建築の射程で「モバイルハウス」と可動産を捉える──SAMPO塩浦一彗氏と考える、新しい作家像

秋吉成紀
NEW INDEPENDENTS
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18 min readNov 19, 2019

社会システムのなかにおける新しい作家像の確立と、自らの主体性を獲得しうる理論の構築を目指すKOCA連続レクチャーシリーズ「NEW INDEPENDENTS」。

OTON GLASS代表を務めるアーティストの島影圭佑、Synflux主宰のスペキュラティヴ・ファッションデザイナー川崎和也が共同キュレーターを務め、編集者の岡田弘太郎がイベントシリーズの発信を務める本イベントでは、2020年代を生きのびるための新たなる態度〈アティテュード〉とは何かを様々な分野の実践者とともに議論していく。

初回に引き続きKOCAで行われた第2回は、「モバイルハウスとポスト・メタボリズムの建築家───SAMPOと『移動する生活空間』を考える」と題して、SAMPO Inc.共同創業者の塩浦一彗氏をゲストに招いた。

SAMPO Inc.共同創業者の塩浦一彗氏と彼のモバイルハウス

塩浦氏は1993年生まれ。17歳の頃に発生した東日本大震災を契機にミラノに移住し、その後ロンドン大学バートレット校で建築を学ぶ。日本に戻ってからは磯崎新設計事務所に勤務する傍ら、2016年に現SAMPO Inc.代表の村上大陸氏と共にSAMPOを立ち上げる。現在はロンドン大学バートレット校の修士課程に進学しながら事業を継続している。

塩浦氏が共同代表を務めるSAMPO Inc.は、モバイルハウス事業を展開する建築系スタートアップ。車両の荷台に搭載できる住空間ユニット モバイルセル(MOBILE CELL=モック)の制作、インフラ設備を備えたモックの拠点であるハウスコア(HOUSE CORE=ホック)の運営を行なっている。

モックは完成品の販売も一部行なっているいるが、ユーザーの価値観を最大限反映させるために、ワークショップ形式でユーザーと共に制作している。一般的なホームセンターで入手できる部材だけでつくれるように設計されており、約35台ほど制作してきた。

ゲストルームからDJブース、茶室まで幅広い用途で利用されており、ユーザーの価値観が反映された空間が生まれている

SAMPOの活動は60年代前後の日本の建築運動であるメタボリズムの思想に影響を受けており、ホックを基点にモックが離散集合を繰り返す有機的な都市像を構想している。現在モック、ホックに続く新たな基軸としてアプリの開発に着手しており、ほかにもモバイルハウスのキット化、大型車両向けモックや移動式ホックの制作、シンガポールの都市計画事業などのプロジェクトを展開している。

様々なケーススタディを交えてSAMPOの実践を紹介する塩浦氏のプレゼンテーションの後に、共同キュレーターを務める川崎氏と島影氏から質問が投げかけられた。塩浦氏のバックグラウンドから新しい作家像まで、話が拡がっていく様相をレポートする。

効率性や経済合理性だけを求める価値観の限界

左から島影圭佑、塩浦一彗氏、川崎和也、岡田弘太郎

川崎:塩浦さん含め同世代のクリエイターやデザイナーは、東日本大震災をきっかけに活動を始めている方が多い印象があります。3.11は塩浦さんの実践に影響を与えていますか?

塩浦:間違いなくあります。3.11は単なる自然災害ではなく、リスクを顧みない効率性や経済合理性だけを求める価値観の限界が明らかになった出来事だと考えています。それは原発事故に象徴されていて、あの震災をきっかけに「大きいほうがいい、早いほうがいい」という考え方のみが「豊かさ」ではないと気づいた。お金をかけなくても、自らの手でつくることで自分にとってのラグジュアリーな瞬間は実現できると思っています。ユーザー自らがつくりライフスタイルを確立できる空間を模索していて、それは車両の上だとつくれるとわかった。なので今の事業に取り組んでいます。

川崎:塩浦さんは震災をきっかけにミラノの高校に転籍し、その後はロンドンの大学に進学していますよね。また、SAMPOはシンガポール支社を最近設立したと伺いました。今は大学院進学のためまたロンドンを拠点とされていますが、多拠点的な生活を送ってきたことは塩浦さんの実践に影響を与えていますか?

