和辻哲郎『古寺巡礼』:結晶する風土

Dominick Chen
Modern Japanese Literature as a Commons
11 min readAug 20, 2021
ドミニク・チェン『コモンズとしての日本近代文学』(イースト・プレス)書影

インドから、中国、朝鮮、そして日本に至り、さらにはギリシャまで遡る歴史的な軌跡を、大いなる情感を湧き起こしながら、なぞりなおす。若き日の和辻の、そんな視線を辿っていくと、古都の寺社仏閣が建立当時の彩りを帯び直し、仏像たちが彫塑される様子が目に見えてくるようである。

この本は、著者自身の複数の時間軸が交錯している本である。彼が改訂版のまえがきで断っているように、30代にさしかかろうとする若者の、情熱にされて書かれた文章を恥じて、少なくない箇所が壮年期の著者によって修正されている。だから本書を読む人は、熱っぽい速度と、熟した時間が混ざり合ったような、和辻哲郎という人の生の積層を味わうこともできるのだ。

このような著者自身の複数性と呼応するように、古寺と仏像の数々の精緻な観察を通して、日本の宗教や風俗、そして芸術の発生過程の複雑さが紐解かれていく。アレキサンダー大王の遠征がガンダーラに至ってからギリシャ様式がインドに流入し、アジャンター壁画の誕生の後に玄奘三蔵によってグプタ朝文化が中国へ輸入され、そして百済、高麗を経由して日本へ伝播していく様子が、まるで時間の経過を早回しでつないだ映像をコマ送りで再生するように、緩急をつけて展開していく。

当然だが、このような文化の交流史をその眼で見て、生き永らえている人など存在しない。和辻が本書を通して書いていることは、「あり得た」の空想である。『「あった」か「なかった」かの問題よりも、「あり得た」か「あり得なかった」かの問題』に関心を置く和辻の記述を辿っていると、客観的な史学と主観的な幻想がひとつに融けた視線が身に宿るようだ。このような読書体験を経ると、文献等の情報を理知的に理解するだけでは決して辿り着けない境地があるように思えてくる。それは古代の人々が感じていたであろう情緒を想像することではじめて想像できるのだろう。

本書を読んでいて最もわたしの心が躍るのは、さまざまな来歴や職能を持つ異国人たちが彫刻や建築を通して、日本の風景のなかで東西の歴史を結像させていく描写だ。和辻いわく、「古くからの帰化人や混血人は、家業として学問芸術にたずさわって」きており、日本という原型を作りあげた「文化の担任者のうちに、おびただしい外国人が混じていた」ことを指摘し、彼らもまた「精神的にも肉体的にも」日本人の祖先であると断言する。「文化の相違を風土の相違にまで還元する」和辻の思想が、決して地域文化を狭い地域に閉じ込めることはなく、むしろ多様な風土が混ざり合う次元につながることがよくわかる。少し長くなるが、そんな和辻の日本観をわかりやすく表す一文を引用しよう。

「これらの変遷は外来文化を土台としての我が国人独特の発達経路と見らるべきである。固有の日本文化が外来文化を包摂したのではなく、外来文化の雰囲気のなかで我が国人の性質がかく生育したのである。この見方は外来文化を生育の素地とする点において、外来文化を単に插話的のものと見る見方と異なっている。この立場では、日本人の独創は外来文化に対立するものではなく、外来文化のなかから生まれたものなのである。」

風土の混交する歴史観に裏付けられたビジョンとして、たとえば薬師寺東院堂の聖観音立像を鑑賞した後に、和辻が耽る空想は象徴的だろう。その伝来について記録が残っていないという観音像の作者は、ガンダーラ美術やグプタ朝の芸術を浴びて育ち、中国への滞在を通して漢人の美的価値観を身に付けたに違いないと推測する。この観音像に「東洋のあらゆるよきものが宿っている」のはそのためだ。そして、幾重にも撹拌され、洗練された感覚を「結晶させる」土地として、大和の風土があったのだと、和辻は結論する。

彼はまた人間の移動によって「脳の協働」が起こると説いた19世紀フランスの社会心理学者ガブリエル・タルドを引きながら、文化間で模倣が起こるのは「当然の現象」であり、問題はその結果として傑作が生まれたかどうかである、という。そうして、異なる様式同士の異なる風土における受容があるだけだ、という和辻の文化的力学の見方は、新しいものは常に、より旧いものに起源を求めるという「加上」の思想を掲げた江戸時代の史家、富永仲基とも共鳴しているように思える。

