夏目漱石『夢十夜』:無意識を滋養する術

Dominick Chen
Modern Japanese Literature as a Commons
11 min readAug 20, 2021
ドミニク・チェン『コモンズとしての日本近代文学』(イースト・プレス)書影

「こんな夢をみた」という書き出しが有名な漱石の幻想小説である。現代、太古、中世といった時代が入り乱れる時間軸の混乱、脈絡のないシナリオの展開、主客が混交する視点など、夢の特徴を備えた小話10篇によって構成されている。全体的に不穏な空気が漂い、死を匂わせる語彙が散りばめられ、暗い色調の文章で組み立てられた作品だ。

思うに、夢物語という主題は、古くは莊子の『胡蝶の夢』からルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』まで、多くの著者を蠱惑してきた。面白いことに、青空文庫の作品目録を眺めると、寺田寅彦、萩原朔太郎、芥川龍之介、和辻哲郎、森鷗外、正岡子規といった面々が『夢』というタイトルの作品を発表していることがわかる。他にも、北原白秋『夢殿』†、与謝野晶子『夢の影響』†、室井犀星『ゆめの話』†、柳田國男『夢と文芸』†と、20世紀前半の多くの日本の文人が夢について書いてきた。

同時代にダダやシュールレアリズムが興隆した影響もあるのだろうか。西洋において夢という主題が流行した背景には、19世紀にフロイトが切り開き、20世紀にユングが発展させた心理学の影響が指摘されている。幾多の政治的革命、科学と哲学の進歩、そして数度の産業革命が重なる近代の大きなうねり。その中で、心の、つまり「心理」に対しても自然科学の顕微鏡が覗き込むようになったことの帰結なのだろう。特に明治以降の日本では、万民に戸籍が与えられ、「個人」として社会の中で屹立することが制度的に要請されるようになり、新しい自己の在り方が芽吹こうとしていた様子が想起される。

漱石もまた、この明治の過渡期を生き抜き、その過程を文学作品のなかで表現し続けた人だった。というよりは、漱石ほど新旧の認識論の地殻変動に揺さぶられた文学者はいなかったのではないだろうか。

西洋における夢の研究について鷗外が書いた短い紹介文である『夢』(「衛生新誌」)は1889年であり、1899年に子規が書いた『夢』(「ホトトギス 第二巻第四号」)は114文字のごく短い散文である。ヴィクトール・ユーゴー(«Post-scriptum des rêves», 1865)、ポール・ヴェルレーヌ(«Ballade en rêve», 1888)、アルベール・メラ(«Rêve», 1866)など、19世紀のフランスの多くの文学者たちが夢を主題に詩を書いているが、そこで夢はそれぞれの詩の主題(特に恋愛)を際立たせるために用いられているように見える。

漱石が『夢十夜』を書いたのは、強度の神経衰弱に襲われたイギリス留学期の後、日本に帰国して6年が経った時期にあたる。この作品においては、彼の見たという数々の夢の意味解釈は読者に委ねられている。夢を別の主題を描写するためでなく、それ自体をひとつの主題として書き切った『夢十夜』は、少し後にモダニズム作家たちが「意識の流れ」の移ろいを記述したり、シュールレアリストたちが自動筆記で無意識に迫ろうとした動きとも重ねて見ると面白い。

『夢十夜』の6年後の1914年に『こころ』†が発表されているが、この作品を対に読むと、漱石が人間心理の観察にただならぬ関心を寄せていたことがよく分かる。およそ17万字で書かれた『こころ』では、「心」という字を含む語彙が309回使われている。そのうち「心持」が57回、「心配」が29回、「決心」が20回、「安心」が17回、「心臓」が7回、「好奇心」「良心」が5回、そして「心」という字が単独の名詞として使われているのは108回にのぼる。なかでも「私の心」という表現は全編を通して24回も現れているが、『こころ』の前半では先生に惹かれる「私」、後半では先生が主語となり、それぞれ自身の心理の推移を事細かく描写している。自分語りの私小説に慣れきっている現代人からしてみたら、不思議なほど現代的な印象を与える小説であるが、100年以上前の明治後期の読者たちにとっては、この執拗な自己観察のスタイルはかなりの違和感と斬新な印象を与えたのではないだろうか。

