南方熊楠『神社合祀に関する意見』:神々と生命のエコロジー

Dominick Chen
Modern Japanese Literature as a Commons
12 min readAug 20, 2021
ドミニク・チェン『コモンズとしての日本近代文学』(イースト・プレス)書影

この文章は、明治政府が推進していた神社合祀に反対する運動への協力を求めるべく、南方熊楠が植物学者の白井光太郎に宛てた書簡である。全体で3万2千字ほどもある長文であり、内容も私信のレベルを超えて大論文の威容を放っている。現代でいえば「超長文メール」が公のものとして保存されているようなものであり、いわゆる文学作品として書かれたものではない。それでも、日本が近代化の一途を辿る時期において熊楠という異能が持ちうる知識の限りを尽くして描き出した生物学的な視座は、一世紀を超えてなお、現代の私たちを触発してくれる。読んでいるうちに巨大な曼荼羅のなかに飛び込んだような感覚にさせられる、ビジョナリーとしての熊楠の本領発揮とも言える檄文だ。

熊楠が反対した神社合祀とは、1906年に開始された日本政府の政策である。その結果、1914年までに全国に約20万社あった神社のうち、7万社が廃されたという。当時は現在のように神社は宗教法人ではなく、「国家の宗祀」であるという認識であった。合祀令は、一町村一社を原則として小さい神社を大きな神社と統合することで神社の総数を減らし、公費の配分を合理化しつつ、廃された神社の森林資産をもって合祀先の神職の給与原資に充てるという内容であった。神社合祀の実施は各府県の判断に委ねられていたが、「記紀」や『延喜式』といった神道の公式文書に記載のない神々が多く祀られている和歌山県と三重県では、他所よりも積極的に合祀が進められた。和歌山に住む熊楠にとって神社合祀は、研究対象である自然生態系に対する攻撃である以上に、自身の精神的実存に関わる危機をも意味していた。

彼は合祀令が発された3年後の1909(明治42)年から合祀反対運動を開始し、地元紙『牟婁新報』で合祀反対意見の文章を発表、1911(明治44)年には4万8千字ほどの手紙を植物学者の松村任三に送り、これは柳田國男によって『南方二書』として活字化され、自費刊行された。『神社合祀に関する意見』はその翌年の1912(明治45)年に書かれたものである。

この文章は8つの理由を明示して、神社合祀に反対している。いわく、神社合祀は

1:敬神の念を減ずる
2:民の融和を妨げる
3:地方を衰弱させる
4:国民の慰安を奪い、人情を薄くして、風俗を害する
5:愛国心を損ずる
6:土地の治安と利益を害する
7:史蹟と古伝を喪失させる
8:天然風景と天然記念物を破壊する

以上の論点を、その博覧強記を発揮して、古今東西の事例をこれでもかというほどまで列挙し、神社合祀がいかに国益に反するかということを滔々と論じている。怒りに溢れていながら、論理の流れは明瞭である。根拠とするファクトもしっかり添えられており、社会に訴える檄文とはこう書くのだという優れた手本としても読める。

ここで特に興味深いのは、熊楠の視点が、まるでレイ&チャールズ・イームズの映像作品『Powers of Ten』(1977)のように、マクロなグローバル社会の観点から、ミクロな菌類の視点の間を自由自在に行き来することだ。登場する人物や地域などの固有名を列挙してみるだけで、この文書が横断する空間的かつ時間的スケールの巨さがわかる。孔子、子貢、恵心(源信)、後白河帝、応神帝、源順、平重盛、西行、平田篤胤、隋の煬帝、梁の武帝、モンテスキュー、セント・ポール大聖堂、フィンランド、ノルウェー、ヘンリー・ダイアー、バビロン、エジプト、ギリシア・ローマ、キリスト教、アフリカ、台湾、民俗学、英国のリッブル河辺、アルフレッド大王、カリフォルニアの巨柏、ニュージャージー州、オーギュスト・コント…こうして俯瞰してみると、その知識の浩瀚さにも改めて圧倒されるが、和歌山周辺の森林環境を神社合祀令から保護するためにこれだけの論拠を総動員する熊楠の真剣さにも心を打たれる。これが熊楠に特有の奇特な衒学的態度なのかと問うてみても、実際にはひとりの研究者としてこれ以上真摯な応答はないだろうとも思う。

近代的な研究者とは普遍的な真理を追い求める者である。たとえその探究の過程において、従来の真理の定義を覆すことになろうとも、愚直なまでに科学的な普遍性を探究し、世界を理解しようとする。この矜恃は、民俗学者から数学者までを貫く、アカデミアという学問体系を根本で支える理念である。熊野の杜を破壊することは決してローカルな「それらのなかのひとつ《one of them》」の問題ではなく、人類の歴史の総体と連続している事象なのであり、そこには人間社会の未来がホログラムのように照射されているのだ。