塩浦:ミラノにいた頃は人種差別やいじめとまでは言いませんが当然のように国籍により区別されることがありました。ロンドンでは周りの人のリテラシーが高かったためか国籍は関係なく、むしろ自分が考えていることの表明を常に求められていました。思い返すと自分のアイディンティティを考えさせられる機会は多かったように思います。17歳から3年に1度は拠点を変えているのですが、そういう生活や感覚は自分のなかでは当たり前になっているのであまり意識していないですね。

川崎:日本に帰国してからは磯崎新事務所に勤めていましたよね。率直に聞きますが、なぜ辞めたんですか?

塩浦:SAMPOを始めたというのが大きな理由ですが、人が集まってさまざまなアクションが生まれる空間を建築や都市計画の力だけで実現することは不可能だとわかったからです。磯崎さんが手がける都市計画でさえ個々人それぞれの生活を描き出すことはできません。磯崎さんが無理なら自分にはできないと思ったので辞めました。

「不動産」=「家」の概念を切り崩す

川崎:僕はSAMPOの実践について伺ったとき、それは建築のスケールと身体のスケールの中間から個人のアイディンティティ形成をサポートしていると解釈しました。改めて可動産とはなんですか?

塩浦:「夢のマイホーム」などを謳う住宅双六的な価値観が20世紀の日本にはあったと思いますが、都市のシステムとしての「不動産」と人々が生活を営む場である「家」は本来なら別のものですよね。これまでセットで語られることが多かったため、人々はそれをイコールだと考えてしまっていた。そういった人たちに対して、可動産という言葉を提示すれば、空間に対してこれは不動産なのか、可動産なのかというような疑問が生じます。家の捉え方を変えられるのかなと。

川崎:可動産という言葉は、人々が家や不動産に対して共有していた大きな物語を解体し、価値観を個別固有化していると思います。塩浦さんは全ての空間が可動産になるべきとお考えですか?

塩浦:全然そうは考えていません。可動産に住んだことで、もう少しポエティックな意味での不動なものとしての空間の力、動かない、動けないというリアルの魅力を感じています。全部の空間が動いてしまったら街の情緒もクソも何もなくなってしまうので、他の空間が動いていない中で自分の空間だけを最小限に動かせることが大事だと思っています。もし可動産が流行する時代が来るとしたら、逆に不動産をやるかもしれません。ちょっと天邪鬼なんですけれど(笑)。

川崎:塩浦さんが「可動産に住んだほうがいい」と思う人はどういう方ですか?

塩浦:一言で表現すれば、若い人はまず住んでみたほうがいい。これはモバイルハウスの特徴のひとつですが、自分の生活空間が外に触れることが多くなるため、自分の独自性を考える機会が必然的に増えます。それが積み重なると、モック自体がその人の人となりを表す名刺のような働きをしてくれる。それがきっかけに繋がりを生みやすくなります。人との繋がりが生まれれば、やりたいことに対してのアクションが本当に早くなりますから。

川崎:なるほど。塩浦さんの実践において、モバイルハウスづくりと、新しい使い手づくりが同時に起こっているのが重要だと思いました。モックは安価で誰でも手に入れられて、自らのライフスタイルを構築できるという点で素晴らしいと思います。一方で、果たして人間は移動したいものなのでしょうか。SAMPOとして人は移動するべきと考えているのかをお聞きしたいです。

塩浦:移動したほうが良いとは今まで一度も言ったことがなく、したほうがいいとは思いません。しかし、移動ができない状態のままだと、例えば災害時に困ることのほうが多いのではないかという気がしています。

第3のスキン

川崎:僕はモバイルハウスの実践を見て別荘のような使い方はイメージできたのですが、個人的にはまだ住み続けるイメージを想像できていません。塩浦さんにとってモックに住み続けることが理想ですか?

塩浦:もちろん家族でも住めるような設計も考えてはいますが、住み続けるものだとはあまり考えていなくて。(共同創業者の)村上はモックを2台持っていますが、今度結婚するため1台は彼女にあげるそうです。一緒に家族をつくっていくのであれば、こういう考え方もありなのかなと。モックを手放さなくてはいけなくなり、こっそり一人で燃やした人や、泣きじゃくりながら他の人に渡した人もいましたが、その後不動産に住むとしても可動産に住んだ経験がある時点で、人生経験的には価値があると思っています。いずれにせよ住み続けるために、インフラとしてハウスコアは必要になると思います。税金対策でパーキングにしているだけの土地を使って、インフラを引いた土地ハウスコアをつくるということはビジネスモデルとして割と真剣に考えています。

