俯瞰(ふかん)で景色は変わる。
障害を負う前は社会の多数派だった。
民主主義の世の中、少数派が多数派より優勢になるには、相手を説得しなければならない。例えば、法律・制度・政策などを利用することが鶏鳴なのかもしれない。
結論に至らない会議は論外として、ビジネスマンの会議において、多数決による会議は、少数派にチャンスがある。それは発言の機会があるからだ。会議で重要なことは、会議全体の流れを把握することにある。
たとえば、天井の上から見ている感覚で会議を眺めてみる。具体的には、第三者的な立場で出された意見を整理してみる。整理しながら、自分の意見に近いものを少しだけ支持する。際立って独立した自分の意見はいわない。
採決は、どちらになっても構わないという立場で、それぞれの意見をまとめて概要を発表する。まるで裁判官のように。
会議を俯瞰(ふかん)すると見えてくるものがある。
窮鼠(きゅうそ)は、猫を噛め?
追い詰められたネズミは、猫をも噛むとは、もっともなことであるが、噛む攻撃を知らないと話にならない。
つまり、自分の強みを知らないと、自分が追い詰められても反撃できないということだ。
ネズミは体が小さく、亀のように固い甲羅もなく、針ネズミのように針もない。さらに柔らかい美味しそうな体である。
しかしながら、すばしっこくて体が小さいから、狭いところに隠れることができる。
でも、追いかけ回されて、疲れはてて、部屋の隅に追い詰められれば万事休す。このとき、噛むことが無意識にできるネズミにならないと生き残っていけない。
無意識の強さはどのように知るか。
それは、自分の経験を探索するしかない。
自分を客観視して、過去の経験を観察してみる。
自分一人でできなければ、支援者に手伝ってもらえばいい。
過去の自分の経験した事柄には、知恵、確信、信念、望み、可能性、治癒力が隠れている。それを認知して強化する。
つまりは、自分の経験を俯瞰(ふかん)することだ。
お祭りに参加する。
障害者がお祭りに参加するという当たり前のことが、自治会を活性化させる。
自治会の行事は、自治会員が障害者であっても参加できることを考慮するのが大前提であるからだ。
自治会がみんながお祭りを楽しめるように考えること、協議することが大切になる。
お祭りで障害者が笑っている姿を想像してもらいたい。その光景が想像できれば、あなたの脳は、快感を得ているに違いない。
お祭りを俯瞰(ふかん)することで、視点が変わる。