内藤湖南『大阪の町人学者富永仲基』:アップデートされる宗教

Dominick Chen
Modern Japanese Literature as a Commons
11 min readAug 20, 2021
ドミニク・チェン『コモンズとしての日本近代文学』(イースト・プレス)書影

大正14年(1925)、日本と中国の歴史に精通する東洋学者として知られる内藤湖南が59歳の時に、大阪毎日新聞の講演会で話した時の筆記である。表題の示す通り、18世紀前半を生きた大阪出身の町人学者、富永仲基がいかに先進的な宗教研究を行ったか、ということを集中的に語っている。行間から講演時の熱が伝わってくるのがこのテキストの醍醐味だ。

富永は儒教、仏教、神道の教えに幼い頃から親しみながらも、少年期からすでにそれら諸宗教の体系に対して、極めて醒めた批評精神を育んでいた。この講演のなかで内藤は、富永が先駆的に打ち立てた研究方法の数々を聴衆に向けて、わかりやすく紹介している。富永の主著『出定後語』(1745)は白文(漢文)で書かれているが、わたしのように漢文をすらすらと読めない人間には、内藤の解説はとてもありがたい。

富永の理論で最も知られているものである「加上」とは、ある最初の説があると、それを後世の人々が次々と書き加えて、次第に別のものへと変容していく様を表している。内藤の表現でいえば、「詰まらなかった最初の説が元にあって、それから段々そのえらい話は後から發展して行った」ということだ。仏陀のオリジナルの言説からは、まずは原義に近い小乗仏教が起こり、その上に法華経や般若経といった増改築を加えたものが大乗仏教であると主張したのが、富永の大乗非仏説として知られる考え方である。科学主義が世界に浸透し始めた内藤の時代においては、このような考え方は既に常識になっていたかもしれないが、18世紀の江戸中期の時点でこのような視点をもって仏教と対峙した富永はたいへん偉い、と内藤は賛辞を惜しまない。

この加上の原理から導かれる様々な歴史の見方についても内藤は解説を行っている。そのうちの一つ、「異部名字難必和會」の原理とは、加上の連鎖が発生する過程において、様々に異なる学派が生まれるが、その派生が重なると、「どれが正しく、どれが誤って居るかといふことを判断するのは餘程困難」になる、ということを意味する。歴史家というのは精確に事実に基づいて「本当のこと」を決めたがるが、そもそも決められなさが歴史の本質であるとする考え方である。

次に、「三物五類立言之紀」という論理は、学説はそれを主張する人物、時代、そして類という区別によって異なってくる、という見方だ。類には五つあり、固有名詞が普通名詞に変わること(泛)、概念が強調されることによってその意味内容が変化すること(磯)、以前の説の反対の説が唱えられること(反)、以前の説の内容が誇張されて拡大すること(張)、そして解釈が転化して変ずること(轉)である。

このような思考の道具立てをどこからか借用するわけでもなく、江戸初期において自力で編み出した富永は、文化人類学者の視点を持っていたようである。その残存する主著である『出定後語』を評して、「国民性によつて宗教といふものが成立つのである」ということを言い当てた、と内藤は話している。仏教の発生と伝来を考える上でも、「印度人は何でも空想的なことを好」むがゆえに幻や神通をもとに仏教が組み上げられ、「支那人は何でも文飾を好む、言葉でも何でも飾る、飾らんと承知しない」がゆえに独自の仏教受容が発達し、そうした「幻みたやうな文みたやうな、目まぐるしい𢌞りくどい奴にぶつかると、日本人の頭では分らなくなつて、何か見當が付かないから、日本人は正直な眞つ直ぐな、手短かに言うた方が一番分りがよいので、それで日本人は質とか絞とかいふことになる」。このように、地域や時代毎の文化的背景の差異を考えなければ文化の本質は理解できない、ということだ。

世俗の立場から宗教の体系を分析したり批評を加えることは、現代でこそ学術分野では常識的だが、寺社の勢力が権力と密接な関係にあった江戸時代において、ここまで科学的な視野をどうして富永が獲得できたのかは謎だが、その透徹した視点は、現代の宗教観を考える上で様々なヒントを与えてくれる。

