谷崎潤一郎『陰翳礼讃』:陰影という名の自由

Dominick Chen
Modern Japanese Literature as a Commons
12 min readAug 20, 2021
ドミニク・チェン『コモンズとしての日本近代文学』(イースト・プレス)書影

2019年の真夏に、とある研究合宿のために、京都は妙心寺境内の禅寺、春光院を訪れた。カナダ、イギリス、サウジアラビア、韓国から心理学の研究者を招聘し、西洋圏以外の地域における幸福の捉え方を学術的に議論する会合だった。わずか3日間の日程だったが、ただ理知的な議論を交わすだけではなく、身体的にも東洋の暗黙知を実感するために、副住職の川上全龍師と畳の上で座禅を組んだり、枯山水の方丈前庭を借景にして能楽師・安田登さんと浪曲師・玉川奈々福さんの共演を鑑賞した。

このように書くと、いかにも海外からの旅行者を喜ばせるような、日本情緒溢れる観光プログラムのように思われるかもしれない。しかし、海外からの参加者は、座禅や能楽を不可思議に感じても、なかなか言語化できずに黙していた様子だったのが興味深かった。それは彼らの培ってきた認識論が、東洋的な内観を表現するように訓練されていないからだったのかもしれない。実際、半数を占める日本人の参加者たちは逆に、文化的遺伝の片隅に残っている記憶と接続しながら、より直感的に楽しめているようだった。

個人的に感慨深い体験となったのは初日の夜に、京狩野派、永岳の筆とされる金箔の襖絵『琴棋書画図』に囲まれた畳の間で、燭台の蠟燭を一本だけ灯して、参加者たちと車座になって議論を交わした時間だ。互いの顔はほとんど輪郭しか見えず、表情を細かく読み取れない。声を発しても、相手にどのように受け止められているのかがいつもより不明瞭に感じられる。その分、自意識が後退し、純粋にその場で交わされる会話がなめらかに進行していく感もあった。淡い時間が流れるなか、思考がその空間にたゆたう感覚が持続していた。

この間、自然と谷崎の『陰翳礼讃』を想起させられた。驚いたことに、当院の川上師に聞けば、実は先々代は谷崎潤一郎と交流があり、谷崎もまたここで、弱い灯のなかに浮かび上がる陰翳を愛でたことがあるという。であれば、わたしは谷崎の書いた主張を自らの身体で体感する僥倖に恵まれたことになる。

『陰翳礼讃』は海外でもとても有名で、フランスや北米の思想家の本の中でも、その引用を目にすることは少なくない。20世紀前半の日本人が洋の東西の比較を書いた本という文脈では、九鬼周造の『「いき」の構造』(208頁)、岡倉天心『茶の本』(190頁)、そして柳宗悦の『雑器の美』(306頁)と併せて読まれるべき文章だといえる。

本作はもともと、『経済往来』という総合雑誌に寄稿されたエッセイなので、純粋な文学には属さないテキストだが、谷崎の審美的思想の論理が解説されたものとしては非常にわかりやすい。そして、今日なお考察に値するそのエッセンスは、「何でもない所に陰翳を生ぜしめて、美を創造する」という一文に集約されるだろうと思う。

谷崎はここで、能と文楽について書いている。特に能楽では鑑賞者の見立てを尊重するため、あえて「何でもない」もの、つまり間や空白を作る。それは物理的な余白であると同時に、表現のなかに予め定められた意味の欠如でもある。空であるからこそ、そこに観者がリアルタイムで色とりどりの「美を創造」し、投影することが可能になる。

通常、「陰影」と聞けば、「陰影をはっきりさせる」という表現とともに、光と闇のコントラストが想起させられる。しかし、強いコントラストは意味の強調になってしまう。谷崎が固執するのはあくまで、丹念に設計された虚無である。かくして日本の優れた表現者たちは「虚無の空間を任意に遮蔽して自ずから生ずる陰翳の世界に、いかなる壁画や装飾にも優る幽玄味を持たせた」という。ここで「幽玄」という言葉を、自由に想像を嵌め込む余白、と言い換えても差し支えはないだろう。

この余白のことを、「認知的な自由」と表現してみることもできないだろうか。暗闇は、感覚が遊ぶ余裕を無限に湛えている。それがただの空白ではないのは、薄明かりによって照らされた絵や文様、役者の顔と所作などが道標として、知覚を誘導するからだ。

近代的な常識でいえば、作品が主であり、鑑賞者は埋め込まれた表現を読み取れるように訓練される。しかし、淡い陰影が支配する世界における作品は、鑑賞者の感覚がそこに移入するための間隙を残しているものだ。そこでは、夢幻能で演じられる時空のように、夢と、そして主客の境界はぼやけ、意識は過去と現在、未来を自由に行き来しはじめる。

