重要なのは写真を撮った人ではなく、写真の中のストーリーが続いていくということ。

Hiroshi Takeuchi
17 min readMay 9, 2016

by Blink

ギャングのフィクサーであるアルヴァロ・イバーラ・ザヴァラ、子どもたちを蝕む企業、強大な敵、そしてあなたがストーリーを認めない理由…それはあなたがそれに遣われる召使いだから。

アルヴァロ・イバーラ・ザヴァラが受講した唯一のフォトジャーナリズムトレーニングは2010年のジョープ・スワート・マスタークラスだけでした。それ以前は、彼の祖父の指導と、人間の抱える矛盾を記録したいという欲望が彼をプロフェッショナルの道へと突き動かしていました。

粘り強く政治的に、ザヴァラはぐらつくことのないモラルコンパスを維持しています。カイラ・ウッズは彼に、ウゴ・チャベス前ベネズエラ大統領のソーシャルポリティカルな遺産に焦点を当てた彼の最新作”1984”についてインタビューを行いました。ザヴァラはまた、農業ビジネスで使われている化学薬品の影響で身体に甚大なる被害を受けた地方のアルゼンチンの人々の実態を明らかにし、物議を醸した彼のルポタージュ”Stories of a Wounded Land”の危険な制作過程についても話をしてくれました。

カイラ・ウッズ(以下KW):ベネズエラに興味を頂いた理由を教えて下さい。

アルヴァロ・イバーラ・ザヴァラ(以下AZ):2004年に、ボリバル革命に関する仕事の一環で、私はベネズエラ社会の日常を写真に収めていました。その時から私はそこにいて、チャビズム(チャベス当時大統領のイデオロギー)の政治運動へのアクセス権を得ていました。それがきっかけで私は様々な情報へのアクセス権を手に入れ、様々なチャビズムの側面を目にしました。

KW:1984はボリバル革命についての作品なのでしょうか?

AZ:1984のプロジェクトはウゴ・チャベス・フリーアス大統領の残した遺産と彼のボリバル革命を記録したものです。ラテンアメリカの最も社会的不利な側面を向上するために人々を奮起させるプロジェクト実現の可能性に意義を唱えたことからはじまったこの革命は、最終的にはベネズエラ社会の人権の組織的侵害を招く独裁政権へと変わりました。

過去14年間、多くの国際機関がボリビア政府が政策を強制するために治安維持勢力や政府支持武装グループを使っているとして非難しています。手続き上の保護や裁判所の独立性の欠落、言論の自由の制限、人権活動家の迫害、政治的差別、そして労働法と選挙法への政府の干渉は過去14年間にわたって様々な組織機関から非難されています。私のプロジェクトはこの現実をジョージ・オーウェルの1984になぞらえて表現したものです。

AZ:1984"という言葉は小説の中で表現されているように、「いつの時も政府は全体主義と弾圧的姿勢をコピーしている」と同意義です。

ラテンアメリカの大多数の人々は、ボリバル革命は変革のための絶好の機会であると考えています。ルーツに関わらず多くの人々により多くの機会を提供するという公正かつ自由なラテンアメリカの夢は、社会のための革命となるはずでしたが、人々は武力による対抗しか術を知らなかったため、結局は変革に失敗しました。チャベスは社会自体の変革を願っていました、全ての人々が変革の担い手であり…それこそが民主主義の究極の表現だと考えていました。

しかし、時が経ち私たちはその夢から目覚めました。ボリバル革命は、ボリビアの最悪の敵となり、全体主義革命へと変貌を遂げました。

政府はその特質性から人権の組織的侵害を招きました。1984の中で私はその政府によってもたらされた大いなる機会の損失を記録しようとしています。今日のベネズエラ社会は恐怖に支配されていて、政府と反政府どちらも、民主主義とベネズエラ社会の変革のための本当の代替案を持ち合わせていません、このプロジェクトはそのようなベネズエラ社会を描いたプロジェクトです。

KW:あなたは今ベネズエラの独裁政権について言及されましたが、それはあなたの仕事にどのような影響を与えているのでしょうか?