島影:かつてのメタボリズムをメタボリズム1.0、塩浦さんの実践をメタボリズム2.0だとしたら、市民の捉え方が圧倒的に違うと思います。メタボリズム1.0は都市開発のシステムの提案だったと思いますが、塩浦さんは人の個別固有性をサポートするシステムを提案している。デザインの領域でも市民参加型がありますが、市民を一般的かつ均質化された身体として捉えているのか、それぞれのナラティブがある個別の身体として捉えているのかで関わり方は違います。SAMPOの活動はワークショップも含めてですが、実践できる市民を集めて育てていると思うし、今までの一般的な均質化した市民だとは考えていない関わり方をしていると思います。

塩浦:おっしゃる通り、メタボリズム1.0のエージェントはあくまで建築自体だったわけです。僕は「都市のエージェントは結局、人なんだよ」と考えています。その人のアイディンティティを表すものとして服を第二の皮膚と言うのだとしたら、モックを第3のスキンのようなものにしたい。僕は、個人のアイディンティティを表現した空間が都市空間の中に現れていくことが面白いと思っています。

塩浦氏が考える、新しい作家像

川崎:塩浦さんは建築出身でありながら会社も経営され、アプリケーションまでつくろうとしています。活動のどこにアイディンティティをもっているのでしょうか?

塩浦:僕は建築という概念や建築学が捉えられるレゾリューションがすごく好きで、建築というイデーが中心にあります。いわゆる建築家としてのキャリアはないので緊張感はありますが、建築家と名乗っています。僕をただのイノベーターだと思っている人に対しては建築の可能性を、建築界隈の人たちには建築的な方法論の可能性を伝えるつもりでやっていますね。建築とは図面を引くことや構造計算することだけではないはずです。どのフィールドに行っても孤独ですが、自分の実践を建築と表現する人はいないし、自分しか言わないからあえて建築をやっていると言い切ります。SAMPOの代表でもありますが、僕がいなくてもSAMPOは会社として自立しているので、別にトップにいることがアイディンティティというわけではないですね。

岡田:「建築家」という枠に現在の実践を内包できないもどかしさはありますか?

塩浦:ありますね。モバイルハウスのユーザーがつくり出す空間は「ここまでやってくれるのか!」と思える驚きがありますが、それをいわゆる建築として設計するには限界があるんです。従来の建築のフレームで言えば、小さな箱つくるだけだから。その空間の中で生まれる会話や振る舞いは、建築学や設計では届かない位置にあります。建築が翻訳できるのは何なのか、どこまでが建築としてできて、どこからができないのかがわかった上で、SAMPOの活動をしています。

川崎:塩浦さんは「建築家」と名乗りつつも建築家の枠内に収まらない活動をしているわけですが、そこに従来の作家性とは異なる新しい作家性が立ち上がってきていると感じるんです。建築家と名乗ることにある種のこだわりを持っていると思いますが、塩浦さんが理想とする作家像って何でしょう?

塩浦:建築家としてできると思っているデザインは、ユーザー個人個人が持っているモーメントをアフォードするようなグリッドを設計することです。モバイルハウス空間の作家は僕ではなく、あくまでそのユーザーなんですよね。個人が持つモーメントを包容するものが空間であり、それをつくり出せる一番高いレゾリューションは、その人たちが考えて感じてやることでしかないんですよ。ホームセンターで売っているモノだけでつくれるのも、ワークショップでその人たち自身がつくれるようにするのも、その人自身が自分の空間をつくれるシステムにしたいからです。もしかすると、これからつくるのはモバイルハウスでも空間でもなく個人のハイレゾリューションな体験を都市に飛散させていける何かかもしれません。

川崎:なるほど。グリッドという言葉にはトップダウン的な印象がありますが、塩浦さんの言うグリッドは再構築を前提とする色合いが強いため、設計されたグリッドを壊すことが前提となっているグリッドと表現できるように思えます。

データ化できないリアリティ。あるいは狂った起業家と投資家の関係

島影:ユーザーが自ら空間をつくる際の価値は、従来の建築における指標では測りにくいものだと思います。ユーザーの体験をいかに測定し評価するかという課題にどう向き合っていますか?

