三遊亭圓朝『落語の濫觴』:落語の未来

Dominick Chen
Modern Japanese Literature as a Commons
10 min readAug 20, 2021
ドミニク・チェン『コモンズとしての日本近代文学』(イースト・プレス)書影

一般的に、寄席やラジオなどで落語家の噺に聴き入ることはあっても、文章として読むということはあまりないのではないだろうか。その理由を考えるに、落語の噺は筋や台詞が決まっているが、噺家によって十人十色のアレンジが加えられるし、なによりも演者に固有のふら、つまり言葉にできないおかしみは文章ではなかなか再現しにくいからだろう。しかし三遊亭圓朝(1839-1900)のように録音も残っていない昔の名人の噺となると、その話芸を追体験するには筆記に頼らざるを得ない。そこで実際に読んでみると、聞いたことのない声を空想しながら落語を読むという、二重にヴァーチュアルな体験が実に面白いことに気がつく。「読む落語」という楽しみ方を発見したようにも思えた。

圓朝は、人情噺や怪談話の名手であり、数多くの落語を創作したことでも知られる。そんな彼が、『落語の濫觴』という小咄で、落語を話すという行為とその受容文化がどのように生まれたのか、ということを手短に語っている。それによれば、もともと滑稽談をやっていた狂歌師たちが、マクラ〔本題ではなく、世間話や小咄をして場を暖めること〕のように話し始めたものが起源であるらしい。天明4年(1784)に開かれたという落語の会のチラシの内容は謎掛けとなっていた。その洒落を解読できた人だけ来ればいいという姿勢を指して「無理に衆人に聴かせよう、と云ふ訳でも何でもなかった」と圓朝は語っている。同好会的なアマチュアリズムの現れとしても、文化的エリートたちのスノビズムとしても解釈できて、現代のように芸能として確立される前の落語勃興期の熱気を想像するだけで、楽しくなってしまう。

この高度なアマチュアリズムというモチーフは、柳宗悦の雑器への眼差し〔306頁〕や九鬼周造の言う「いき」〔208頁〕ともつながるものである。落語との共通点は、生活に根付いた表現であるということに加えて、非日常的な想像への誘いという側面も併せ持っているという点だと思う。

圓朝は多くの噺を創作したが、その中には彼の生きた江戸末期から明治という時代に対する社会批評的な側面も色濃く表出している。たとえば『明治の地獄』†という噺では、主人公が死んで地獄に降下すると、明治政府の初代文部大臣をつとめた森有礼や、江戸城無血開城のために奔走した山岡鉄太郎(鉄舟)といった同時代の著名人が活躍している。そして、鉄道やらストーブやら、文明開化の波が地獄にまで及んでおり、地上の社会よりも進んでいるという描写が続く、短い笑い話だ。現代日本では、同じ軽妙さで政府を風刺できる空気も人材もいないことを思うと、この作品は100年以上昔の噺でありながら、新鮮にさえ映る。

落語の筆記文を読んでいると、高座に上がっている噺家だけではなく、聴衆の姿や、彼らがどのポイントで笑っていたのかという情景までもがありありとイメージできる。昔の小説を読む時でも、当時の読者の心情を推察することはできるが、それはあくまで作品と向き合う一人の人間のイメージにとどまる。しかし、集団で受容する落語の風景を想像する場合は、その時代の社会の質感がより想像できる気がする。だから圓朝の噺の筆記は、多分に民俗学的な資料価値を帯びている。

新しい文体を模索していた二葉亭四迷が、坪内逍遥のアドバイスに従って圓朝の筆記を研究したことが、後の言文一致運動につながったというのは有名な話だ。それ以前は文語体と口語体が乖離していたということは、今日の感覚からすると不思議に感じられる。現代人からすれば、昔の人々が実際に話し合っていた様子が文章で書かれていれば、読みやすいし、歴史に親しみやすくもなる。たとえば森鷗外の文語体の小説を読むのは、暗号解読のように認知コストが高い作業だが、圓朝の筆記を読む場合にはすらすらと意味が頭に入ってくるし、その分圓朝という人間の実像に近づける気もしてくる。噺家の視点に立てば、筆記が残っているおかげで、圓朝の話を継承してアレンジする可能性さえも担保されているわけだ。