AZ:私たちベネズエラで活動しているフォトジャーナリストは、政府が私たちを監視しているということに気づきました。政府は全てを監視していて、検閲を行っています。それによって我々が彼らの視界に入り、ターゲットにされるのです。

「ベネズエラは恐らく私が活動した中で最も、イラクよりもさらに危険な場所です。」

ベネズエラはメディア検閲の歴史があり、その検閲は今日も行われています。El Nacionalや他の革命反対派のオンラインメディア以外に、独立したメディアは存在しません。そしてもしあなたが政府のレーダーに引っかかってしまうと、コレクティーヴォの潜在的ターゲットにもなってしまいます。コレクティーヴォはボリバル革命をラディカルに支持する組織を指します。

コレクティーヴォはボリバル革命を支持する左翼民兵組織です。彼らは街や道をも支配し、ベネズエラの犯罪の大半に関わっています。世界で最も暴力的な国の一つで仕事をしている時に、安全など絶対ありません。

KW:つまり撮影は常に危険な可能性をはらんでいるということですね?

AZ:ベネズエラは恐らく私が活動した中で最も、イラクよりもさらに危険な場所です。

そのため、私は撮影のために常にハイリスクをとっているのです。政治的観点から不安もあります。もし政府のブラックリストに載ってしまったら大変なことになります。

KW:そういったことを切り抜けて強靭な信頼できるネットワークを構築するまでにどれくらいの期間を要しましたか?

AZ:当時私はカラカスのスラム街出身のバイクドライバー4人と仕事をしていました。彼らは暴力、ドラッグ、強奪のギャング精神とともに育ちました。彼らはストリートの様々な状況を読むことに卓越していましたし、彼らと一緒にいることが私にとっての最良の護身方法でした。私にとっては家族も同然です。初めてベネズエラに来た時からずっと一緒に仕事をしています。

スラム街に行く度に、私たちはそのエリアを支配するギャングメンバーで構成されたコレクティーヴォから「OK」または「承認」を得る必要があります。私がそこで撮影を行うことができる只一つの理由は、彼らが私たちを信頼しているからです。そして私たちのドライバーの家族の生活が、私たちの仕事を保証しているのです。

ベネズエラで仕事をするには、国のことをよく知らなければいけません。そしてそんなことは2日やそこらでできることではないのです。

KW:写真家として、傍観者としてその場にいるわけですが、そこに立っているとベネズエラで起こっている現状について葛藤することはないのでしょうか?

AZ:フォトジャーナリストとして、私たちには見たことのない様々な真実を目にするチャンスがあります。ある時は競合する真実があり、またある時は誰もが自分だけの真実を持っているものです。

1984の中では、私はコレクティーヴォのメンバーたちと仲良くしています。私は彼らと時間を過ごし、また彼らは自分たち自身を革命の守護者であると信じています。しかし、彼らはあなたと私のように普通の人であり、友情もありました。しかし結局は彼らは別の世界の住人で、抱擁と同じくらい容易く銃で撃つこともあります。

こういう諺があります、「Es otro mundo, con sus propias normas, con sus propios valores a/その世界には、その世界のルールがある。これまでに歩んできた人生はそこでは全く意味を持たない。」

スラム街に住むほとんどの子どもたちはコレクティーヴォかギャングになり18か19歳になるまでに命を落としてしまいます。彼ら全員が毎日が死と隣り合わせの暴力的な環境で育っているのです。

私は出来る限りそのような状況に身を置くようにし、自分に言い聞かせています。「もし自分がこのような環境で育っていたら、一体どうなっていただろう?」

KW:では次にStories of a Wounded Landについてお聞かせ下さい。このプロジェクトはどのように始まったのでしょうか?

