Alexis André “Slices” 展示評

WaxOgawa
NEORT.JP
Published in
Jul 30, 2022

はじめに

Text by: waxogawa/小川楽生

はじめまして(そうでない方はご無沙汰しております)。NEORT++にて、キュレーターを務めております waxogawa と申します。5月にNIINOMIさんにお声がけいただき、6月から NEORT++にて展示を企画・運営しております。

さて、先日6月24日から7月24日まで、Alexis André さんによる個展「Slices」が開催されていました。展示スケジュールは概ね 1 ヶ月ごとに入れ替わる予定となっており、これに合わせて、キュレーターとして連載を執筆しようと考えています。加えて、不定期でコラムや作品評・展示評などを掲載していく予定です。今回はその嚆矢として、「Alexis André “Slices” 展示評」をお送りいたします。

展示評

ウクライナのニュースが、テレビを通してではなく、SNS上で流れてくる。災害、爆音、銃創。エアコンの効いた部屋で、私はこの記事を書いている。SNSから止め処なしに溢れてくる情報の洪水に、呑み込まれているいま、私たちはあらゆる断片のみしか受け入れることができない。常にどこかで悲劇や喜劇が飛び交い、更新され、瞬時に過去になってゆく。自分の存在すら、ある情報の断片でしかないのだろうか、と恐怖を覚える。

けれど、生命体としての私たちも例外なく、常に変化し、更新され、常に「いま・ここ」の限りない一点のみを生きているのだ、ということを思い出す。過去は絶え間無く私を責め、未来はいつも私を苛むが、そのなかで私もまた、蠢いているのだ。

Slices に示された作品群を見るとき、そこにある微かな生命体らしきものに、私たちの根源的な能力としての「更新性」を感じる。DNAに保存された情報が転写され、複製され、私たちの身体を緩やかに更新してゆく。インターネット上の情報も更新され、流転し、常にどこかを彷徨う。絶え間ない流動の中で、私たちは一体、何が「まだ」可能なのだろうか。

そんなふうにして、Alexisの作品および展示「Slices」を見つめるとき、「この作品はやはり、スライス(切断)されることで効力を持つのだ」と思う。それは、果てしない流れの中で「私はここを選択する」という、一種の覚悟の表示であり、鑑賞者はNFT作品としてスライスを所有することで、その覚悟を分有することができる。

実際に、作品は8日間をひとつのサイクルとして、展示期間のあいだ変化し続ける。鑑賞者が触れるのは、訪れたその瞬間(あるいは、そのしばらくのあいだ)の一つの断片である。そして、展示空間全体を取り巻く「巻物」に見立てられた全景の断片でもある。物理空間上でも、オンライン上でも、多重に断片化していく作品の姿は、我々の世界認識の姿にも重なる。流転し、変化し、それでもやはりどこか同じ風景を作り出してゆく人間の歴史に、複層的な切断点をもたらす。

level 0

level 0から始まるSlicesは、まず種子・惑星・卵子のような形態からスタートする。宇宙で最も美しい形状は円であるというが、いくつもの円が重なり、我々の生命の起源を思い起こさせる形状になっていく。

level 1

そして、level 1では触手状、菌糸状のものが伸び始め、生命体らしき様相を呈するようになる。中央の生命体らしきものの周囲にあるlevel 0に似た円状のものは、種子だろうか、惑星だろうか? 丹念にスケール感が取り除かれた画面上では、私たちはその判断を失うことになる。

level 2
level 3

level 2から3へと移り変わるなかで、形状は段階的に変化してゆき、一連の流れの中の断片的状態を、私たちは知覚することになる。これらの切断点・結節点・特異点をより深く思索すると、次のような解釈も可能であるように思える。

・絵画の歴史的潮流に対するもの、視覚的切断

・進歩史観的系譜に対するもの

・父−子のエディプス的水脈に対するもの

これらは截然と切り分けられるものではないが、一旦、それぞれの点について軽く検討していこう。

まず、絵画の歴史的潮流についてである。20世紀以降、現代美術は平面作品からの脱却を図ってきた。そのなかでインスタレーションやサウンドアート、メディアアートなどが発生してきたが、コンピュータグラフィックスの興隆に従い、ジェネラティブアートやNFTといった表現手法が生まれてきた。これらはデザイン、サイエンスの文脈から切り離すことはできない。ゆえに、こうした表現手法を一括りに「現代美術」の観点から評することはできない。しかし、NFTおよびブロックチェーン技術、そして暗号資産の概念によって、現代美術・現代アートの性質もまた、流動化している。ひいては、平面作品の概念も変わりつつあるのだ。この流動化が一時的なものか、あるいはこれからの現代美術の潮流を大きく変えるものか、それはまだ不明瞭だが(一方で、村上隆ははっきりと「リアルのアート作品とデジタルのNFTアート作品の対立や境界線といったものは意味がない」と明言し、NFTをアートと見做している)(村上, 2022)。

いずれにせよ、NFTが絵画表現における一つの転換点になることは間違いない。今は、ブロックチェーン技術を利用して販売される作品のことを、その場凌ぎ的に「NFTアート」と呼称しているが、この呼び方も、慎重に検討されなければならないだろう。ここでは紙幅の関係から割愛するが、いずれ連載でも取り上げる予定である。