ここで思い出すのが、「表現の余地」を相手に残すという文化気質が、日本語の日常会話においても、相づちの打ち合いによって表出していることだ。二人の話者同士の対話においても、ヨーロッパと日本では構造が異なる。西洋近代的な観念でいえば、対話とはターンテイク(順序交代)で進み、それぞれの話者の差異が強調される形式のことを指す。AとBという話者の陰影ははっきりとするのが善い、と考えられる。

他方で、日本語の場合では、AとBはむしろ、互いの境界線をぼかすように会話する。言語教育学者の水谷信子によれば、日本語の自然な会話とは、対話ではなく「共話」であるという。話者は、相づちを打って相手の発話を助けながら、自身の発話に対しても相手に相づちを打たせるための間を設けたり、フレーズをあえて未完成のまま放り投げたりする。この「全てを言葉にしない」という態度は、言語レベルでの谷崎的陰影の顕現と見ることもできるだろう。水谷はまた、全てを言わなくてもわかってくれる人がいる、という感情を引き出す共話が、人々の心の支えとなっているだろうとも推測している。共話においては、論理よりも情緒が前景に浮かび上がると言える。

谷崎は『陰翳礼讃』で語っている諸々の事柄を「老人の愚痴」であると断っているが、そこには彼なりの幸福観が表現されているようにも思える。それは、冒頭で述べたように、わたしが「人間はいかにして幸福になるのか」という問いと向き合う「ウェルビーイング」の研究を行っているからかもしれない。20世紀の社会科学に始まり、21世紀には認知心理学、工学、そして哲学が加わって議論が進んでいるこの領域では、これまで西洋がとりこぼしてきた東洋やその他地域の文化的認識論への注目が高まっている。その意味でも、谷崎の陰影の概念から学べることは多いと思う。

現代人は洋の東西を問わず、森羅万象に具体的なかたちを与えて客体化させずにはいられないという、時代的な病理にかかっている。この病は、情報技術が社会に浸透するにつれて、人々の空白の時間を刺激で埋め尽くすことで回る資本主義経済の構造とも連関するものだ。しかし、わたしたちの身体はテクノロジーほどの速さで進化できるものではない。逆に、情報機器への依存が精神的荒廃につながるという指摘もなされている。このような現状に対して谷崎の語る「何でもない所に陰翳を生ぜしめて、美を創造する」というロジックは、有効な処方箋になりえるだろう。

淡い明暗のグラデーションのなかに自らの身体と意識を融け込ませることではじめて、わたしたちは人や人外の存在たち、そして環境と共話することができるようになる。そうして、わたしたちは世界を主客に分類し尽くそうという病理から回復し、論理と情緒を整合させながら、より善く生きる道筋を見つけられるだろう。

とはいえ、そのような陰影の価値を、下手に客観的な科学用語で記述しようとすれば、草葉の陰の谷崎から(そしてもしかしたら九鬼や宗悦からも)「野暮だ」と叱られてしまうかもしれない。それでも、現代社会のなかの陰影をもっと増やすための方策を立てていかなければ、谷崎が遺したテキストが旧時代の遺物として忘却されてしまうのではないか。わたしはそのことをより怖れている。

ドミニク・チェン『コモンズとしての日本近代文学』
(イースト・プレス)

各章の構成(※印刷製本版)

1著者によるテキスト
著者による作品の解説、解題、批評。現代の視点から原著が持っていたさまざまな可能性を論じます。

2初版本の本文写真( 2頁分を見開きで構成 )
初版本の本文写真を掲載することでオリジナルの物としての本が、いったいどのような消息をもって読者に伝わっていたのかを示します。

3原著の抜粋( 作品によっては全文掲載 )
著者が解説した原著の該当部分を青空文庫から抜粋。QRコードから青空文庫の該当頁へ飛びます。そこで原著を最初から読むことができます。
本文中で言及された作品のうち、タイトルの脇に†マークのあるものは青空文庫で読むことができます。

日本近代文学は、いまや誰でも今ここでアクセスできる我々の共有財産(コモンズ)である。そこにはまだまだ底知れぬ宝が隠されている。日英仏の文化とITに精通する著者が、独自に編んだ一人文学全集から、今の時代に必要な「未来を作る言葉」を探し出し、読書することの本質をあらためて問う。もう重たい文学全集はいらない。