AZ:ジャーナリストのシルビナ・イギーの依頼で、地域の健康問題を調査するためにアルゼンチンのミシオネスという町を訪問したことがきっかけです。私たちはこの地域を訪れ問題をより深く掘り下げていく中で、この問題が世界的なものであることがわかりました。

このストーリーは即座に広まりませんでした。私たちがこの調査を開始し、一つまた一つと普通ではない状況が明らかになり、私たちは脅迫を受けるようになりました。何人かの医師から調査協力の申し出がありました。いくつもの地域を周り、沢山の農作物と村々が癌の犠牲になっているということがわかりました。私たちが訪れた村には沢山の奇形児がいて、また流産の比率が劇的に高かったのです。

私たちはこの問題を解決するための最良の方法は医師と弁護士によるチームを作ることだと判断しました。調査は極めて重大なものとなりましたが、私たちはそれが解決できないものだとは考えませんでした。私たちが訪れた全ての村には、それぞれのストーリーがあったのです。それは恐ろしいものでした。人口400–450人の村では恐らく20人程度の奇形児を目にするでしょう。普通では考えられないほどの確率です。

KW:どの時点で弁護士の助けが必要であると判断したのでしょうか?

AZ:私たちはこの問題について研究を行っている有名なアルゼンチン医師に会い、彼が私たちと1人の弁護士を繋げてくれました。彼はまた私たちにアルゼンチン政府の秘密文書の存在を教えてくれました。それはこの問題に対する幾つかの解決策が示された政府の研究に関する文書でした。つまり政府がこの問題を以前から知っていて、そして公表しないと決定したことをほのめかすものだったのです!

「調査は極めて重大なものとなりましたが、私たちはそれが解決できないとは考えませんでした。私たちが訪れた全ての村には、それぞれのストーリーがあったのです。それは恐ろしいものでした。人口400–450人の村では恐らく20人程度の奇形児を目にするでしょう。普通では考えられないほどの確率です。」

活動家たちの助けのおかげで、私たちはモンサント社のようなグローバル企業だけでなく、多数の企業も同様にこの問題に関与していることがわかりました。私たちはそれらの企業に直接コンタクトを取りましたが、返答してくれた企業は一つもありませんでした。そして私たちはこの健康問題に関する私たちの調査を公表することを決めたのです。当時はこの問題の全体を把握するまでには至っておらず、わかっていたのはこれはアルゼンチンで今実際に起こっている、大きな問題だということだけでした。このストーリーはアルゼンチン最大の新聞紙クラリンに掲載されました。

同時にクラリンのエディターであるシルヴィーナ・ヘグウィが脅迫を受けるようになり、私たちはこの農業ビジネスの裏側に様々な経済的思惑が潜んでいるということに気づきました。農業ビジネスのオーナーはアルゼンチンの地主ですから、自分たちのビジネスモデルに関心を持っているのです…たとえそれがクラリン社の人間であっても同様です。

KW:どうやってこのストーリーの反対意見を取り入れたのでしょうか?

AZ:これは大変重要な問題ですから、双方の意見を取り入れる必要があると私たちは信じていました。ですので私たちは反対意見を持つ方々に何度もコンタクトを試みました。しかしながら、彼らが私たちに回答したのはそのストーリーが掲載されてからたった1回のみでした。

このストーリーはラテンアメリカ諸国の生産者や、アフリカ部族と巨大企業、そして先進国の一般消費者など沢山の人々にリンクしており、今や世界的な注目を集めています。そしてストーリーはこのモデルの結末を再現しようとしていて、また今まで真剣に、熱狂的に議論されたことのない疑問に対する答えを見つけ出そうとしています…「農業ビジネスは世界規模の飢餓を解決するものなのか?それともただ単に世界を蝕むだけなのか?」大きな経済的リターンを伴うこの食物製品の大規模生産方法は農業用化学薬品に抵抗を持つ遺伝子組み換え種子を得るためのバイオテクノロジーに基いています。

「農業ビジネスは世界規模の飢餓を解決するものなのか?それともただ単に世界を蝕むだけなのか?」

このプロジェクトを進めていく中で最も恐ろしかったのは、当初このプロジェクトの中止を支持していた人々…彼らは途中からこのプロジェクトに関わりたくないと言うようになりました。

このプロジェクトは現在も進行中です。

KW:この2つのプロジェクトはこれからも続けるのでしょうか?またチームをさらに拡大したいという考えはありますか?

