Jazzを聴く — “Canto nascosto “ by Enrico Pieranunzi

Canto nascosto — Enrico Pieranunzi

そもそもジャズと言う表現方法が余り好きではなかった、その理由が最近段々と自分の中で明確になって来たように思う。

一つには、ジャズとの出会いが好くなかった。いわゆる日本式のジャズ、主に「スタンダード・ジャズ」か前衛ジャズのどちらかに二極化された和式ジャズの何れも、私にとってはノイズの塊にしか聴こえなかった。
それでもコード理論からその他ジャズを演奏するに必要なお約束事の全般を学び、時には名人芸とも言われるアドリブを採譜したり完コピ等にもTryはするけれど、えっとえっと‥ えーっとえーーっと‥的なアドリブは私の音楽性とは全くフィットしなかった。

往々にして「ジャズを聴く人」に共通しているのは、膝と足首に耳と心臓が移動したみたいにタカタカと貧乏揺すりさながらの動きを交えながら音列を追い掛けて居る点かもしれない。
料理を視覚だけで食すが如く、それは全く水気を失った食パンのようなもので、パンも乾燥すれば打楽器のバチに変わりその役割まで変質してしまうと言われているようで、膝をカタカタ揺すりながらジャズで下半身ダンスをしているリスナーを見る度に胃が縮まるような思いを抑え切れなかった。

クラシック以外の演奏家を目指す者は皆、一度はこの「ジャズの門」を叩き、そこを潜ることを余儀なくされる。私もその一人だった。ジャズが弾けなければその先に職業の駒を進めることが出来ない。
だが、逆にラテンやシャンソンが弾けないからと言って職にあぶれることがないことも又不思議で、これ、さながら「とりあえず生ビール!」のあの感覚によく似てるなぁと思いながら、プロの伴奏家になってから数年で私はジャズ的奏法から徹底的に離脱を試みたのだった。

だが、この人 Enrico Pieranunzi の『Canto nascosto』と言うアルバムを耳にした時、私は違う意味で心臓が壊れそうになった。
丁度赤坂見付の「BOUM」と言うシャンソニエに伴奏者として務めて5~6年目の冬だったか、ファンの一人に「こういうのも悪くないよ。」と言われ渋々聴いてみるか‥と思ったものの、なぜかこのピアニストの音色や表現スタイルに深く心惹かれ、以来この季節になると必ず聴いている。

私にとって「秋」はジャズの季節であり、数年前までは必ず原宿はブラームス通りを一人で散策しながら、咲き始めのコスモスの原種等を道端で見付けては携帯電話のカメラにそれを収めて行くのが日課ならぬ私の年の行事の一つとなっていた。
再婚して都下のかなり田舎に移住してからはなかなか腰が重くなってしまい、3年以上はもう原宿に足を運んでいない計算になるかな‥。

Enrico Pieranunzi、1949年12月5日生まれの66歳。
自らがこの年齢に達した時にどうなっているかしら‥等と、自身の未来像と重ね合わせながら再び聴いている『Canto Nascost』は今日も変わらぬリリカルな音色で、少し枯れ始めた街路樹を揺するように空気中を弾け飛んで、そして泣いている。


『Canto nascosto』 by Enrico Pieranunzi
Spotify:

Enrico Pieranunzi — Canto Nascosto on Spotify