富永はその主著である『出定後語』のなかで、インドと中国、日本の文化的本質を一字で評して、インドは「幻」、中国が「文」、日本は「絞」と表している。東洋史学者の内藤湖南が行った『大阪の町人學者富永仲基』(152頁)という講演の記録に拠れば、「幻」とは、現実は大いなるマーヤー(幻想)であるというヒンドゥ教の世界観を表す。「文」とは、文飾を指し、なんでも飾り立てるという中国の嗜好性を表す。「絞」は、そうしたインドや中国の文化をそのままでは複雑すぎて受け止められないので、もっとシンプルに変化させ、いわば「質」へと絞り込むというイメージである、という。この富永の「絞」と和辻の「結晶」は同質のビジョンだといえるだろう。ただし、和辻に至っては異質なる良きものの結晶化は日本に限った現象ではなく、より普遍性のある概念として捉えられているように思う。

和辻の結晶概念は、あまたの仏教美術の表象に込められた聖性と人間性の緊張関係をも説明するものである。本書の最後で、法隆寺に隣接する中宮寺の如意輪観音像と対面した時の描写がわかりやすい。この像は、人間のかたちを持っており、さらに処女や聖母の様相を喚起させるが、この世に存在するどの女性でもない、しかし女性としか呼びようがない存在だ。和辻いわく、それは「慈悲の権化」であり、慈悲という抽象概念が「人体の形に結晶」しているものだという。聖母マリアは母性、ヴィーナスは処女のういういしさをそれぞれ表してはいるが、それは天上のイデアを人間のかたちに降ろしてくるような表象の方法を採っている。しかし、この観音像においては、人間のかたちを理念が内破し、変形させ、人ではない存在が造形される。

人形のうちに理念が横溢し、形態が誇張されたりデフォルメされるイメージは、現代のロボットやアンドロイドにも通じる。仏像もアンドロイドも、常にその時代ごとのポスト・ヒューマン、つまり「あり得る」人間のイメージへの憧憬を表してきたのだと考えてみれば、古代から現代に連続する文化の脈動が感じられるようだ。

いずれにせよ、「宗教的になり切れるほどわれわれは感覚をのり超えてはいない」という和辻の仏教美術観は、わたしのような現代の無宗教者に対しても、古寺の森を分け入り、古代の人々が聖俗を行き来しながら観想した風景を追体験する方法を教えてくれる。いつの日か、東洋の古寺だけではなく、西洋や中東の寺院にも、和辻の本を携えて赴いてみたい。

ドミニク・チェン『コモンズとしての日本近代文学』
(イースト・プレス)

各章の構成(※印刷製本版)

1著者によるテキスト
著者による作品の解説、解題、批評。現代の視点から原著が持っていたさまざまな可能性を論じます。

2初版本の本文写真( 2頁分を見開きで構成 )
初版本の本文写真を掲載することでオリジナルの物としての本が、いったいどのような消息をもって読者に伝わっていたのかを示します。

3原著の抜粋( 作品によっては全文掲載 )
著者が解説した原著の該当部分を青空文庫から抜粋。QRコードから青空文庫の該当頁へ飛びます。そこで原著を最初から読むことができます。
本文中で言及された作品のうち、タイトルの脇に†マークのあるものは青空文庫で読むことができます。

日本近代文学は、いまや誰でも今ここでアクセスできる我々の共有財産(コモンズ)である。そこにはまだまだ底知れぬ宝が隠されている。日英仏の文化とITに精通する著者が、独自に編んだ一人文学全集から、今の時代に必要な「未来を作る言葉」を探し出し、読書することの本質をあらためて問う。もう重たい文学全集はいらない。

