岡倉天心『茶の本』:東西翻訳奇譚

Dominick Chen
Modern Japanese Literature as a Commons
13 min readAug 20, 2021
ドミニク・チェン『コモンズとしての日本近代文学』(イースト・プレス)書影

『茶の本』は、1906年に岡倉「天心」覚三が英語で書き、ニューヨークで出版した『The Book of Tea』を村岡博が邦訳したもので、1929年に初版とある。村岡は、天心の弟で英語学者であった岡倉由三郎の塾生で、東京高等師範学校の教授を務めていたらしい。この本はだから、日本人である天心が英語で書いたものが、20年以上経て、彼の没後に邦訳されたという不思議な来歴を持っている。なぜ天心は生前に自分で訳さなかったのだろうか、という疑問が浮かぶが、ある言語で書いたものを自ら他言語に翻訳するというのは、確かに骨が折れて、億劫になるものだ。今日、Wikipediaでざっと確認できるものだけで、村岡版以降に6つの新訳が刊行されていることも、この本の面白さを物語っている。

英語圏でも有名で多くの人に読まれた本であるが、現代日本ではどれほど読まれているのかわたしにはわからない。いずれにせよ、短いページ数のなかで実に多くの主題が明瞭な筆致で書かれているため、逐次的に考察していくにはわたしの能力も、紙幅も全く足らない。それでも確かに言えるのは、天心の志向性が本書で取り上げている多くの書き手たちと共鳴しているということだ。たとえば、「今の世に美術無し、というが、これが責めを負うべき者はたれぞ。古人に対しては、熱狂的に嘆賞するにもかかわらず、自己の可能性にはほとんど注意しないことは恥ずべきことである」と書いてある箇所〔第五章 芸術鑑賞〕がある。これは、古いものを権威付けようとする向きを批判し、眼前の美術品の価値を自律的に見定めることを説いた、柳宗悦(306頁)の『雑器の美』(1927)の一節であったとしても不思議ではない。宗悦が天心の強い影響を受けたという以上に、共振とでも呼べるような激しさが両者に共通しているのだ。天心と宗悦はまた、日常から切り離された美的意識よりも、日常をいかに異化するために世界の現象に注視するか、という志も共有しているように見える。

この本が後の時代の思想的潮流を先取りしているように思われる例は他にもある。「美術家は通信を伝える道を心得ていなければならないように、観覧者は通信を受けるに適当な態度を養わなければならない」という語り口は、半世紀後にコンセプチュアルアートの祖であるマルセル・デュシャンが、「私は、ある絵画の成立には、芸術家と同じ分だけ観察者が関与していると強く信じる」※1 と語っていることと通底しているように感じられる。

また、状況に応じて評価軸さえも変化する、相対的な美の論理について、数々の事例を交えながら、詩的な軽やかさで記述していくスタイルは、天心を精神的な父と仰いだ九鬼周造の『「いき」の構造』(208頁)とも相似している。そして、「われわれはあまりに分類し過ぎて、あまりに楽しむことが少ない」という警句は、分類学からはじまって密教的な縁起を体現しようとした熊楠の宇宙観を彷彿とさせる。

ことほどさように、数多くの思想家との接続を喚起させてしまう『茶の本』について論じるには、一冊の本を要するだろう。それは近代的な美術から東洋宗教の文脈までを含み、そしてデザインから科学的認識論の話にまで及ぶに違いない。ここではそのような大風呂敷を広げる代わりに、一つ、この本の翻訳を巡る興味深い逸話について書いておきたい。

天心は原著の『The Book of Tea』を英語で書く際に、様々なアジアの固有名詞だけではなく、引用している禅や道教の漢文をも翻訳する必要に迫られた。なかでも、道教の「処世」という語を「being in the world」と表現している。哲学者の今道友信によれば※2 同書が1908年にドイツ語で刊行された時に、この言葉は逐語的に「in-der-Welt-sein」と独訳された。ドイツに留学していた哲学者の伊藤吉之助は、後に20世紀を代表する哲学者となったマルティン・ハイデッガーを個人教師として雇っていたが、1919年にドイツを去る際に伊藤はハイデッガーにドイツ語版の『茶の本』、『Das Buch vom Tee』を手渡している。その後、1927年に刊行され、ハイデッガーの思想を一躍有名にした本『存在と時間』のなかで、「in-der-Welt-sein」という言葉が主たる概念のひとつとして扱われていた。しかし、その本の中で、天心にも伊藤にも言及がなかったことに、伊藤は呆れたという。

この言葉はその後、日本語でハイデッガー哲学を学ぶものが「世界内存在」として慣れ親しむことになる。当のハイデッガーは終生、このことについて聞かれても沈黙を貫いたらしい。ただ、わたしとしては、西洋人による東洋の剽窃行為や搾取という側面に対して憤慨する気持ちよりもむしろ、西洋近代哲学の体系構築を担ったハイデッガーの思想の中心に、天心を経由した老荘思想がごろんと居座っていることの愉快さに心が向いてしまう。

