世界一周旅行記:ネパール編

Akinori Machino
6 min readJul 3, 2015

大地震から2ヶ月後の姿

2015年6月27日から 6月30日までの 4日間、世界一周旅行の過程でネパールに滞在しました。地震が発生した 4月25日の 2ヶ月ほど後になります。首都カトマンズ周辺を回ったので、その現状をお伝えできればなと思います。

ネパール地震の震源地

ネパール地震は、首都カトマンズの北西約 77km の位置を震源として発生しました。カトマンズと、トレッキングで有名なポカラという街の中間あたりになります。

空港に着き、まずはネパールルピーを引き出そうと ATM へ。しかし画面が反応しません。聞けば停電しているとのこと。近くの人に「こっちの ATM は生きているぞ」と教えてもらい、現金を引き出しました。着いた宿でも、電気が来ておらず薄暗い状態。宿の主人に聞いてみると、今でも1日に3時間ほど、街全体が停電するそうです。

宿の周りを散策してみて、まず意外だったことは、多くの建物は倒壊せず無事だったことです。

ネパールの一般的なレンガ造りの建物

ネパールの建物は基本的に赤レンガを積み上げて作ったものが多いのですが、よくこれが倒壊しなかったな、という建物が多かったです。

とはいえ、建物が構造上脆いことは皆理解していて、しばらくは怖くて家の中では寝れなかったと言っていました。多くの人は地震発生後10日ほど、外の広場などで寝泊まりしたそうです。

近くの人が寝泊まりしたという広場

基本的には街は通常の生活に戻っており、観光客向けの店なども普通に営業しています。復興支援のためにも、自分はしっかり観光しようと思い、カトマンズの街に繰り出しました。

多くのバックパッカーが集うタメル地区

最初に向かったのはヒンドゥー教の三大神のうちの1つ、シヴァを祀るパシュパティナート。世界4大シヴァ寺院の1つでもあります。ここの特徴は、寺が面している川に火葬場が隣接していることです。

パシュパティナートの火葬場

写真左下にある四角い台座部分で火葬するのですが、地震発生後は多くの死者がここに運び込まれ、規定の場所以外でも処理をせざるを得なかったそうです。

その後もダルバール広場や、モンキーテンプルとしても知られるスワヤンブナートなどを観光。カトマンズ市内の建物は無事な建物も多いのですが、それでも歩き回っていると、全壊した建物や今にも崩れそうな建物などが目につきます。特に観光名所にある歴史的建造物は、その多くが深刻なダメージを受けていました。

3日目には、カトマンズ郊外のバクタプルという街に向かいました。市内でマウンテンバイクをレンタルし、デコボコの田舎道を1時間ほどかけて進みました。

ネパール郊外の風景

バクタプルは赤レンガ一色の古都です。有名な観光地なのですが、街全体がカトマンズに比べて古く、多くの建物が倒壊していました。路地が狭くトラックなどが入れないのでしょう、瓦礫の撤去作業もなかなか進んでいません。

ヒマラヤのトレッキングコースなどは、まだクローズされているところが多いようですが、カトマンズに観光に行くこと自体は、基本的には問題ないと感じました。ただし、大きな余震があったら倒壊しそうな建物が街の中には多くあるので、注意はもちろん必要です。

当初ネパールに行く予定はなかったの ですが、振り返ってみてネパールに行ってとてもよかったなと思います。出会ったネパール人は皆人柄がよかったし、これから復興しようという力も感じました。観光することで少しでも復興の助けになっていればと思います。

Hope Nepal Rise Again!

--

--