さて、そうした表現形態のなかで、あえて「スライス」するとき、そこには、否が応にも絵画表現における転換点としてのNFT、という主題が浮かび上がってくる。NFTは長い時間軸における「今、この瞬間」をブロックチェーンに保存して未来に残す技術とも言えるが、その特性は極端に引き伸ばされた横長の画面の一部分をスライスする本作の中にも見出すことができるからだ。

加えて、本作はコントラクトで生成されるハッシュ値によって、作品のビジュアルが決定される。鑑賞者及び購入者は、購入するまで未然の(決定されない)ハッシュ値を所有することになるが、その意味で「購入すること」「スライスすること」の両方から、作品に参加することが可能になる。

つまり、Slicesは「NFT」である必然性を強く持った作品なのである。

level6では色のグラデーションがより一層華やかになり、成長の最後のステップとして花のような様態を見せる。その周囲には、種のようにも見える細かな円が表示される。それも「今、この瞬間」の謳歌であることを豊かに響かせてくれる。鮮烈にほとばしる菌糸状の色や線は、どこへ向かうのだろうか?

level 6

次に、進歩史観的系譜、エディプス的系譜である。Alexisは、展示直前のミーティング(6月17日)で、「一周させる」「スライスする」という語句を繰り返し使っていた。展示室の壁を一周させ、周期性を意識させることができるように、作品を設計したい、と語ってくれた。それは、アーティストとして、ということを超えて、父親として感じていたテーマだという。

「私が生まれたことで、何が変わったのだろうか?」「私の子供がよりよく生きていくために、私は何を残せるだろうか?」。

Alexisが語ってくれたこの言葉に、私は昨今のウクライナ情勢を思い浮べた。歴史は繰り返される。現代美術もまた、デジタルという平面に再び戻るのだろうか。テクノロジーが発達してもやはり、私たちは主体性をどこまでも固持し、ぶつかり合っていくしかないのだろうか。Alexisはこのことについて、「それでもちょっと動く」という表現をしていた。実際に、Slicesで投影されている生命体のようなものは、うごめくように、微かに変化している。惑星や細胞のようにも見えるそれらが、少し動くとき、私は彼の感じている希望のようなものを共有できたような気がした。

最後のlevelでは、0から6までの全てのレベルが連続的に投影され、これまで断片的に呈示されていた情報がつながる。その様子は銀河のようでさえある。

そのとき、画面は展示会場の壁に合わせて、一周するように長細い形になる。この形をAlexisは巻物になぞらえて表現している。日本古来からの巻物は基本的に、鳥瞰図で描かれることが多いが、それは第三者的な視点からの時間表現でもある。鑑賞者は、その巻物を少しずつ己の手でずらしながら、いくつもの時間軸を旅行することになるのだ。

そして、彼はSFに惹かれ、宇宙的なものをよくモチーフにしているという。宇宙という「私たちの外」にあるところから、私たちを見つめ直すその視座は、深く思索的である。この展示会場で示されたAlexisの時間感覚は、こうしたSF的(第三者的)な視点から育まれたものであると考えると、納得のいく部分もあるのではないだろうか。さらに、彼の作品群であるMessengersやObiceraにも、こうしたテーマは強く反映されている。

https://opensea.io/collection/obicera-by-alexis-andre

数千年単位で見れば、私たちの昨今の悲劇的・喜劇的な状況はほんの一瞬に過ぎない。もし仮に、宇宙人が数千年レベルの寿命を持っていたならば、私たちの星を、芸術を、どう見るだろうか。室生犀星の有名な詩句に「ふるさとは遠きにありて思ふものそして悲しくうたふもの」という句がある。見渡せば、そこかしこに悲しみは溢れているし、私たちは日々SNSを通じて様々の悲劇を目撃している。けれど、それでも木々は芽吹き、命はめぐる。Slicesで示されている生命的・声明的なものに、そうした希望を、私は見出すのである。

参照

村上隆(2022)インタビューによる。「村上隆が語るNFTの可能性やベルナール・アルノーとの関係」https://www.wwdjapan.com/articles/1375313 (2022年6月30日閲覧)

アーティストについて

Alexis André

フランス出身、アーティスト、デザイナー、研究者。2003年に、フランス、グランゼコール高等電気学校Supelec工学部でエネルギーおよび情報科学専攻、2004年には東京工業大学大学院コンピュータサイエンス(機械学習)修士課程修了、2009年同大学大学院博士課程修了。最新のデジタルメディアを応用し、コンピュータ・グラフィックス(CG)を駆使したインタラクティブな表現手法を得意とする。創作のプロセスそのものをアートとして捉え、ジェネラティブ・デザインを用いながら、一人ひとりの好みに合わせたユニークな体験を提供する。

著者について

waxogawa/小川楽生

キュレーター、アーティスト。2001年、石川県生まれ。慶應義塾大学SFC在学中。東京大学AMSEA:社会を指向する芸術のためのアートマネジメント育成事業第三期生。茨城県ひたちなか市那珂湊地区芸術祭「みなとメディアミュージアム」代表。展示に「語りうる可能性のすべて(2021)」、「cubed of conjunction(2022)」など。

展示について・NEORT++について

Alexis André「Slices」

会期:2022年6月24日~7月24日
会場:NEORT++
住所:東京都中央区日本橋馬喰町2–2–14 まるか3F
開館時間:14:00~19:00
※最新情報は公式ウェブサイトにて要確認
休館日:月、火、祝
観覧料:無料

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