なぜ私はスキッド・ロウを6年間も撮り続けたのか?

Ray Yamazaki
8 min readFeb 12, 2016

by Désirée van Hoek

スキッド・ロウでは、住人たちはただ私に好奇心を示すだけでした。でも、たまに小声でぶつくさと文句を言ってきたりもしました。

「なんでアンタみたいな裕福な白人の女の子が、わざわざアムステルダムから地球の反対側のロスアンゼルスまでやってきて、貧乏人やホームレスの写真を撮るなんて無意味なことをして楽しい夏を無駄にするんだい?」

興味が湧くのも当然です。「私たちを利用しようとしているんだろう」「何が欲しいんだ?」「本当の目的を言ってみろ?」「スキッド・ロウの住民に何の得があるんだよ?」彼らのこういった質問はフェアで、しかも的を射ています。特に社会で最も不利で弱い立場にある人々を写真に収めようとしている私のような人間に向けては。だから、彼らの質問に答えてみたいと思います。

私の答え

スキッド・ロウはLAのダウンタウンにある地域で、そこではおよそ15,000人が – ほとんどはアフリカ系アメリカ人ですが – シェルターや安宿、ストリートで生活しています。そして、数多くの住民は薬物依存やメンタル・ヘルスといった問題を抱えたり、そこから立ち直ろうとしています。

2007年に私は偶然その地域に入り込みました。ハリウッド・ビルディングの近くで、あるホームレスの家族と休暇の間過ごしたのです。彼らが「家」と呼ぶものは、何枚かのマットレスと調理器具、そして子供のオモチャが2枚の壁の間にすべて収まっている程度のものでした。ある日、火災でそれら全て焼失してしまいましたが。

この出来事で胸が張り裂けそうになりました。でも同時に目を見開かされたのです。私はこういった「家」がそこら中にある事に気付きました。ロスアンゼルスをブラブラ歩くと、街角や路地、公園、茂み、バス停 – 更には歩道にもそれらを見つけることが出来ます。

「人間の住環境」というものが、ファッション写真からドキュメンタリーに転身してからの月日に、私が追いかけてきた主な関心ごとです。そして、誰かにスキッド・ロウに連れてきてもらって、初めて私はこれこそが自分の被写体だと気付いたのです。

スキッド・ロウを伝える信頼できる写真がなかったこと

スキッド・ロウを撮るのは私が初めてではないですが、誰もまだこの地域を上手く撮れていないことは分かっていました。例えば、ウィージーはスキッド・ロウの写真集を作りたがったそうですが実現せずに亡くなりました。ネットを探せばスキッド・ロウの写真がたくさん見つかりますが、そのほとんどは安全な車の助手席から撮ったものや望遠レンズで撮ったものでした。

フォトグラファーたちが距離を置きたがるのには理由がないわけではありません。スキッド・ロウは危険な場所なのです。ほとんどの住民はフォトグラファーが好きではありません。なかには行動が予測不能で暴力的な者もいます。

ですから、私がスキッド・ロウを怖がってなかったと言ったら嘘になるでしょう。何回か命の危険を感じたこともあります。でも、それ以外のほとんどの時間は何事もなく無事に過ごせました。ケヴィンという名のスキッド・ロウを知り尽くしている巨漢の元弁護士にたびたびついてきて貰ったのです。

撮影の「方法」「対象」「理由」

私は写真を撮る前にはいつも許可を求めるようにしています。それに随分助けられました。スキッド・ロウに居心地の良さを感じる人もいるのですが大抵はそうではありません。その中でそれぞれが自分のコミュニティーを見出しています。さらに、自分がホームレスであるという事実を恥ずかしく感じている人がほとんどです。それなので私は自由にスナップ写真を撮れると決めてかかったりはせず、住民が不快に思うような撮り方はしませんでした。

おそらくファッション業界で撮影してきた経験からでしょうが、私は細部こそが美しく重要だと考えています。住民たちの家、服、持ち物の近くまでズームインし始め、ショッピングカート、寝袋、ダンボール箱、シャツ、ドレス、トイレ用品、さらには誰かが歩道に忘れていった完璧に整えられた朝食トレーまで撮ります。

その後で、住民が私の存在に気付き始めた頃合いを見計らって、私は彼らのポートレートを撮っても構わないかと尋ねます。実のところこれは上手くいかないことが多いのです。自分が弱く、脆いと感じるとき、普通は人に写真を撮られたいと思いません(なかにはふざけたり、格好つけたりする人もいますが)。

スキッド・ロウで過ごせば、私と同じくあなたにも発見があるはずです。温かくフレンドリーで非常に立ち直りの速い住民たちが互いのケアを責任をもって行っています。外国人なので時々私はL.A.で寂しい思いをしたのですが、そういう時はいつもバスに乗ってスキッド・ロウに行くのです。そうすると誰かが必ず話を聞いてくれました。

それも、見知らぬ人がです。

アムステルダムの暗鬱な12月、私はスキッド・ロウが恋しくなります。それで毎年毎年私は戻って来るのです。ミリオンダラー・ホテルやクラビー・ジョー(チャールズ・ブコウスキーのたまり場でした)、クリフトン・カフェテリアといった歴史のある場所にも興味を持つようになりました。

そして、私は様々な建築物や近年高級化が進むLAのダウンタウンも写真に収め始めたのです。

人に知ってもらう

私は長い間、自分の作品を公開したり、それらを「プロジェクト」と呼ぶことに抵抗がありました。スキッド・ロウにいることを楽しんでいましたしポートレートを撮ることも楽しんでいたからです。でもひょっとしたらスキッド・ロウへの一般の人々の印象は、かつての私がそうだったように大きく変わり得るのでしょうか?また、ポートレートを撮ることがその助けになるのでしょうか?考えれば考えるほどそう思えてきました。

それでもまだ、気になる質問に悩まされました: 「私はスキッド・ロウやその住民を利用していないか?」「ギャラリーや本で作品を公開するのは間違っているのでは?」

はたまた「多くの人にとって馴染みがなく、けなされることの多い地域に住む人々の顔をわざわざ晒す必要はないのでは?」「他に選択肢はないの?」「何もせず作品を葬った方が良いのでは?」等。

ついにある日、私は友達のケヴィンに相談しようと思い立ち、実際に話をしに行ってみると、彼は私の悩みが「上から目線」だと笑って次のように言いました。「スキッド・ロウの住民は1ドルでも多く稼ごうと必死だ。それはあなたも同じだろう?それなら何が問題なんだ?」

ケヴィンが言ってくれたことで完全に納得できたかどうかは定かではありませんが彼の言葉には感謝しています。聞いたなかでは1番のアドバイスでした。

私の写真集『Skid Row』はアマゾンや私のウェブサイト等で注文出来ます。

すべての作品は、デジレ・ヴァン・ホークによる。

これを読んで楽しんで頂けたなら、下記の「レコメンド」をクリックしてください。

他の人とストーリーをシェアしましょう。

--

--