ。だって、あなたは失敗して、そこから学んで、前に進んで行かなければならないんだから」と伝えました。

私の経験では、これこそが人生で1番大切なスキルなのです。

もし私の子どもたちの1人でも、大学の最初の学期で落ちこぼれ、道を見失ってしまったら、きっと私は自分を呪うでしょう。その時、私は彼らを助けてあげられないからです。あなただって大学寮で見たこういう学生のことをよく覚えているはずです。まるで忘れることの出来ない「影」のような存在の彼らを。

この文章は私の子どもたちを知る人へのお願いでもあります。どんどん私の子どもたちに注意して下さい。ぜひお願いします。「テーブルの上に足を乗せるな」と彼らに言ってあげて下さい。「走るな」とも。「ナイフで遊ぶな」、「人の物に触るな」とも。

実際には、彼らはもう大きくなったので、注意することと言えば「ポテトチップスやビーフジャーキーを全部食べるな」とか「飲み物をクリーニングしたてのカーペットにこぼすな」といったものになりそうですが。あなたの家のルールがどんなものであれ、それに従うように私の子どもに言って下さい。これはあなたのことを思ってではなく、私の自分勝手な思いからなのです。

© Susan Sheffloe Speer, 2016

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