熊楠は20歳から34歳までをアメリカとイギリスで過ごし、40歳近くまでにおよそ400本ほどの英語論文を学術誌『Nature』と『Notes & Queries』に寄稿していたことからも※1、彼が生息する「世界」の範囲は日本という国家の枠を遥かに超えて、自然全体を包摂するスケールであったことがわかる。実際、彼の世界認識は実に複雑な相互関係によって結ばれた豊穣な土壌のようなものだ。それは、多くの研究者が彼を生態学=エコロジーの先駆的な学者であると指摘する所以でもある。現代によくある誤解のように、森林保護を訴えることだけがエコロジカルなのでは決してなく、「動植物の経済」、つまり生物同士の情報や物質の交換を全体論的に捉える「生態学」こそがのエコロジー概念の本質だ。

この熊楠の認識論は、西洋では20世紀初頭にフォン・ベルタランフィやホワイトヘッドが開拓した「システム論」という視座とも呼応している。先駆的な生態学者としての熊楠は、自然の生態系の破壊が不可逆であること、つまり取り返しがつかなくなることを危惧したのだが、この文章のなかではその影響が日本人の精神的生活にも計り知れない影響を及ぼすことを論じている。この点において熊楠は、1970年代に文化人類学者グレゴリー・ベイトソンが「精神の生態系」を論じたように、生命的システム論の開拓者でもあったのだと言えるだろう。

20世紀後半に生態心理学という分野を切り開いたアメリカの心理学者ジェームズ・ギブソンは、生命が環境の中で常に能動的に情報探索を行っていることを論じた。ここでは「常に」という点が重要である。人間で言えば言語野などの中枢系を介したりせずに、視覚ならば眼球と視神経といった光学処理システムのみによって、生存活動に有益な情報を自律的に探索しているということである。

生命とその包囲環境の不可分な関係のイメージは、特に人間においてはある種の理性偏重主義からの解放をもたらす。ここから、生命においては、その活動が停止する瞬間まで、情報探索と学習が終わることはないというギブソン特有の観念につながる。たとえ眠っている時でさえも、身体の無数のセンサーネットワークは包囲環境からの情報を「能動的に」摂取しようとし続けているし、さらに、瞼を閉じて、外からの光子が網膜に飛び込んで来なくても、私たちは夢の中で明瞭な像を視ることができる。

環境の豊かさとは、私たちの身体が自律的に情報を探索する遊び場としての価値だと捉えられる。「遊」という漢字は、神々が往来を自由に行き来する姿に由来すると言われているから、それは同時に神々の遊び場でもある。ここでいう「遊び」は決して悠長な遊興ではなく、あらゆる生命が相互依存しながら生き続けるための死活問題なのだ。膨大な知識が縦横無尽に遊ぶ「神社合祀に関する意見」はそれ自体が熊楠の生態環境のスナップショットでもあり、論じる対象に同化しているテキストでもある。このような熊楠のエコロジカルな表現には、現代的な思想哲学および政治としてのエコロジー論と、生態心理学と生物学に依拠する自然科学的な生態学を架橋するためのヒントが見て取れるだろう。

熊楠の文章がいまも輝きを失わないのは、彼のなかで常に意識と無意識、理性と生命的衝動が結合していたからではないだろうか。まるで彼が生涯に渡ってその研究に没頭した、動物と植物の状態を行き来する粘菌という不可思議な生物のように。

※1 松居竜五、小泉博一:「南方熊楠の『ネイチャー』掲載論文について」龍谷大学国際社会文化研究所紀要第6号(2004年)

ドミニク・チェン『コモンズとしての日本近代文学』
(イースト・プレス)

各章の構成(※印刷製本版)

1著者によるテキスト
著者による作品の解説、解題、批評。現代の視点から原著が持っていたさまざまな可能性を論じます。

2初版本の本文写真( 2頁分を見開きで構成 )
初版本の本文写真を掲載することでオリジナルの物としての本が、いったいどのような消息をもって読者に伝わっていたのかを示します。

3原著の抜粋( 作品によっては全文掲載 )
著者が解説した原著の該当部分を青空文庫から抜粋。QRコードから青空文庫の該当頁へ飛びます。そこで原著を最初から読むことができます。
本文中で言及された作品のうち、タイトルの脇に†マークのあるものは青空文庫で読むことができます。

日本近代文学は、いまや誰でも今ここでアクセスできる我々の共有財産(コモンズ)である。そこにはまだまだ底知れぬ宝が隠されている。日英仏の文化とITに精通する著者が、独自に編んだ一人文学全集から、今の時代に必要な「未来を作る言葉」を探し出し、読書することの本質をあらためて問う。もう重たい文学全集はいらない。