なぜならば、『茶の本』は徹頭徹尾、近代西洋の価値観に対して東洋人である天心が説諭するという形式を取っている本だからだ。冒頭を読み始めてからすぐに、近代合理主義の教育を受けた現代人なら誰しも、自らのうちに宿された西洋史観的な価値を振り返らざるを得ない。たとえば、「西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていた」が、「もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう」という箇所は、その後の日本のアジアにおける帝国主義的な振る舞いを思えば、いろいろと考えさせられる。

そして、このような指摘が、非常に美しく、読みやすい英語で書かれたことの意味を過小評価してはならない。幼少期から英語に親しみ、成長してからは来日していた東洋美術史家アーネスト・フェノロサに師事した天心の英文は、今日読んでも実に簡潔明快でわかりやすい。ウェブサイト上で知らずに読んだら、現代人が書いたものかと錯覚するかもしれない。だからこそ英語圏でも『茶の本』は古典として読みつがれてきたのだろう。

そして、かくも論理的に東西の思想を比較し、東洋のオリジナリティを詩的に説く本書を読んだ時に、ハイデッガーが受けたであろう知的興奮は想像に余りある。彼にとって天心、そして禅や道教の認識論は相当に不思議なものとして映ったかと思われる。今となっては事実はわからないが、もしも天心の訳を知っていてなおも断りを入れなかったのであれば、もしかしたらそれは、現象学の枠のなかでこの概念を一から構築してみたいという思いがあったからなのかもしれない。そこには西洋史の中の、一つの必然、または必要があったのだと考えることもできるだろう。

しかし、こうした事情がどうであれ、「東西両大陸が互いに奇警な批評を飛ばすことはやめにして、(…)お互いにやわらかい気持ちになろうではないか」と書いた天心の本懐は、意外と早く遂げられたのかもはしれない。

というのも、『茶の本』を読み始めてすぐに、わたしは九鬼周造の『「いき」の構造』を読んだ時と同様の妙味を感じた。両書は、天心と九鬼という、血はつながっていないが精神的な親子であるという、二人のユニークな関係性でつながっている。

そして天心の死後、九鬼はドイツとフランスでハイデッガーとアンリ・ベルクソンと出会った後に、1928年にフランスで『Propos sur le Temps』(時間論)を刊行した。この本は、フランス語で九鬼が行った講演録を基にしている。この中で九鬼は、西洋的な線形の時間観と、東洋における輪廻転生思想に見られる円環的な時間観を比較し、さらにいかに西洋人がこの東洋の性質について誤った認識を持っているかと、いささか語気を強めて語っている。その意味では九鬼の言説は必ずしも「やわらかい」とは言えない部分もあるが、西洋人の誤謬を西洋の言語で伝えようとした意思を、天心から譲り受けたもののようにも見える。

この時、九鬼は、天心とハイデッガーを結ぶ不可視の引用関係を知っていたかもしれないし、知らなかったかもしれない。だとしても、彼がその後に、西洋の哲学体系を駆使しながら、日本の文化的認識論の特性を論じた主著『「いき」の構造』を書くに至ったことは、あの世の天心にとっては実に冥利に尽きることだったのではないだろうか。

※1 フランスのラジオ・インタビューでのデュシャンの発言より。Georges Charbonnier, “Entretiens avec Marcel Duchamp”, 1961

※2 今道友信「知の光を求めて 一哲学者の歩んだ道」中央公論新社、2000

ドミニク・チェン『コモンズとしての日本近代文学』
(イースト・プレス)

各章の構成(※印刷製本版)

1著者によるテキスト
著者による作品の解説、解題、批評。現代の視点から原著が持っていたさまざまな可能性を論じます。

2初版本の本文写真( 2頁分を見開きで構成 )
初版本の本文写真を掲載することでオリジナルの物としての本が、いったいどのような消息をもって読者に伝わっていたのかを示します。

3原著の抜粋( 作品によっては全文掲載 )
著者が解説した原著の該当部分を青空文庫から抜粋。QRコードから青空文庫の該当頁へ飛びます。そこで原著を最初から読むことができます。
本文中で言及された作品のうち、タイトルの脇に†マークのあるものは青空文庫で読むことができます。

日本近代文学は、いまや誰でも今ここでアクセスできる我々の共有財産(コモンズ)である。そこにはまだまだ底知れぬ宝が隠されている。日英仏の文化とITに精通する著者が、独自に編んだ一人文学全集から、今の時代に必要な「未来を作る言葉」を探し出し、読書することの本質をあらためて問う。もう重たい文学全集はいらない。