今日、「マインドフルネス」のような、宗教由来の概念が社会のあちこちで求められている。それは、わたしたちがあくことなく押し寄せては崩れる合理化の網目のふるいにかけられ、砂粒のように細かく分断されて生きているからなのかもしれない。インターネットを見ていると、人々の考えや嗜好性は極限まで多様化したかのように見えるが、その結果として可視化されたのは、異なる価値観同士を隔てる距離であり、相似するもの同士が大きな集団の塊に吸収される様子である。日常の行動が政治思想の左右や文化的品質の上下に分類されるなか、人々の多様な心のかたちを横断的に包摂する言葉や道具立てはいまだ足りていない。

このような状況のなかで、いわゆる「宗教」的現象は二つの相反する立場に見られる。一方には善悪のような二項対立を打ち立て、外部に仮想敵を仕立てることで共同体の結束を強化する向きがある。他方では、そのような友敵の境界を積極的に打ち崩すべく、異質な存在同士の融和を説く向きがある。前者は政治的宗教とでも呼ぶべきものであり、後者は理念的宗教としておこう。

しかし、問題は、両者は現実世界において決して厳密には切り分けることができない、ということだ。少数の共同体においては理念的宗教に基づいた秩序が形成されえるが、一国の規模になってくると宗教は統治や管理の装置としての様相を帯びざるを得ない。スケールによって位相が変化してしまう宗教の理念と実践、この二つを統合する困難さは、今日宗教について語ることにも影を落としている。

『利己的な遺伝子』の著者である遺伝学者のリチャード・ドーキンスは近年、特にアメリカの一部で進化論を否定する教育カリキュラムを推進しようとするキリスト教保守層の動きをやり玉にあげて、政治的宗教の実態に対する攻撃を展開しているが、そこでも科学的思考対宗教的認識論という対立が深められてしまっている。これは結局、自然科学の立場でさえも、ある種の原理主義として信奉されることで、政治的宗教の様相を呈してしまうことを表している。むしろ今日のわたしたちに必要なのは、科学的思考と宗教的理念の両方を、同時に掬い上げるような統合的視点だろう。

この容易ならざる作業に取り組む上で、宗教の現代的状況という表面だけすくい取っても、すぐに綻びが露見してしまうだろう。必要とされるのは、各種の宗教の歴史に通底する本質を損ねることなく、科学の言語によっても記述できるような、互換性を持つ文体や話法だ。

このような問題意識と向き合う時、内藤湖南が力説したように、富永仲基の立ち位置は参考になるだろう。富永は決して宗教に対する無知や無関心からではなく、徹底した学習と実践の中で、真摯に批評を展開した結果、儒教、仏教、神道を統合した後に見えてくる「誠の道」というエッセンスを抽出しようとした。内藤によれば、「誠の道」とは時代ごと、地域ごとに宗教的思考を更新できるということを含意している。富永の「加上」を時代の遺物として埋れさせずに、わたしたちもまた「異部名字難必和會」や「三物五類立言之紀」の原理を独自に「加上」していかなくてはならないだろう。

ドミニク・チェン『コモンズとしての日本近代文学』
(イースト・プレス)

各章の構成(※印刷製本版)

1著者によるテキスト
著者による作品の解説、解題、批評。現代の視点から原著が持っていたさまざまな可能性を論じます。

2初版本の本文写真( 2頁分を見開きで構成 )
初版本の本文写真を掲載することでオリジナルの物としての本が、いったいどのような消息をもって読者に伝わっていたのかを示します。

3原著の抜粋( 作品によっては全文掲載 )
著者が解説した原著の該当部分を青空文庫から抜粋。QRコードから青空文庫の該当頁へ飛びます。そこで原著を最初から読むことができます。
本文中で言及された作品のうち、タイトルの脇に†マークのあるものは青空文庫で読むことができます。

日本近代文学は、いまや誰でも今ここでアクセスできる我々の共有財産(コモンズ)である。そこにはまだまだ底知れぬ宝が隠されている。日英仏の文化とITに精通する著者が、独自に編んだ一人文学全集から、今の時代に必要な「未来を作る言葉」を探し出し、読書することの本質をあらためて問う。もう重たい文学全集はいらない。