・編著者:ドミニク・チェン
・編集:穂原俊二・岩根彰子
・書容設計:羽良多平吉
・320ページ / ISBN:4781619983 / 2021年8月20日刊行

目次

寺田 寅彦『どんぐり』
・ドミニク・チェン:「織り込まれる時間」
・『どんぐり』初版本
・『どんぐり』青空文庫より
使用書体 はんなり明朝

夏目 漱石『夢十夜』
・ドミニク・チェン:「無意識を滋養する術」
・『夢十夜』初版本
・『夢十夜』抜粋 青空文庫より
使用書体 しっぽり明朝

柳田 國男『遠野物語』
・ドミニク・チェン:「死者たちと共に生きる」
・『遠野物語』初版本
・『遠野物語』抜粋 青空文庫より
使用書体 幻ノにじみ明朝

石川 啄木『一握の砂』
・ドミニク・チェン:「喜びの香り」
・『一握の砂』初版本
・『一握の砂』抜粋 青空文庫より
使用書体 しっぽり明朝

南方 熊楠『神社合祀に関する意見』
・ドミニク・チェン:「神々と生命のエコロジー」

・『神社合祀に関する意見』初版本
・『神社合祀に関する意見』抜粋 青空文庫より
使用書体 いろは角クラシック Light

泉 鏡花 『海神別荘』
・ドミニク・チェン:「異界の論理」

・『海神別荘』初版本
・『海神別荘』抜粋 青空文庫より
使用書体 A P-OTFきざはし金陵 StdN M

和辻 哲郎『古寺巡礼』
・ドミニク・チェン:「結晶する風土」

・『古寺巡礼』初版本
・『古寺巡礼』抜粋 青空文庫より
使用書体 源暎こぶり明朝 v6 Regular

小川未明『赤い蝋燭と人魚』
・ドミニク・チェン:「死者と生きる童話」

・『赤い蝋燭と人魚』初版本
・『赤い蝋燭と人魚』青空文庫より
使用書体 A-OTF 明石 Std L

宮沢 賢治『インドラの網』
・ドミニク・チェン:「縁起を生きるための文学」

・「インドラの網』初版本
・『インドラの網』青空文庫より
使用書体 幻ノにじみ明朝

内藤 湖南『大阪の町人学者富永仲基』
・ドミニク・チェン:「アップデートされる宗教」

・『大阪の町人学者富永仲基』初版本
・『大阪の町人学者富永仲基』抜粋 青空文庫より
使用書体 小塚明朝

三遊亭 円朝『落語の濫觴』
・ドミニク・チェン:「落語の未来」

・『落語の濫觴』初版本
・『落語の濫觴』青空文庫より
使用書体 游教科書体 Medium

梶井基次郎『桜の樹の下には』
・ドミニク・チェン:「ポスト・ヒューマンの死生観」

・『桜の樹の下には』初版本
・『桜の樹の下には』青空文庫より
使用書体 TB明朝

岡倉 天心『茶の本』
・ドミニク・チェン:「東西翻訳奇譚」

・『茶の本』初版本
・『茶の本』抜粋 青空文庫より
使用書体 I-OTF 明朝オールド Pro R

九鬼 周造『「いき」の構造』
・ドミニク・チェン:「永遠と無限の閾」

・『「いき」の構造』初版本
・『「いき」の構造』抜粋 青空文庫より
使用書体 クレー

林 芙美子『清貧の書』
・ドミニク・チェン:「世界への信頼を回復する」

・『清貧の書』初版本
・『清貧の書』抜粋 青空文庫より
使用書体 RF 本明朝 — MT新こがな

谷崎潤一郎『陰鬱礼賛』
・ドミニク・チェン:「陰影という名の自由」

・『陰影礼賛』初版本
・『陰影礼賛』抜粋 青空文庫より
使用書体 ZENオールド明朝

岡本 かの子『家霊』
・ドミニク・チェン:「呼応しあう「いのち」」

・『家霊』初版本
・『家霊』抜粋 青空文庫より
使用書体 筑紫明朝 Pro5 — RB

折口 信夫『死者の書』
・ドミニク・チェン:「死が媒介する生」

・『死者の書』初版本
・『死者の書』抜粋 青空文庫より
使用書体 XANO明朝

中谷 宇吉郎『『西遊記』の夢』
・ドミニク・チェン:「本当に驚くような心」

・『『西遊記』の夢』初版本
・『『西遊記』の夢』抜粋 青空文庫より
使用書体 F 篠 — M

柳 宗悦『雑器の美』
・ドミニク・チェン:「アノニマス・デザインを愛でる」

・『雑器の美』初版本
・『雑器の美』抜粋 青空文庫より
使用書体 A-OTF A1 明朝

山本周五郎『季節のない街』
・ドミニク・チェン:「全ての文学」

・『季節のない街』初版本
・『季節のない街』抜粋 青空文庫より
使用書体 平成明朝体 W3

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Dominick Chen
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Researcher. Ph.d. (Information Studies). Profile photo by Rakutaro Ogiwara.