AZ:私たちはチームにより多くのフォトグラファーとライターを迎え入れることを検討しています。私は、私たちフォトグラファーがこのストーリーの上で重要だとは思っていません。写真を取った人物が重要なのではなく、ストーリーが続いていくことが重要なのです。シルヴィーナと私はこのチームに入ってくれそうなそれぞれの同僚に声をかけているところです。このプロジェクトは恐らく集合的な、大きなものになるのではないかと思います。

正直なところシルヴィーナも私自身も、このプロジェクトがあるべき形として、関係している人々が正当な評価を得てこのプロジェクトを終えることができるかどうか、確信を持っていません。だからこそ私たちにはもっと協力してくれる人々が必要なのです。

KW:いまよりも更に高みを見据えてながらいる、ということは興味深いですね。

AZ:私が思うに、このビジネスに関わっている多くの人々が、自分自身を過大評価していると思います。正直に言うと、それは大きな間違いです。自分たちよりも、もっと重要なオーディエンスのために写真を撮り続けているということを、私たちは忘れてはなりません。エゴはその中の一部には成りえません。このプロジェクトは、私たちが死んだあとも続いていくのですから。

KW:あなたのルポルタージュがきっかけとなってラテンアメリカで政策改革が起こった、ということはありましたか?

AZ:正直に言うと、ありません。しかし、被写体となってくれた子どもたちの多くは、新しい場所に移り住むことができました。私たちがきっかけとなり障害者が病院で手当を受けれるようになったこともありました。

驚くべきことに、フォトグラファーたちが私たちのプロジェクトに参加したいとコンタクトを取ってくるようになりました。私たちがより多くの情報を蓄積することができれば、一般の人々がよりグローバル農業ビジネスの危険性に関する情報を目にする機会が増える、と私たちは考えています。残念なことに私たちにコンタクトを取ってくる人々の多くは、私たちの被写体にしか注目していません。それが明らかになると私たちと一緒に仕事をしていた活動家たちが、ジャーナリストを手伝うことをやめると私たちに言いました。

「私は、私たちフォトグラファーがこのストーリーの上で重要だとは思っていません。写真を取った人物が重要なのではなく、ストーリーが続いていくことが重要なのです。」

人々が同じストーリーを何度も伝え続けていくなかで、私たちが当初達成したものが徐々に消えていきました…彼らは癌に侵されていて、多国籍企業と戦うには十分なほどに勇敢で、そして変化を起こすためにはそれが全てなのです。

私は今でもこのプロジェクトに多くの時間を費やしています。シルヴィーナと私は一緒に働いている多くの家族を助けることにもとても熱心です。毎週私たちはSkypeを使って家族と会話をしています。

KW:このプロジェクトの展示会を催されたことはありますか?

AZ:シルヴィーナと私はこのプロジェクトの本質をサポートするとはどういうことなのかを理解しており、サポートしてくれない人々が沢山いるということは最初から明らかでした。

ジャン・フランソワ・ルロワは私をサポートしてくれた最初の1人でした。私は彼を信頼していて、よく一緒に働いています。彼の無条件のサポートは私たちにとって重要で、彼のサポートのおかげで開くことができた2014年のVisa pour l’Imageという展示会は、その後の私たちに様々なチャンスを与えてくれました。

アルヴァロ・イバーラ・ザヴァラは、スペインを拠点に活動しているフォトグラファーです。彼はゲッティルポルタージュの代表でもあります。 TwitterFacebookInstagram上で彼のフォローをよろしくお願いします。

カイラ・ウッズは、ニューヨークを拠点にフリーランスのライターです。彼女の作品はLong Cours、Le Figaro、Le Point、This is the What、そしてFoam Magazineで読むことができます。

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Hiroshi Takeuchi

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