東京の夜、上海の夜

メレ子
白くてすべすべした石
3 min readApr 3, 2017

仕事で上海に行くことになった。最初は4月末にも赴任するという話だったが、中国のビザ制度が改正により厳しくなり、けっこう時間がかかるらしい。実際には5月末くらいになるかもしれない。任期は特に決まっていないが、会社の出向の事例を見るとだいたい3年から5年は行っているので、それくらいが目安ということになる。

1月の末に社内での募集があり、金曜の夕方にメールを見た。2時間後くらいに応募のボタンを押し、その後面接などがあった。2月の下旬くらいに「まあそうは言ってもどうせ受からんやろう」という気分になり、お昼休みにゴールデンウィークの沖縄行きの飛行機などを検索しているところを呼び出されて「よろしくお願いします」的なお達しがあった。その日の夜は、布団の中でぶるぶると震えた。

社内で出向内示が出てオープンになったのが3月はじめだったが、ネットで書くまではさらに時間を置いた。なんでかというと、中国での就労ビザ取得にはHIV・梅毒・肝炎などの検査結果が必要であり、健康診断で採血されているときに「もしこれで何かの病気が陽性だったらどうしよう…」と思いはじめ、せめて検査結果が出るまで黙っておこうと思ったのだった。陽性だったら即入国拒否というわけではなく、おそらく治療のあらましなどをまとめて提出したりすることになるのだろうが、自分で応募したとはいえ赴任することにめちゃくちゃ動揺している今、さらに人生を揺るがす事態が到来したら受け止めきれない。

結果的には身体面での心配はなかったわけだが、心理的にはいまだに不安と期待をトレイルランニングしている。

ここ3年ほどやっている仕事で、すでに中国の拠点と関わりがあり、出張にも3回くらい行っている。1年前に行ったとき、拠点で働いている中国人の女の子が夕ごはんに誘ってくれた。金曜の夕方、仕事を終えて駅まで行き、地下鉄に乗った。それまでは会社の車やタクシーで移動していたので、わたしは地下鉄に乗るのははじめてだった。わたしと上司がキョロキョロしている横で、女子ふたりは中国版の食べログみたいなアプリを覗いて盛んに打ち合わせをしていた。

連れていってもらったお店は静安寺(ジンアンスー)というエリアにあるしゃぶしゃぶ屋さんだった。南青山みたいな雰囲気の通りに、ガラス張りのおしゃれな店が並んでいる。お店に入った瞬間スパイスのいいにおいがして、30種類くらいある薬味やオイルを自分でブレンドしたソースに、湯がいた牛肉を絡めて食べる。

「めちゃくちゃおいしいです!!」と叫ぶと、彼女たちは「よかった~」と脱力した。はじめて行く店で、わたしと上司が着いてくることになったので、ハズレの店だったらどうしようと心配していたらしい(ちなみに、彼女たちは日本語が超堪能である)。

そのとき、自然に「あ、住んでみたいな」と思ったのだった。街がおしゃれだとか、ごはんがおいしいとか、それも大事だけどそれが決め手というわけではない。働いている女の子たちが金曜の夜、ネットで探した評判のお店にはしゃぎながら出かけていく。おいしいものを食べて息抜きをする。ホテルや車の窓から眺めるばかりだった上海の冗談みたいな夜景に、そういう身近でほっとするものが含まれていると、やっと実感できたのだった。

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メレ子
白くてすべすべした石

生きものと旅行が好きな勤労女性。エッセイなどを書きます。近書『ときめき昆虫学』(イースト・プレス)『メメントモリ・ジャーニー』(亜紀書房)以前のブログ:「メレンゲが腐るほど恋したい」http://mereco.hatenadiary.com/