塩浦:スマートシティやモビリティの文脈で一般的な投資家の方などは話をしてくるのですが、僕たちにとってはそういうビジネスや文脈よりも、まさに測定し得ないデータ化できない部分、個別の実践自体に生まれるリアリティこそが大事だと説得します。常に投資家の方などに納得してもらうための戦いになるんですけど、それは負けないです。

島影:塩浦さんの実践は一般化された誰かに対してではなく、人の本質的な個別固有性にアクセスしているから人の心が動くのだろうなと思いました。

川崎:今スマートシティやモビリティの話が出てきましたが、可動産が一般化された世界になった時、どのような変化が起きると考えていますか?

塩浦:自動運転の普及を前提に、一部の自動車会社は空間づくりにすでに乗り出していて、空間が移動していることが当たり前のように起きている時代は遅かれ早かれ必ず来ると思います。SAMPOはモバイルハウスや可動産という概念を広げたいわけでもなく、そんな未来を前提として、そこで蔓延るであろうスマートシティっぽいものに対して、インフラよりも個人のモーメントこそが大事だと反論するつもりで活動しています。

島影:空間が当たり前のように移動している世界観が来た時に、個人のシークエンスが大切だということを伝えるためにやっているのかなと。

岡田:投資家というキーワードが出てきましたが、一般的なスタートアップの場合、投資家から資金を調達するとスケーラビリティやKPIを追うことが求められると思います。SAMPOの場合は、経済的指標とどのように向き合っているのでしょうか?

塩浦:いわゆるのスタートアップ的な考えではないですね。モビリティビジネスは他にもありますが、本当の生活を体験できないのであればやってもしょうがないですよ、と投資家の方には最初から伝えています。もちろんいくつかのビジネスモデルを用意して会社として生きながらえることを考えていますが、本来の目的を実現できなくなるのであれば投資をストップされて潰れてもいいと思っています。スタートアップだからといって、スケールすることを優先しない。そんなことをするなら潰す。いわば狂った起業家としてそれに納得してくれる狂った投資家と共にビジネスを築いていければと考えています。

川崎:「NEW INDEPENDENTS」のコンセプト文にも書いたのですが、「NEW INDEPENDENTS」の定義に「個人的に制作と運営の一致」があると考えています。制作とは作品やモノをつくることで、運営は経営やビジネスにあたるもの。運営だけだと資本の論理に絡め取られてしまうため、自分が好きな作品のテイストは出せなくなる。しかし、純粋に制作だけをやっていればいいというわけでもありません。その両輪を回すためにどういう考え方や実践があるかが主題のひとつなんです。

2時間に及ぶ議論の末に幕を閉じた「NEW INDEPENDENTS」第2回。今回の議論の中から、理想とする作家像や資本主義経済との距離感、個別具体の市民としてユーザーを捉える重要性など、今後のゲストに対しても継続して問うべき議題が複数挙がってきた。

次回のゲストは、好きな音楽から場所を探せる地図アプリ「Placy」を開発・提供する鈴木綜真氏。「NEW INDEPENDENTS」第3回「都市の均質化に抗うための、『感性』とデータの幸せな融合───Placyと『都市の隙間』を考える」は、11月22日(金)19時からの開催を予定している。

(テキスト=秋吉成紀、編集=岡田弘太郎)

「NEW INDEPENDENTS」第3回「都市の均質化に抗うための、『感性』とデータの幸せな融合───Placyと『都市の隙間』を考える」

ゲスト:鈴木綜真(Placy
日程:11月22日(金)
時間:18:30 開場 / 19:00〜21:00 トークセッション / 21:00〜 懇親会
場所:KOCA A棟ラウンジ
住所:
東京都大田区大森西6–17–17
アクセス:京浜急行電鉄本線 梅屋敷駅から徒歩1分
入場料:一般参加 2000円 (ワンドリンク付) / KOCA入居者 無料 (ドリンク有料)
定員:30名
主催:株式会社@カマタ

KOCAは、あらゆるクリエイションの実験をサポートするコワーキングであり、工房であり、インキュベーションスペースです。京急線高架下に2019年4月に新しく誕生しました。都内で最も町工場の多い大田区で、新しい出会いやコラボレーションから魅力的なサービス、プロダクト、プロジェクトが創出されるプラットフォーム/コミュニティを目指しています。株式会社@カマタが運営。

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秋吉成紀
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「ファッション」嫌い/フリーランスライター/RTF/元『WWDジャパン』アルバイト/94年生まれ/ハバネロ胡椒/ドーゾ/