九鬼周造『「いき」の構造』:永遠と無限の閾

Dominick Chen
Modern Japanese Literature as a Commons
13 min readAug 20, 2021
ドミニク・チェン『コモンズとしての日本近代文学』(イースト・プレス)書影

九鬼周造(1888−1941)は、岡倉天心を精神的な父親として慕いながら、ハイデッガーのもとで現象学を学び、同時にベルクソンの強い影響も受けた思想家である。ヨーロッパ留学を終えて帰国してから1930年に書かれた『「いき」の構造』は、そんな九鬼の生きた、東と西が邂逅する物語を象徴するようなテキストだ。わたし自身、西洋の教育を受けた後に、いまは東洋的な環世界のリアリティを研究する身としても、いまだに多くの示唆を与えてくれるテキストだと思う。ただ、これまで多くの先達がこのテキストについて言及してきたので、解説を行うというのは身に余る。そのかわり、本書がどのような経緯で書かれたのか、九鬼がその前に著したもう一冊の本を起点に考えてみようとおもう。

わたしは『「いき」の構造』を改めて読んだ後に、九鬼がフランス語で書いた時間論のテキストがあることを知り、それをどうしても読みたくなった。というのも、『「いき」の構造』は、西洋哲学の文体と方法論を採用しており、ヨーロッパ諸語やギリシャ語にも言及しながら書かれている。それでいながら、徹底して「いき」という日本の局所的な文化事象にこだわっている。このユニークな文体を生み出すまでに、九鬼がどのような学びの遍歴を生きたのか、強烈に興味をそそられたのだ。

フランス語で出版された「Propos sur le Temps」〔邦題は『時間論』〕の刊行年は1928年である。岩波書店からその邦訳が出ていることを知ったが、九鬼がフランス語によって、そしてフランス語の中で構造化した思考に肉迫するには、原著で読まねば分からないと思った。

「Propos sur le Temps」は1928年8月11日と同月18日に九鬼が行った二つの講演の原稿から成る、たった58ページという薄い本である。一章が「La notion du temps et la reprise sur le temps en Orient」(東洋における時間の概念と時間の反復)と題し、冒頭から「東洋における時間概念について語るならば、輪廻転生(transmigration)について語る以外には方法はありません」と始まる。そして、ギリシャからキリスト教の系譜、フッサールに至るまでの線形な時間観念と東洋の円環時間の比較が続く。興味深いのは最後の脚注に、「私は輪廻転生もキリスト教的な死後の生も信じるものではありません」と断った上で、「ただ東洋に起源を持つ、周期的で同一的な時間の問題を提起したかった」と書いている点だ。

これは、自分はあくまで構造的な分析を行っているのであり、価値判断は下していないのだ、という冷静な態度の表明として読める。面白いことに、この1週間後に行った二つ目の講演のテキスト「L’expression de l’infi-
ni dans l’art japonais」(日本の芸術における無限の表現)においては、より饒舌に、熱っぽく日本的な美の観念について語っている。この二つ目のテキストは、仏文としての完成度は一章に比べて低下しているのだが、そのぶん疾走感に溢れている。冒頭で岡倉天心の「日本芸術の歴史はアジア的理想の歴史である」という引用から始まり、仏教、道教、老子の道徳経を経由して、運慶や能楽の価値観を解説していく。そして、短歌と俳諧の文法を説明した後に、芭蕉の句に流れる円環的な時間感覚にプルーストの『見出された時』の一節を対比させ、北斎の波の画を見てドビュッシーが『海』を作曲したことに触れ、またはオランジュリーのモネの睡蓮の画を狩野永徳や円山応挙の屏風絵と比較して、まさに東と西の形相的な相似を勢いよく描いていく。この熱気は圧巻であり、さながら序破急の構造を採っているかのように後半にかけてスピード感を増している。そして、最後の段落では刮目すべき内容が表明されている。

そこで九鬼は、同時代のフランスの詩人で1926年に「Haï-kaï d’Occident」(西洋の俳諧)を出版したアンドレ・シュアレスによる日本人の価値観の説明に、真っ向から反論している。シュアレスは、極東の人々は無限と永遠の希求という西洋的な理想について無知であり、よってその表現の全てはあまりにも空間的であり、刹那的であると書いた。九鬼は長々とその文章を引用した後に、いかにシュアレスが間違っているかということを、いささか感情的に述べている。

紀貫之による古今集の序を挙げながら、無限と永遠は心(cœur)と想い(pensée)の中にしか存在しないと断言し、日本人の「全ての芸術は非物質性によって特徴づけられる」のであり、それが「物質性を棄却している」ことを理解しないものは、「日本の芸術について何も理解できない」と断言する。つまり、日本的な芸術とは、永遠と無限を、有限で儚い象徴のなかで表現するのだ、と結論している。