同じことを現代から未来に置き換えて考えてみる。現代の落語家の噺は、音声や動画として記録するだけではなく、片っ端から文字起こしを記録しておくのが良いかもしれない。機械学習技術の向上のおかげで、今日の市販のスマートフォンやパソコンに入っている音声認識ツールを使えば、そこそこの精度で筆記の草稿を自動的に作れる。足りない部分は、人間が校正すれば良い。そうして出来上がった筆記文は、落語家の肉声を再現しながら愉しめるテキストになるだろう。耳が熟知しているほど贔屓にしている落語家の噺であれば、ことさらその楽しみは増大する。英語の小説に複数の訳が存在するように、落語のテキストも噺家に応じた語りの差異を味わえるのだとすれば、さらに面白そうだ。

もしかしたら今後、落語を聴く、という従来の方法に加えて、落語を読む、というスタイルが生まれるかもしれない、と想像してみる。今では一方的な「受け手」としてみなされている落語の聴衆が、江戸時代の狂歌師たちのような「高度なアマチュア」としてのリテラシーを再び獲得すれば、何が起こるだろうか。深層学習や生成的AIと呼ばれる人工知能技術を使って、あたかも現実と見紛うような虚構の噺家の映像を作り、好きな落語のテキストを話してもらうシミュレーションが行える。そして、当の噺家が優れたシミュレーションを採用し、本人が実演する、というループ構造が生まれるかもしれない。現実には聴いたことのない、想像上の圓朝の声を頭の中で再生しながら、このような未来の落語を夢想した。

ドミニク・チェン『コモンズとしての日本近代文学』
(イースト・プレス)

各章の構成(※印刷製本版)

1著者によるテキスト
著者による作品の解説、解題、批評。現代の視点から原著が持っていたさまざまな可能性を論じます。

2初版本の本文写真( 2頁分を見開きで構成 )
初版本の本文写真を掲載することでオリジナルの物としての本が、いったいどのような消息をもって読者に伝わっていたのかを示します。

3原著の抜粋( 作品によっては全文掲載 )
著者が解説した原著の該当部分を青空文庫から抜粋。QRコードから青空文庫の該当頁へ飛びます。そこで原著を最初から読むことができます。
本文中で言及された作品のうち、タイトルの脇に†マークのあるものは青空文庫で読むことができます。

日本近代文学は、いまや誰でも今ここでアクセスできる我々の共有財産(コモンズ)である。そこにはまだまだ底知れぬ宝が隠されている。日英仏の文化とITに精通する著者が、独自に編んだ一人文学全集から、今の時代に必要な「未来を作る言葉」を探し出し、読書することの本質をあらためて問う。もう重たい文学全集はいらない。