明治人が近代的な自意識を獲得するプロセスとして『こころ』が書かれたのだとすれば、それとは対照的に『夢十夜』は、意識が前景化する以前の、無意識が支配する領域を描写する作品として浮き上がってくる。しかし、『夢十夜』における漱石の文体と物語りは、狡猾であることを最初に了解しなければならない。なぜならば、実際の夢というものは『夢十夜』に記述されているよりもずっと支離滅裂なものであり、見た通りの夢の描写というものはもっと読みにくいはずだからだ。だから、『夢十夜』は、たとえ作者が限りなく自然に近づけようと努力したと想像してみても、相当に良く編集された夢の記述であると言わざるをえない。なぜなら、それぞれの話にはオチがないようで、ゆるやかな結末がついているからだ。

それでも、記述対象となる物語世界を作者の恣意からなるべく切り離し、自律させようとする表現の欲望は、後世のシュールレアリストたちの企てにも通じているように思える。また、ダダとも距離が近く、工務店で買った便器を噴水に見立てて「レディメイド」と呼んだり〔『泉』1917〕、『大ガラス』〔『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』、1915-1923〕に入った偶然のひび割れを作品の一部として受け入れたマルセル・デュシャンの志向性をも想起させられる。つまりは、強い「個人」が世界から屹立して「創造」するのだという、勇壮であると同時に貧しい、西洋近代の認識論から遠く離れた創作観だ。『夢十夜』とデュシャンやダダの詩人たちに共通するのは、作者が偶然、自律的に存在する世界に遭遇し、それを覗き見した結果を報告するような表現の方法、とも言えるだろう。この感覚は能舞台を半眼で鑑賞している時と良く似ている。

黒澤明の晩年の作品に、『夢十夜』の影響が見られる『夢』という映画があるが、第一話『日照り雨』では狐の嫁入りの行列が登場する。日本には古来より、百鬼夜行や百物語のようなフォークロアであったり、夢幻能における亡霊との遭遇のように、超現実的な存在が現実空間に出現する目撃譚が多く語られてきた。だが、善悪の彼岸にあって、ただただ存在しているとしか形容できない存在との邂逅にある種のリアリティが宿るのは、かつては夢というものが現代のように狂気としてではなく、日常生活の根幹を成す大事な一要素と捉えられていたからなのではないか。

幻想的な映像が現実を超える肌理細かさで液晶ディスプレイを覆う今日においてなお、生身の体のみで夢を見て、夢を表現するという行為は、情報機器を要さずに拡張現実や複合現実を感得する最も身近で手軽な術であり続けている。その意味では、ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1968)という設問はサイエンス・フィクションというよりは、現実的な問題としてサイボーグ化するわたしたちに迫っているように思えてくる。これからも、文字という低解像度の情報から自由にイメージを紡ぎ出す文学の体験こそが、無意識の自律性を滋養するために不可欠な実践であり続けるだろう。言葉とイメージの誤差にこそ、未だ誰も見たことのない夢の振幅が潜在しているのだから。

ドミニク・チェン『コモンズとしての日本近代文学』
(イースト・プレス)

各章の構成(※印刷製本版)

1著者によるテキスト
著者による作品の解説、解題、批評。現代の視点から原著が持っていたさまざまな可能性を論じます。

2初版本の本文写真( 2頁分を見開きで構成 )
初版本の本文写真を掲載することでオリジナルの物としての本が、いったいどのような消息をもって読者に伝わっていたのかを示します。

3原著の抜粋( 作品によっては全文掲載 )
著者が解説した原著の該当部分を青空文庫から抜粋。QRコードから青空文庫の該当頁へ飛びます。そこで原著を最初から読むことができます。
本文中で言及された作品のうち、タイトルの脇に†マークのあるものは青空文庫で読むことができます。

日本近代文学は、いまや誰でも今ここでアクセスできる我々の共有財産(コモンズ)である。そこにはまだまだ底知れぬ宝が隠されている。日英仏の文化とITに精通する著者が、独自に編んだ一人文学全集から、今の時代に必要な「未来を作る言葉」を探し出し、読書することの本質をあらためて問う。もう重たい文学全集はいらない。

