逃避のニューヨーク

メレ子
白くてすべすべした石
3 min readOct 31, 2017

中国に来てはじめての国慶節。中国国内はどこに行っても混むと聞いて、日本からは来たばかりだし、と思い切ってニューヨーク行きの切符を取った。初のアメリカ大陸!

ところが休みの直前に、中国での仕事の内容が大幅に変わることが決まった。プレッシャーがものすごく、リュックを背負って空港に向かう地下鉄に乗っているときも乗り継ぎの広州空港でCAさんと走っているときも飛行機の中でも、変な動悸が収まらない。

飛行機の中で、日本からの出張者にお願いして買ってきてもらった『地球の歩き方 ニューヨーク』を熟読してみたが、美術館や博物館以外で行きたいところは特に見つからなかった。スポーツやミュージカルが好きであればきっとぜんぜん話は違ってくるのだろうが……、しかし美術館と博物館だけで5日間の滞在予定が埋められるのがすごいぜニューヨーク、とも思った。

9日間もある国慶節の休みを上海で過ごしていたら、きっともっと精神的に追い込まれていただろう。時差の向こうへ逃げるのだ、と念じながら機内でパイレーツ・オブ・カリビアンを見ようとして、何度も寝落ちし、仕事の夢でうなされた。

朝6時のジョン・F・ケネディ空港からタクシーに乗ると風がものすごく冷たくて、Googleマップでルートを確認しながら、高くついてもホテルを取ればよかったかなと思った。ニューヨークのホテルは尋常なく高いので、これもはじめてのAirB&Bを使ってみることにしたのだが、こんな精神状態で人の家に泊まるというのは選択ミスではなかっただろうか。

万が一にも危険な目に遭わないよう、泊まった人たちの絶賛レビューが数十件ついているAirB&Bを選んだ。夫婦で運営しているところだし、部屋の写真もおしゃれだし、地下鉄の駅も近い。それでも、つたない英語でコミュニケーションしながら人の家に間借りするのは気が重いなあ、と感じていた。

早朝に着くことは伝えてあって、家主は起きて待ってくれているらしい。まさに映画に出てきそうなブルックリンのかわいいアパートに入っていってドアを叩くと、部屋の中からぬっと大柄の黒人男性が出てきた。AirB&Bのサイトに載っていた写真よりもいかつく見えたのと、部屋の照明がほとんど落としてあったのでわたしは内心たじろいだが、彼はとても紳士的で、子供部屋らしきドアを指さし「10歳の息子が寝ているから、暗いままで失礼するよ」的なことをささやいた。的な、というのは、わたしの英語力が残念だからである。

3LDKのリビングの窓からは夜が明けはじめたブルックリンの街並みが見えて、その向こうに見える高いビルがエンパイア・ステート・ビルだよ、とひそひそ声で教えてもらった。なるほど、あれがかの有名なエンパイア・ステート・ビル。でも、そもそも、エンパイア・ステート・ビルって何だっけ。ぼんやりしているわたしを見て、家主は「ゆっくりお休みなさい」的なことを言って自分の寝室に戻っていった。

リュックから最低限の荷物を広げ、わたしは与えられた部屋のベッドに潜りこむ前に顔だけでも洗おうとバスルームに入った。きれいに拭き上げられた洗面台の横にトイレがあり、タンクの上には恐竜のフィギュアがいくつも載っていた。恐竜が好きな子供が、わたしの隣の部屋で眠っているのだろう。それを見てようやく、わたしも少しだけ、仕事のことを忘れて眠れそうな気がした。

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メレ子
白くてすべすべした石

生きものと旅行が好きな勤労女性。エッセイなどを書きます。近書『ときめき昆虫学』(イースト・プレス)『メメントモリ・ジャーニー』(亜紀書房)以前のブログ:「メレンゲが腐るほど恋したい」http://mereco.hatenadiary.com/