・編著者:ドミニク・チェン
・編集:穂原俊二・岩根彰子
・書容設計:羽良多平吉
・320ページ / ISBN:4781619983 / 2021年8月20日刊行

目次

寺田 寅彦『どんぐり』
・ドミニク・チェン:「織り込まれる時間」
・『どんぐり』初版本
・『どんぐり』青空文庫より
使用書体 はんなり明朝

夏目 漱石『夢十夜』
・ドミニク・チェン:「無意識を滋養する術」
・『夢十夜』初版本
・『夢十夜』抜粋 青空文庫より
使用書体 しっぽり明朝

柳田 國男『遠野物語』
・ドミニク・チェン:「死者たちと共に生きる」
・『遠野物語』初版本
・『遠野物語』抜粋 青空文庫より
使用書体 幻ノにじみ明朝

石川 啄木『一握の砂』
・ドミニク・チェン:「喜びの香り」
・『一握の砂』初版本
・『一握の砂』抜粋 青空文庫より
使用書体 しっぽり明朝

南方 熊楠『神社合祀に関する意見』
・ドミニク・チェン:「神々と生命のエコロジー」

・『神社合祀に関する意見』初版本
・『神社合祀に関する意見』抜粋 青空文庫より
使用書体 いろは角クラシック Light

泉 鏡花 『海神別荘』
・ドミニク・チェン:「異界の論理」

・『海神別荘』初版本
・『海神別荘』抜粋 青空文庫より
使用書体 A P-OTFきざはし金陵 StdN M

和辻 哲郎『古寺巡礼』
・ドミニク・チェン:「結晶する風土」

・『古寺巡礼』初版本
・『古寺巡礼』抜粋 青空文庫より
使用書体 源暎こぶり明朝 v6 Regular

小川未明『赤い蝋燭と人魚』
・ドミニク・チェン:「死者と生きる童話」

・『赤い蝋燭と人魚』初版本
・『赤い蝋燭と人魚』青空文庫より
使用書体 A-OTF 明石 Std L

宮沢 賢治『インドラの網』
・ドミニク・チェン:「縁起を生きるための文学」

・「インドラの網』初版本
・『インドラの網』青空文庫より
使用書体 幻ノにじみ明朝

内藤 湖南『大阪の町人学者富永仲基』
・ドミニク・チェン:「アップデートされる宗教」

・『大阪の町人学者富永仲基』初版本
・『大阪の町人学者富永仲基』抜粋 青空文庫より
使用書体 小塚明朝

三遊亭 円朝『落語の濫觴』
・ドミニク・チェン:「落語の未来」

・『落語の濫觴』初版本
・『落語の濫觴』青空文庫より
使用書体 游教科書体 Medium

梶井基次郎『桜の樹の下には』
・ドミニク・チェン:「ポスト・ヒューマンの死生観」

・『桜の樹の下には』初版本
・『桜の樹の下には』青空文庫より
使用書体 TB明朝

岡倉 天心『茶の本』
・ドミニク・チェン:「東西翻訳奇譚」

・『茶の本』初版本
・『茶の本』抜粋 青空文庫より
使用書体 I-OTF 明朝オールド Pro R

九鬼 周造『「いき」の構造』
・ドミニク・チェン:「永遠と無限の閾」

・『「いき」の構造』初版本
・『「いき」の構造』抜粋 青空文庫より
使用書体 クレー

林 芙美子『清貧の書』
・ドミニク・チェン:「世界への信頼を回復する」

・『清貧の書』初版本
・『清貧の書』抜粋 青空文庫より
使用書体 RF 本明朝 — MT新こがな

谷崎潤一郎『陰鬱礼賛』
・ドミニク・チェン:「陰影という名の自由」

・『陰影礼賛』初版本
・『陰影礼賛』抜粋 青空文庫より
使用書体 ZENオールド明朝

岡本 かの子『家霊』
・ドミニク・チェン:「呼応しあう「いのち」」

・『家霊』初版本
・『家霊』抜粋 青空文庫より
使用書体 筑紫明朝 Pro5 — RB

折口 信夫『死者の書』
・ドミニク・チェン:「死が媒介する生」

・『死者の書』初版本
・『死者の書』抜粋 青空文庫より
使用書体 XANO明朝

中谷 宇吉郎『『西遊記』の夢』
・ドミニク・チェン:「本当に驚くような心」

・『『西遊記』の夢』初版本
・『『西遊記』の夢』抜粋 青空文庫より
使用書体 F 篠 — M

柳 宗悦『雑器の美』
・ドミニク・チェン:「アノニマス・デザインを愛でる」

・『雑器の美』初版本
・『雑器の美』抜粋 青空文庫より
使用書体 A-OTF A1 明朝

山本周五郎『季節のない街』
・ドミニク・チェン:「全ての文学」

・『季節のない街』初版本
・『季節のない街』抜粋 青空文庫より
使用書体 平成明朝体 W3

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Dominick Chen
Modern Japanese Literature as a Commons

Researcher. Ph.d. (Information Studies). Profile photo by Rakutaro Ogiwara.