九鬼がフランス語で書いたこの『時間論』を読むと、2年後に日本語で「いき」の構造について書いた、彼の心情が理解できるように思えた。これはわたしの勝手な想像に過ぎないが、九鬼は、自分が感得していた東洋的な身体性の世界を表現するには、西洋的な思考の方法論を採りながらも日本語という道具立てを使った方が「速い」と思ったのではないか。

「速い」というのは、内発する感覚と、それに対応する言語の距離が短い、というほどの意味だ。実際、『「いき」の構造』の前半で、彼は「意味および言語と民族の意識的存在との関係は、前者が集合して後者を形成するのではなくて、民族の生きた存在が意味および言語を創造するのである」と述べている。さらに中盤では「「いき」の研究は民族的存在の解釈学としてのみ成立し得る」と書いている。これは奇しくも同じく1920年代にアメリカの言語学者サピアとその弟子であるウォーフが、ネイティブ・アメリカンのフィールドワークを通して打ち立てようとしていた言語的相対論と符合する考え方である。サピア=ウォーフの仮説として知られるこの考え方は、言語の数だけ異なる認識論が存在する、というものだ。

『「いき」の構造』のなかで九鬼が執拗に比較分析するのは、「いき」という言葉によって喚起される様々な感覚であり、関係する文化表現である。特に興味深いのは、左上にあげた有名な図が「いき」的な感覚に係る事象の、ある種のネットワーク図となっていることだ。

九鬼はここで、「いき」という事象が、常に単独で定義されることがなく、前後の文脈や周囲の状況に応じて構成される現象であることを示している。そして、『時間論』の中でのシュアレスへの反論に見たように、「いき」もまた当事者の内部に喚起される心的現象であり、露骨な外的表現をすべり抜ける性質をもっている。

このような「いき」の世界観は、あらゆる現象を客観的に記述しようとする近代科学の言語では捉えづらい。これは、現代の私たちがいまだに向き合っている問題でもある。実際、九鬼は「直観」という仏教的概念と相似できる思考を、西洋の文脈の中から導き出したベルクソンの思考に濃厚に反応しながら、「偶然性」という主題の追究を通してベルクソンとは異なる見地を拓こうとした※1。九鬼の偶然性に関する仕事は、感覚質がどのように生起するのか、というハードプロブレムや、人という観察するシステムをどう観察するか、ひいては生命の内部観測をどう記述するかという現代の課題にもつながる。

この意味において、本書の後半で、「意気」が「生理的に生きること」と「精神的に生きること」の二層が連動して構成されると書いている九鬼のシステム論的思考は、同時代のフォン・ベルタランフィの一般システム論の考え方とも呼応するものであり、九鬼の没後の少し後に発展したサイバネティクスにもつながる。九鬼は1941年に50代の若さで没しているが、あと20年、いや10年でも生き長らえたなら、ノーバート・ウィーナーやグレゴリー・ベイトソンのサイバネティクス、クロード・シャノンらの情報通信理論に対して、どのように反応したのだろうか。

それを知る術はもはやない。しかし、今日「いきの構造」を読むということは、そのような問いを現在の社会において引き受けるということだと、わたしは思う。確率論的な判定を下す学習機械が資本主義経済と結合し、あらゆる物理現象をデータ化しながら、ネットワーク社会をいきるわたしたちの意識を調整している現在にあって、どのように偶然を「いき」られるのか。このことを考え続ける上で、わたしは次の九鬼の一節を常に肝に銘じておきたいと思うのである。

「いき」は安価なる現実の提立を無視し、実生活に大胆なる括弧を施し、超然として中和の空気を吸いながら、無目的なまた無関心な自律的遊戯をしている。

※1 九鬼とベルクソンの邂逅とフランスでの九鬼の思考の発展について、木岡伸夫「九鬼周造とベルクソン:出会いの意義」(大阪府立大学人文学会、人文学論集、1996, 14, p.119–137)を参考にさせて頂いた。

ドミニク・チェン『コモンズとしての日本近代文学』
(イースト・プレス)

各章の構成(※印刷製本版)

1著者によるテキスト
著者による作品の解説、解題、批評。現代の視点から原著が持っていたさまざまな可能性を論じます。

2初版本の本文写真( 2頁分を見開きで構成 )
初版本の本文写真を掲載することでオリジナルの物としての本が、いったいどのような消息をもって読者に伝わっていたのかを示します。

3原著の抜粋( 作品によっては全文掲載 )
著者が解説した原著の該当部分を青空文庫から抜粋。QRコードから青空文庫の該当頁へ飛びます。そこで原著を最初から読むことができます。
本文中で言及された作品のうち、タイトルの脇に†マークのあるものは青空文庫で読むことができます。

日本近代文学は、いまや誰でも今ここでアクセスできる我々の共有財産(コモンズ)である。そこにはまだまだ底知れぬ宝が隠されている。日英仏の文化とITに精通する著者が、独自に編んだ一人文学全集から、今の時代に必要な「未来を作る言葉」を探し出し、読書することの本質をあらためて問う。もう重たい文学全集はいらない。