・編著者:ドミニク・チェン
・編集:穂原俊二・岩根彰子
・書容設計:羽良多平吉
・320ページ / ISBN:4781619983 / 2021年8月20日刊行

目次

寺田 寅彦『どんぐり』
・ドミニク・チェン:「織り込まれる時間」
・『どんぐり』初版本
・『どんぐり』青空文庫より
使用書体 はんなり明朝

夏目 漱石『夢十夜』
・ドミニク・チェン:「無意識を滋養する術」
・『夢十夜』初版本
・『夢十夜』抜粋 青空文庫より
使用書体 しっぽり明朝

柳田 國男『遠野物語』
・ドミニク・チェン:「死者たちと共に生きる」
・『遠野物語』初版本
・『遠野物語』抜粋 青空文庫より
使用書体 幻ノにじみ明朝

石川 啄木『一握の砂』
・ドミニク・チェン:「喜びの香り」
・『一握の砂』初版本
・『一握の砂』抜粋 青空文庫より
使用書体 しっぽり明朝

南方 熊楠『神社合祀に関する意見』
・ドミニク・チェン:「神々と生命のエコロジー」

・『神社合祀に関する意見』初版本
・『神社合祀に関する意見』抜粋 青空文庫より
使用書体 いろは角クラシック Light

泉 鏡花 『海神別荘』
・ドミニク・チェン:「異界の論理」

・『海神別荘』初版本
・『海神別荘』抜粋 青空文庫より
使用書体 A P-OTFきざはし金陵 StdN M

和辻 哲郎『古寺巡礼』
・ドミニク・チェン:「結晶する風土」

・『古寺巡礼』初版本
・『古寺巡礼』抜粋 青空文庫より
使用書体 源暎こぶり明朝 v6 Regular

小川未明『赤い蝋燭と人魚』
・ドミニク・チェン:「死者と生きる童話」

・『赤い蝋燭と人魚』初版本
・『赤い蝋燭と人魚』青空文庫より
使用書体 A-OTF 明石 Std L

宮沢 賢治『インドラの網』
・ドミニク・チェン:「縁起を生きるための文学」

・「インドラの網』初版本
・『インドラの網』青空文庫より
使用書体 幻ノにじみ明朝

内藤 湖南『大阪の町人学者富永仲基』
・ドミニク・チェン:「アップデートされる宗教」

・『大阪の町人学者富永仲基』初版本
・『大阪の町人学者富永仲基』抜粋 青空文庫より
使用書体 小塚明朝

三遊亭 円朝『落語の濫觴』
・ドミニク・チェン:「落語の未来」

・『落語の濫觴』初版本
・『落語の濫觴』青空文庫より
使用書体 游教科書体 Medium

梶井基次郎『桜の樹の下には』
・ドミニク・チェン:「ポスト・ヒューマンの死生観」

・『桜の樹の下には』初版本
・『桜の樹の下には』青空文庫より
使用書体 TB明朝

岡倉 天心『茶の本』
・ドミニク・チェン:「東西翻訳奇譚」

・『茶の本』初版本
・『茶の本』抜粋 青空文庫より
使用書体 I-OTF 明朝オールド Pro R

九鬼 周造『「いき」の構造』
・ドミニク・チェン:「永遠と無限の閾」

・『「いき」の構造』初版本
・『「いき」の構造』抜粋 青空文庫より
使用書体 クレー

林 芙美子『清貧の書』
・ドミニク・チェン:「世界への信頼を回復する」

・『清貧の書』初版本
・『清貧の書』抜粋 青空文庫より
使用書体 RF 本明朝 — MT新こがな

谷崎潤一郎『陰鬱礼賛』
・ドミニク・チェン:「陰影という名の自由」

・『陰影礼賛』初版本
・『陰影礼賛』抜粋 青空文庫より
使用書体 ZENオールド明朝

岡本 かの子『家霊』
・ドミニク・チェン:「呼応しあう「いのち」」

・『家霊』初版本
・『家霊』抜粋 青空文庫より
使用書体 筑紫明朝 Pro5 — RB

折口 信夫『死者の書』
・ドミニク・チェン:「死が媒介する生」

・『死者の書』初版本
・『死者の書』抜粋 青空文庫より
使用書体 XANO明朝

中谷 宇吉郎『『西遊記』の夢』
・ドミニク・チェン:「本当に驚くような心」

・『『西遊記』の夢』初版本
・『『西遊記』の夢』抜粋 青空文庫より
使用書体 F 篠 — M

柳 宗悦『雑器の美』
・ドミニク・チェン:「アノニマス・デザインを愛でる」

・『雑器の美』初版本
・『雑器の美』抜粋 青空文庫より
使用書体 A-OTF A1 明朝

山本周五郎『季節のない街』
・ドミニク・チェン:「全ての文学」

・『季節のない街』初版本
・『季節のない街』抜粋 青空文庫より
使用書体 平成明朝体 W3

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Dominick Chen
Modern Japanese Literature as a Commons

Researcher. Ph.d. (Information Studies). Profile photo by Rakutaro Ogiwara.