・編著者:ドミニク・チェン
・編集:穂原俊二・岩根彰子
・書容設計:羽良多平吉
・320ページ / ISBN:4781619983 / 2021年8月20日刊行

目次

寺田 寅彦『どんぐり』
・ドミニク・チェン:「織り込まれる時間」
・『どんぐり』初版本
・『どんぐり』青空文庫より
使用書体 はんなり明朝

夏目 漱石『夢十夜』
・ドミニク・チェン:「無意識を滋養する術」
・『夢十夜』初版本
・『夢十夜』抜粋 青空文庫より
使用書体 しっぽり明朝

柳田 國男『遠野物語』
・ドミニク・チェン:「死者たちと共に生きる」
・『遠野物語』初版本
・『遠野物語』抜粋 青空文庫より
使用書体 幻ノにじみ明朝

石川 啄木『一握の砂』
・ドミニク・チェン:「喜びの香り」
・『一握の砂』初版本
・『一握の砂』抜粋 青空文庫より
使用書体 しっぽり明朝

南方 熊楠『神社合祀に関する意見』
・ドミニク・チェン:「神々と生命のエコロジー」

・『神社合祀に関する意見』初版本
・『神社合祀に関する意見』抜粋 青空文庫より
使用書体 いろは角クラシック Light

泉 鏡花 『海神別荘』
・ドミニク・チェン:「異界の論理」

・『海神別荘』初版本
・『海神別荘』抜粋 青空文庫より
使用書体 A P-OTFきざはし金陵 StdN M

和辻 哲郎『古寺巡礼』
・ドミニク・チェン:「結晶する風土」

・『古寺巡礼』初版本
・『古寺巡礼』抜粋 青空文庫より
使用書体 源暎こぶり明朝 v6 Regular

小川未明『赤い蝋燭と人魚』
・ドミニク・チェン:「死者と生きる童話」

・『赤い蝋燭と人魚』初版本
・『赤い蝋燭と人魚』青空文庫より
使用書体 A-OTF 明石 Std L

宮沢 賢治『インドラの網』
・ドミニク・チェン:「縁起を生きるための文学」

・「インドラの網』初版本
・『インドラの網』青空文庫より
使用書体 幻ノにじみ明朝

内藤 湖南『大阪の町人学者富永仲基』
・ドミニク・チェン:「アップデートされる宗教」

・『大阪の町人学者富永仲基』初版本
・『大阪の町人学者富永仲基』抜粋 青空文庫より
使用書体 小塚明朝

三遊亭 円朝『落語の濫觴』
・ドミニク・チェン:「落語の未来」

・『落語の濫觴』初版本
・『落語の濫觴』青空文庫より
使用書体 游教科書体 Medium

梶井基次郎『桜の樹の下には』
・ドミニク・チェン:「ポスト・ヒューマンの死生観」

・『桜の樹の下には』初版本
・『桜の樹の下には』青空文庫より
使用書体 TB明朝

岡倉 天心『茶の本』
・ドミニク・チェン:「東西翻訳奇譚」

・『茶の本』初版本
・『茶の本』抜粋 青空文庫より
使用書体 I-OTF 明朝オールド Pro R

九鬼 周造『「いき」の構造』
・ドミニク・チェン:「永遠と無限の閾」

・『「いき」の構造』初版本
・『「いき」の構造』抜粋 青空文庫より
使用書体 クレー

林 芙美子『清貧の書』
・ドミニク・チェン:「世界への信頼を回復する」

・『清貧の書』初版本
・『清貧の書』抜粋 青空文庫より
使用書体 RF 本明朝 — MT新こがな

谷崎潤一郎『陰鬱礼賛』
・ドミニク・チェン:「陰影という名の自由」

・『陰影礼賛』初版本
・『陰影礼賛』抜粋 青空文庫より
使用書体 ZENオールド明朝

岡本 かの子『家霊』
・ドミニク・チェン:「呼応しあう「いのち」」

・『家霊』初版本
・『家霊』抜粋 青空文庫より
使用書体 筑紫明朝 Pro5 — RB

折口 信夫『死者の書』
・ドミニク・チェン:「死が媒介する生」

・『死者の書』初版本
・『死者の書』抜粋 青空文庫より
使用書体 XANO明朝

中谷 宇吉郎『『西遊記』の夢』
・ドミニク・チェン:「本当に驚くような心」

・『『西遊記』の夢』初版本
・『『西遊記』の夢』抜粋 青空文庫より
使用書体 F 篠 — M

柳 宗悦『雑器の美』
・ドミニク・チェン:「アノニマス・デザインを愛でる」

・『雑器の美』初版本
・『雑器の美』抜粋 青空文庫より
使用書体 A-OTF A1 明朝

山本周五郎『季節のない街』
・ドミニク・チェン:「全ての文学」

・『季節のない街』初版本
・『季節のない街』抜粋 青空文庫より
使用書体 平成明朝体 W3

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Dominick Chen
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Researcher. Ph.d. (Information Studies). Profile photo by Rakutaro Ogiwara.