・編著者:ドミニク・チェン
・編集:穂原俊二・岩根彰子
・書容設計:羽良多平吉
・320ページ / ISBN:4781619983 / 2021年8月20日刊行

目次

寺田 寅彦『どんぐり』
・ドミニク・チェン:「織り込まれる時間」
・『どんぐり』初版本
・『どんぐり』青空文庫より
使用書体 はんなり明朝

夏目 漱石『夢十夜』
・ドミニク・チェン:「無意識を滋養する術」
・『夢十夜』初版本
・『夢十夜』抜粋 青空文庫より
使用書体 しっぽり明朝

柳田 國男『遠野物語』
・ドミニク・チェン:「死者たちと共に生きる」
・『遠野物語』初版本
・『遠野物語』抜粋 青空文庫より
使用書体 幻ノにじみ明朝

石川 啄木『一握の砂』
・ドミニク・チェン:「喜びの香り」
・『一握の砂』初版本
・『一握の砂』抜粋 青空文庫より
使用書体 しっぽり明朝

南方 熊楠『神社合祀に関する意見』
・ドミニク・チェン:「神々と生命のエコロジー」

・『神社合祀に関する意見』初版本
・『神社合祀に関する意見』抜粋 青空文庫より
使用書体 いろは角クラシック Light

泉 鏡花 『海神別荘』
・ドミニク・チェン:「異界の論理」

・『海神別荘』初版本
・『海神別荘』抜粋 青空文庫より
使用書体 A P-OTFきざはし金陵 StdN M

和辻 哲郎『古寺巡礼』
・ドミニク・チェン:「結晶する風土」

・『古寺巡礼』初版本
・『古寺巡礼』抜粋 青空文庫より
使用書体 源暎こぶり明朝 v6 Regular

小川未明『赤い蝋燭と人魚』
・ドミニク・チェン:「死者と生きる童話」

・『赤い蝋燭と人魚』初版本
・『赤い蝋燭と人魚』青空文庫より
使用書体 A-OTF 明石 Std L

宮沢 賢治『インドラの網』
・ドミニク・チェン:「縁起を生きるための文学」

・「インドラの網』初版本
・『インドラの網』青空文庫より
使用書体 幻ノにじみ明朝

内藤 湖南『大阪の町人学者富永仲基』
・ドミニク・チェン:「アップデートされる宗教」

・『大阪の町人学者富永仲基』初版本
・『大阪の町人学者富永仲基』抜粋 青空文庫より
使用書体 小塚明朝

三遊亭 円朝『落語の濫觴』
・ドミニク・チェン:「落語の未来」

・『落語の濫觴』初版本
・『落語の濫觴』青空文庫より
使用書体 游教科書体 Medium

梶井基次郎『桜の樹の下には』
・ドミニク・チェン:「ポスト・ヒューマンの死生観」

・『桜の樹の下には』初版本
・『桜の樹の下には』青空文庫より
使用書体 TB明朝

岡倉 天心『茶の本』
・ドミニク・チェン:「東西翻訳奇譚」

・『茶の本』初版本
・『茶の本』抜粋 青空文庫より
使用書体 I-OTF 明朝オールド Pro R

九鬼 周造『「いき」の構造』
・ドミニク・チェン:「永遠と無限の閾」

・『「いき」の構造』初版本
・『「いき」の構造』抜粋 青空文庫より
使用書体 クレー

林 芙美子『清貧の書』
・ドミニク・チェン:「世界への信頼を回復する」

・『清貧の書』初版本
・『清貧の書』抜粋 青空文庫より
使用書体 RF 本明朝 — MT新こがな

谷崎潤一郎『陰鬱礼賛』
・ドミニク・チェン:「陰影という名の自由」

・『陰影礼賛』初版本
・『陰影礼賛』抜粋 青空文庫より
使用書体 ZENオールド明朝

岡本 かの子『家霊』
・ドミニク・チェン:「呼応しあう「いのち」」

・『家霊』初版本
・『家霊』抜粋 青空文庫より
使用書体 筑紫明朝 Pro5 — RB

折口 信夫『死者の書』
・ドミニク・チェン:「死が媒介する生」

・『死者の書』初版本
・『死者の書』抜粋 青空文庫より
使用書体 XANO明朝

中谷 宇吉郎『『西遊記』の夢』
・ドミニク・チェン:「本当に驚くような心」

・『『西遊記』の夢』初版本
・『『西遊記』の夢』抜粋 青空文庫より
使用書体 F 篠 — M

柳 宗悦『雑器の美』
・ドミニク・チェン:「アノニマス・デザインを愛でる」

・『雑器の美』初版本
・『雑器の美』抜粋 青空文庫より
使用書体 A-OTF A1 明朝

山本周五郎『季節のない街』
・ドミニク・チェン:「全ての文学」

・『季節のない街』初版本
・『季節のない街』抜粋 青空文庫より
使用書体 平成明朝体 W3

--

--

Dominick Chen
Modern Japanese Literature as a Commons

Researcher. Ph.d. (Information Studies). Profile photo by Rakutaro Ogiwara.