・編著者:ドミニク・チェン
・編集:穂原俊二・岩根彰子
・書容設計:羽良多平吉
・320ページ / ISBN:4781619983 / 2021年8月20日刊行

目次

寺田 寅彦『どんぐり』
・ドミニク・チェン:「織り込まれる時間」
・『どんぐり』初版本
・『どんぐり』青空文庫より
使用書体 はんなり明朝

夏目 漱石『夢十夜』
・ドミニク・チェン:「無意識を滋養する術」
・『夢十夜』初版本
・『夢十夜』抜粋 青空文庫より
使用書体 しっぽり明朝

柳田 國男『遠野物語』
・ドミニク・チェン:「死者たちと共に生きる」
・『遠野物語』初版本
・『遠野物語』抜粋 青空文庫より
使用書体 幻ノにじみ明朝

石川 啄木『一握の砂』
・ドミニク・チェン:「喜びの香り」
・『一握の砂』初版本
・『一握の砂』抜粋 青空文庫より
使用書体 しっぽり明朝

南方 熊楠『神社合祀に関する意見』
・ドミニク・チェン:「神々と生命のエコロジー」

・『神社合祀に関する意見』初版本
・『神社合祀に関する意見』抜粋 青空文庫より
使用書体 いろは角クラシック Light

泉 鏡花 『海神別荘』
・ドミニク・チェン:「異界の論理」

・『海神別荘』初版本
・『海神別荘』抜粋 青空文庫より
使用書体 A P-OTFきざはし金陵 StdN M

和辻 哲郎『古寺巡礼』
・ドミニク・チェン:「結晶する風土」

・『古寺巡礼』初版本
・『古寺巡礼』抜粋 青空文庫より
使用書体 源暎こぶり明朝 v6 Regular

小川未明『赤い蝋燭と人魚』
・ドミニク・チェン:「死者と生きる童話」

・『赤い蝋燭と人魚』初版本
・『赤い蝋燭と人魚』青空文庫より
使用書体 A-OTF 明石 Std L

宮沢 賢治『インドラの網』
・ドミニク・チェン:「縁起を生きるための文学」

・「インドラの網』初版本
・『インドラの網』青空文庫より
使用書体 幻ノにじみ明朝

内藤 湖南『大阪の町人学者富永仲基』
・ドミニク・チェン:「アップデートされる宗教」

・『大阪の町人学者富永仲基』初版本
・『大阪の町人学者富永仲基』抜粋 青空文庫より
使用書体 小塚明朝

三遊亭 円朝『落語の濫觴』
・ドミニク・チェン:「落語の未来」

・『落語の濫觴』初版本
・『落語の濫觴』青空文庫より
使用書体 游教科書体 Medium

梶井基次郎『桜の樹の下には』
・ドミニク・チェン:「ポスト・ヒューマンの死生観」

・『桜の樹の下には』初版本
・『桜の樹の下には』青空文庫より
使用書体 TB明朝

岡倉 天心『茶の本』
・ドミニク・チェン:「東西翻訳奇譚」

・『茶の本』初版本
・『茶の本』抜粋 青空文庫より
使用書体 I-OTF 明朝オールド Pro R

九鬼 周造『「いき」の構造』
・ドミニク・チェン:「永遠と無限の閾」

・『「いき」の構造』初版本
・『「いき」の構造』抜粋 青空文庫より
使用書体 クレー

林 芙美子『清貧の書』
・ドミニク・チェン:「世界への信頼を回復する」

・『清貧の書』初版本
・『清貧の書』抜粋 青空文庫より
使用書体 RF 本明朝 — MT新こがな

谷崎潤一郎『陰鬱礼賛』
・ドミニク・チェン:「陰影という名の自由」

・『陰影礼賛』初版本
・『陰影礼賛』抜粋 青空文庫より
使用書体 ZENオールド明朝

岡本 かの子『家霊』
・ドミニク・チェン:「呼応しあう「いのち」」

・『家霊』初版本
・『家霊』抜粋 青空文庫より
使用書体 筑紫明朝 Pro5 — RB

折口 信夫『死者の書』
・ドミニク・チェン:「死が媒介する生」

・『死者の書』初版本
・『死者の書』抜粋 青空文庫より
使用書体 XANO明朝

中谷 宇吉郎『『西遊記』の夢』
・ドミニク・チェン:「本当に驚くような心」

・『『西遊記』の夢』初版本
・『『西遊記』の夢』抜粋 青空文庫より
使用書体 F 篠 — M

柳 宗悦『雑器の美』
・ドミニク・チェン:「アノニマス・デザインを愛でる」

・『雑器の美』初版本
・『雑器の美』抜粋 青空文庫より
使用書体 A-OTF A1 明朝

山本周五郎『季節のない街』
・ドミニク・チェン:「全ての文学」

・『季節のない街』初版本
・『季節のない街』抜粋 青空文庫より
使用書体 平成明朝体 W3

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Dominick Chen
Modern Japanese Literature as a Commons

Researcher. Ph.d. (Information Studies). Profile photo by Rakutaro Ogiwara.