意志は要らない

「太鼓の達人」が大好きな子どもたち。暇さえあればイメトレしています(笑

多くの人は「ものごとが上達したり、何かを成し得るためには、強い意志をもって頑張ることが必要」と言うが、本当にそうなのだろうか?本当に頑張らないといけないのだろうか?

もちろん間違ってはいないと思う。目標に向かって強い意志をもって事にあたり、頑張るというアプローチもあると思う。でも、その過程(プロセス)が歯を喰いしばって、辛さに耐え忍んでいるものだとしたら・・・。それって今を楽しんではいないのではないだろうか?

「好きこそものの上手なれ」という諺がある。

自分にとって、本当に面白くて楽しくて仕方ないことって、そこに

  • 頑張らなきゃ
  • 耐えなきゃ
  • 強い意志を持ち続けなきゃ

なんていう想いは無いと思う。

無心・無我夢中・没頭・・・。「今、ここ、この瞬間」は、完全に満たされ、自然と

  • 新しいことにチャレンジしてみたい
  • もっと上手くなりたい

と満ち足りている状態で自然と欲求が湧いてきて、自然と行動してしまうと思う。

何も強制していないのに…

私の娘は現在中学1年生で美術部に入っている。幼少の頃から絵を描くことが大好きで、何かを描いては「パパ〜、(絵を)描いたよ〜♪」と自慢気に見せてくれた。

私は娘が描く絵に“上手い・下手”などというラベルを貼ったことは一切なかった。ただただ「絵を描くのが好きなんだね〜」と返してあげただけだった。

小学生になった娘は、いつしかニンテンドー3DSにある「うごメモ」というアプリで絵を描くようになっていた。3Dsのゲームをやるよりも「うごメモ」で絵を描いている時間の方が長かった。私がふと娘に目をやるといつもいつも絵を描いていた。

私は娘に

  • 目標を持て
  • 強い意志をもって
  • 頑張れ

などと、何一つ強制したことはない。あえて娘に言ったとすれば

  • 周りと比べなくてもいい
  • 好きなことはドンドンやれ
  • やりたくないときにはやらなくてもいい

ということだけだった。

・・・そして、小学校を卒業する頃には自然と「将来はイラストレーターになる」と自分の口から言いだし、中学生になった今、彼女は私の絵の先生になった(笑

写真にある「太鼓の達人」も、いつしか勝手に興味を持ち始め、自宅でWiiUに向かって繰り返しゲームをして、ゲームセンターで実践を繰り返した。そのうち、ゲームセンターのバチでは手が馴染まなくなり、“マイバチ”を購入して同じことを繰り返した。結果、多くの曲を“ウラ鬼モード”でプレイし、多くのコンボを繰り返す腕前になった(笑

要るのは「純粋欲求」のみ

娘は目標なんか持っていなかった。上手くなるための計画も持っていなかった。努力も一切していなかったし、忍耐をもって絵を描いているようにも見えなかった。

あったのは娘の中にあった

  • 面白そう
  • 楽しそう

という「純粋欲求」だけだった。

私たち大人は成長するにつれ、この「純粋欲求」を何処かに置いていってしまい、お金を稼ぐ(日々の生活をする)ためや、何かを成すために、

  • やるべきこと
  • やらないといけないこと

を多くやるようになってしまうことが多い。だから目標を持って、強い意志を持ち、忍耐に耐えないといけなくなってしまうのかも知れない。そして、それらのことは

  • 本当はやりたくないこと

を選択した結果なのかもしれない。

深い部分のわたしがやりたいことをやる

最近になって私はこのことに気がついた。

私は子どもの頃に大好きだったことや夢中になったこと、上手くはできなかったかも知れないけれど、今でも興味・関心があること、好奇心を駆り立てられることを日々の生活に取り入れようと決めて、最近では

  • プラモデルを作ること
  • 大好きなアニメを見ること
  • イラストを描くこと

ことを日々の生活に取り入れ始めた。

これらのことは私の中の“わたし”から湧き上がってくる「純粋欲求」である。上手い下手は関係ない。ただやりたいからやっているだけ。だから意志なんか全然持っていない。

これらのことをやり続けていると、“大人の私”では決して気が付けなかったことや、子どものときには上手く出来なかったことが、今ではいともカンタンに出来てしまうことも多い。今まで出来なかったことや途中で投げ出していたことを乗り越えたから、妙に自信ついてくる。大切な時間を使ってワクワクすることをやっているから、自然とやること全てに「丁寧さ」が磨かれてくる。

大人になればなるほど、どんな生き方を選んで、方向性を決めることがとても大切だと思う。私は

  • 深い部分の“わたし”がやりたいことをやる

と決めて、今、その道を歩んでいる。

これから先、どんな“大人”になっていくのだろうか・・・。とても「楽しみ」である。