・編著者:ドミニク・チェン
・編集:穂原俊二・岩根彰子
・書容設計:羽良多平吉
・320ページ / ISBN:4781619983 / 2021年8月20日刊行

目次

寺田 寅彦『どんぐり』
・ドミニク・チェン:「織り込まれる時間」
・『どんぐり』初版本
・『どんぐり』青空文庫より
使用書体 はんなり明朝

夏目 漱石『夢十夜』
・ドミニク・チェン:「無意識を滋養する術」
・『夢十夜』初版本
・『夢十夜』抜粋 青空文庫より
使用書体 しっぽり明朝

柳田 國男『遠野物語』
・ドミニク・チェン:「死者たちと共に生きる」
・『遠野物語』初版本
・『遠野物語』抜粋 青空文庫より
使用書体 幻ノにじみ明朝

石川 啄木『一握の砂』
・ドミニク・チェン:「喜びの香り」
・『一握の砂』初版本
・『一握の砂』抜粋 青空文庫より
使用書体 しっぽり明朝

南方 熊楠『神社合祀に関する意見』
・ドミニク・チェン:「神々と生命のエコロジー」

・『神社合祀に関する意見』初版本
・『神社合祀に関する意見』抜粋 青空文庫より
使用書体 いろは角クラシック Light

泉 鏡花 『海神別荘』
・ドミニク・チェン:「異界の論理」

・『海神別荘』初版本
・『海神別荘』抜粋 青空文庫より
使用書体 A P-OTFきざはし金陵 StdN M

和辻 哲郎『古寺巡礼』
・ドミニク・チェン:「結晶する風土」

・『古寺巡礼』初版本
・『古寺巡礼』抜粋 青空文庫より
使用書体 源暎こぶり明朝 v6 Regular

小川未明『赤い蝋燭と人魚』
・ドミニク・チェン:「死者と生きる童話」

・『赤い蝋燭と人魚』初版本
・『赤い蝋燭と人魚』青空文庫より
使用書体 A-OTF 明石 Std L

宮沢 賢治『インドラの網』
・ドミニク・チェン:「縁起を生きるための文学」

・「インドラの網』初版本
・『インドラの網』青空文庫より
使用書体 幻ノにじみ明朝

内藤 湖南『大阪の町人学者富永仲基』
・ドミニク・チェン:「アップデートされる宗教」

・『大阪の町人学者富永仲基』初版本
・『大阪の町人学者富永仲基』抜粋 青空文庫より
使用書体 小塚明朝

三遊亭 円朝『落語の濫觴』
・ドミニク・チェン:「落語の未来」

・『落語の濫觴』初版本
・『落語の濫觴』青空文庫より
使用書体 游教科書体 Medium

梶井基次郎『桜の樹の下には』
・ドミニク・チェン:「ポスト・ヒューマンの死生観」

・『桜の樹の下には』初版本
・『桜の樹の下には』青空文庫より
使用書体 TB明朝

岡倉 天心『茶の本』
・ドミニク・チェン:「東西翻訳奇譚」

・『茶の本』初版本
・『茶の本』抜粋 青空文庫より
使用書体 I-OTF 明朝オールド Pro R

九鬼 周造『「いき」の構造』
・ドミニク・チェン:「永遠と無限の閾」

・『「いき」の構造』初版本
・『「いき」の構造』抜粋 青空文庫より
使用書体 クレー

林 芙美子『清貧の書』
・ドミニク・チェン:「世界への信頼を回復する」

・『清貧の書』初版本
・『清貧の書』抜粋 青空文庫より
使用書体 RF 本明朝 — MT新こがな

谷崎潤一郎『陰鬱礼賛』
・ドミニク・チェン:「陰影という名の自由」

・『陰影礼賛』初版本
・『陰影礼賛』抜粋 青空文庫より
使用書体 ZENオールド明朝

岡本 かの子『家霊』
・ドミニク・チェン:「呼応しあう「いのち」」

・『家霊』初版本
・『家霊』抜粋 青空文庫より
使用書体 筑紫明朝 Pro5 — RB

折口 信夫『死者の書』
・ドミニク・チェン:「死が媒介する生」

・『死者の書』初版本
・『死者の書』抜粋 青空文庫より
使用書体 XANO明朝

中谷 宇吉郎『『西遊記』の夢』
・ドミニク・チェン:「本当に驚くような心」

・『『西遊記』の夢』初版本
・『『西遊記』の夢』抜粋 青空文庫より
使用書体 F 篠 — M

柳 宗悦『雑器の美』
・ドミニク・チェン:「アノニマス・デザインを愛でる」

・『雑器の美』初版本
・『雑器の美』抜粋 青空文庫より
使用書体 A-OTF A1 明朝

山本周五郎『季節のない街』
・ドミニク・チェン:「全ての文学」

・『季節のない街』初版本
・『季節のない街』抜粋 青空文庫より
使用書体 平成明朝体 W3

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Dominick Chen
Modern Japanese Literature as a Commons

Researcher. Ph.d. (Information Studies). Profile photo by Rakutaro Ogiwara.