10/25 毎日同じ服を着るのがおしゃれな時代読了。

新四畳半暮らしやら、自己拡張から自己肯定やらシンプル族、セレブリティからセレンディピティへ、とか、自己関与性、制約社員、RETHINK、おさがりからおあがりへ、シェアタウン、面白い、今の日本の若者の流れと高齢者の流れとかそうゆうのすごい興味深い。

あ〜〜〜〜それにしても、

だめだぁ〜〜〜〜

楽しかったと、思ったけれど、大丈夫なんだと思ったけれど、

心も体も悲鳴というか絶叫

体と心をすり減らして頑張ったところで何にもならないし何にも作り出せてないのに死ぬほど働くってそうゆうことか。死ぬほど頑張るとか死ぬほど頑張るっていいことだと思ってたけど、本当に死にそうになって頑張ってると過労自死するひとのそのときの気持ちがわかってくる。

自分のおかしな価値観が何なのかみえてきた。

凄いものとか有名なものとかに携わるとか関わるとかそゆうんじゃなくて、小さくても無名でもなんでも自分で考えたり閃いたりしてそれを作ることカタチにすること、に、しか、価値があると思えないんだ。そうじゃないなら生きてる意味がないと思ってしまう。極端なんだなあ。自分で何かを出来る準備をするためだと割り切ったつもりが、準備といえど、未来を待ってそこを目指したところで生きてるのは今なんだから、辛ければ、つまらなければ、作れてなければ、いつも通りストレス性胃炎になっていくわけで、肌荒れしてきて、気分が落ち込んで、車にひかれたいとおもい始めてしまうわけだ。心の問題として、2017年にやりたいこと100のひとつめは、一年間を通して一度も死にたいと思わない環境をつくること。それが1番。最近読んだあれこれと、聞いた曲あれこれでリンクして気づいたのは、結局、死にたい死にたい言ってるけども、誰より生きたそうじゃないか。世の中みんな辛いの我慢して頑張ってるとか言ったって生きてるのは今なんだから我慢とかそうゆうのが何になるのかって知りたい。から、我慢をして何を得られるかをこれからしばらくの間検証してみようと思う。期間は決めてる、ずっとじゃない。

今日は何にもなくてもしょうもなくても自分が学び取れることが一つもないという状況はないんじゃないかということがわかってきた。人とあんまり話したくないけど、コミュニュケーションを取るのが義務だと思ってやってみると意外と話すのが好きなんじゃないかって思えてくる。それで、自分が話すのが苦手だと思っていたのは苦手な相手と話していることの記憶が多すぎるからなんじゃないかなあとなそうゆう風に思えてきて、自分が自分はこうだと思ってるのってなんにも当てにならないなあ、と。

ART HACKDAY抽選落ちた模様。まじ出たかったのに残念。

今までの生い立ちとかどこに住んでるとかそうゆう表面上のことじゃなくて、昨日一日を通して何を考えていましたか?それはなんでですか?なぜそう思ったのですか?とか聞いてくれる人がいたらいっぱい喋りたいのになあ。そんなこと聞いたらきもいし、毎日こんなあれこれ脳内で考えたことをまとめてるひといないだろうから、昨日起こった出来事の話で終わるのは分かってて、昨日の脳内での自問自答とその根拠とかが聞きたいわけで、そんなことは誰にも聞けないけれど、すごく蜜のある質問というか会話がそれだと思う。すごくしたい。しないけど。

Amazarashiの曲って常に死と隣り合わせだからなんかすきだ。生きてる感じがする。

Amazarashi / ライフイズビューティフル

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