・編著者:ドミニク・チェン
・編集:穂原俊二・岩根彰子
・書容設計:羽良多平吉
・320ページ / ISBN:4781619983 / 2021年8月20日刊行

目次

寺田 寅彦『どんぐり』
・ドミニク・チェン:「織り込まれる時間」
・『どんぐり』初版本
・『どんぐり』青空文庫より
使用書体 はんなり明朝

夏目 漱石『夢十夜』
・ドミニク・チェン:「無意識を滋養する術」
・『夢十夜』初版本
・『夢十夜』抜粋 青空文庫より
使用書体 しっぽり明朝

柳田 國男『遠野物語』
・ドミニク・チェン:「死者たちと共に生きる」
・『遠野物語』初版本
・『遠野物語』抜粋 青空文庫より
使用書体 幻ノにじみ明朝

石川 啄木『一握の砂』
・ドミニク・チェン:「喜びの香り」
・『一握の砂』初版本
・『一握の砂』抜粋 青空文庫より
使用書体 しっぽり明朝

南方 熊楠『神社合祀に関する意見』
・ドミニク・チェン:「神々と生命のエコロジー」

・『神社合祀に関する意見』初版本
・『神社合祀に関する意見』抜粋 青空文庫より
使用書体 いろは角クラシック Light

泉 鏡花 『海神別荘』
・ドミニク・チェン:「異界の論理」

・『海神別荘』初版本
・『海神別荘』抜粋 青空文庫より
使用書体 A P-OTFきざはし金陵 StdN M

和辻 哲郎『古寺巡礼』
・ドミニク・チェン:「結晶する風土」

・『古寺巡礼』初版本
・『古寺巡礼』抜粋 青空文庫より
使用書体 源暎こぶり明朝 v6 Regular

小川未明『赤い蝋燭と人魚』
・ドミニク・チェン:「死者と生きる童話」

・『赤い蝋燭と人魚』初版本
・『赤い蝋燭と人魚』青空文庫より
使用書体 A-OTF 明石 Std L

宮沢 賢治『インドラの網』
・ドミニク・チェン:「縁起を生きるための文学」

・「インドラの網』初版本
・『インドラの網』青空文庫より
使用書体 幻ノにじみ明朝

内藤 湖南『大阪の町人学者富永仲基』
・ドミニク・チェン:「アップデートされる宗教」

・『大阪の町人学者富永仲基』初版本
・『大阪の町人学者富永仲基』抜粋 青空文庫より
使用書体 小塚明朝

三遊亭 円朝『落語の濫觴』
・ドミニク・チェン:「落語の未来」

・『落語の濫觴』初版本
・『落語の濫觴』青空文庫より
使用書体 游教科書体 Medium

梶井基次郎『桜の樹の下には』
・ドミニク・チェン:「ポスト・ヒューマンの死生観」

・『桜の樹の下には』初版本
・『桜の樹の下には』青空文庫より
使用書体 TB明朝

岡倉 天心『茶の本』
・ドミニク・チェン:「東西翻訳奇譚」

・『茶の本』初版本
・『茶の本』抜粋 青空文庫より
使用書体 I-OTF 明朝オールド Pro R

九鬼 周造『「いき」の構造』
・ドミニク・チェン:「永遠と無限の閾」

・『「いき」の構造』初版本
・『「いき」の構造』抜粋 青空文庫より
使用書体 クレー

林 芙美子『清貧の書』
・ドミニク・チェン:「世界への信頼を回復する」

・『清貧の書』初版本
・『清貧の書』抜粋 青空文庫より
使用書体 RF 本明朝 — MT新こがな

谷崎潤一郎『陰鬱礼賛』
・ドミニク・チェン:「陰影という名の自由」

・『陰影礼賛』初版本
・『陰影礼賛』抜粋 青空文庫より
使用書体 ZENオールド明朝

岡本 かの子『家霊』
・ドミニク・チェン:「呼応しあう「いのち」」

・『家霊』初版本
・『家霊』抜粋 青空文庫より
使用書体 筑紫明朝 Pro5 — RB

折口 信夫『死者の書』
・ドミニク・チェン:「死が媒介する生」

・『死者の書』初版本
・『死者の書』抜粋 青空文庫より
使用書体 XANO明朝

中谷 宇吉郎『『西遊記』の夢』
・ドミニク・チェン:「本当に驚くような心」

・『『西遊記』の夢』初版本
・『『西遊記』の夢』抜粋 青空文庫より
使用書体 F 篠 — M

柳 宗悦『雑器の美』
・ドミニク・チェン:「アノニマス・デザインを愛でる」

・『雑器の美』初版本
・『雑器の美』抜粋 青空文庫より
使用書体 A-OTF A1 明朝

山本周五郎『季節のない街』
・ドミニク・チェン:「全ての文学」

・『季節のない街』初版本
・『季節のない街』抜粋 青空文庫より
使用書体 平成明朝体 W3

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Dominick Chen
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Researcher. Ph.d. (Information Studies). Profile photo by Rakutaro Ogiwara.