【ミレニアルズの轍】ミレニアルズとは何者か?①~単なる世代論を超えて~

Hajime Sakaguchi
MILLENNIALSTIMES
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4 min readMay 15, 2017

轍。車輪の通ってきた跡。元々、キャリアという言葉は、轍をつくる馬車(carriage)から来ているという。この「ミレニアルズの轍」では、ミレニアルズ(ミレニアル世代)と呼ばれる若者たちの辿ってきた足跡を振り返りながら、彼らのキャリア、仕事、生き方などについて、あれこれと書いてみたい。

もちろん、私は経験を積んだマーケターでも社会学者でもない一介の会社員であって、この文章で述べるのはなんら権威を持たない放言であるが、そうした放言がどこかの誰かにとって何かしらのヒントになればと願っている。もちろん、誤った情報を広める意図は無いし、間違いがあればご指摘いただきたいが、ここで述べることがビジネスや学問の世界における実績に裏打ちされたものではないことはご了承いただきたい。

さて、最初は定義から入るのが筋であろう。ミレニアルズとは何者か?こうした問いに対して、明確な答えを与えられている例は少ないように思う。まずは字義通りの定義として、デジタル大辞泉の「ミレニアル世代」の項を眺めてみよう。

そもそも、私は世代論というものが苦手で、ひと括りに「~世代はこうだよね」と言われることには強い違和感を覚える。なぜなら、「~世代」という言葉が指しているその中身は、様々な価値観を抱えた無数の個人の集積であり、そこに統一的な性質や特徴を見出すことは難しいと思うからだ。大学時代の学部の友人は今もノーベル賞につながる大発見を求めて日夜研究に励んでいるし、居酒屋でのアルバイト仲間は早くに結婚して既に2児の父となっているし、業務でお世話になっているテレビ局の若手の方々は今日もにぎやかな宴席を駆けずり回っている。そこに共通点はありそうもない。

とはいえ、ミレニアルズについて書こうとしている人間が、「ぼかぁ世代論など嫌いだ」などと言っていては始まらない。ここは先人の知恵を借りることにしよう。

ドイツの社会心理学者であるエーリッヒ・フロムは、その著書『自由からの逃走』において「社会的性格」という考え方を提唱した。それは、ある集団における共通の経験やライフスタイルが、その集団の人々の根底にある本質的な性格(「社会的性格」)を作り上げるという考え方である。以下、引用する。

ある社会的集団の心理的反応を研究するとき、われわれはその集団の成員、すなわち個々の人間の性格構造をとりあつかっているのである。しかしわれわれが興味をもつのは、これらの人間がたがいにことなっているその特殊性ではなく、その集団の大部分の成員の性格構造に共通する面である。このような性格は社会的性格と呼ぶことができよう。(中略)社会的性格は個人のもっている特性のうちから、あるものを抜きだしたもので、一つの集団の大部分の成員がもっている性格構造の本質的な中核であり、その集団に共同の基本的経験と生活様式の結果発達したものである。

(エーリッヒ・フロム 『自由からの逃走』 P.306)

エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』

なるほど。確かに、同じような体験をしている人とは似た性質を持ちやすい。私は中高と野球部に所属していたが、「無理そうなことでもできると信じて取り組む」という自分の性格はこの頃培われたように思うし、こうした性質は体育会系的な風土の経験がある人々に共通して見られるものであるように思う。

「ある世代の根本的な特性を社会的性格と名付ける。それはその世代の共通の体験に由来する」という考え方を取り入れることで、「世代論」というただの印象論に芯が通り、説得力が増すのである。

それでは、ミレニアルズに共通した体験とは何だろうか。さらに、その体験は彼らにどのような「社会的性格」をもたらしたのだろうか。次回はこれらの問いについて考えてみよう。「ミレニアルズとは何者か?」という問いはすなわち、「ミレニアルズの社会的性格とは何か?」と同義なのだから。

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Hajime Sakaguchi
MILLENNIALSTIMES

1989年生まれ。キャッチーが正義の広告業界で、僕は生き残れるか。