あっちからとこっちからと板挟みの医療

真剣に考えると憂鬱になる今の私の立ち位置

西村章子(Shoko Nishimura)
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8 min readNov 18, 2018

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日々の診療の中での悩み

法律や保険診療制度の制限の中で診療を続けていく、当たり前の事ですが思うようにいかなくて悩む事もしばしばです。

私のところは、診療が済んだらそのまま受け付けで薬を受け取ることができる院内処方を採用しており開業時からずっと続けています。

国は医薬分業を推し進めてきましたから、その方針に逆らったやり方を取る当院のような所は、診療報酬面で、ある意味ペナルティを受けることになります。

これは仕方がない。私自身が決めたことですから。院内処方のペナルティについては、余力があれば、次の機会に紹介する事にします。

院内処方、院外処方の如何を問わず、処方薬の診療報酬上の決まり事はとても分かりにくく、私はほぼ医療事務のスタッフに任せています。

どうしたら得かどうしたら損か、そういう観点から私自身が考えるようになったら、医学的にまともな医療を提供できるかどうか自信がないからです。

しかし、ざっくりとした知識は持っていないと、患者さんによっては診療すれば診療するほど当院の負担が増加して赤字になる、というおかしな事にもなりますので最低限のことは把握するようにしています。

米国では日本よりもその辺りの事情はシビアで、医療系ドラマを見ていると、経営コンサルタントや保険者と医師との間でバトルが起きたりしていますね。多少の誇張はあるでしょうが、実際、米国の医師たちは良心の呵責に苛まれる場面が多いのではないかと想像しています。

当院での具体的事例

引っ越しを契機に、当院へ通院されるようになった方がおられます。複数の医療機関にかかられていたのを、できれば一か所で済ませたいとのご希望がありました。

多数の基礎疾患がおありでそれに高齢でもあることから、常用薬が18種類、それに体調が悪い時には3~4類の薬が加わるという具合で、内服薬が非常に多い。

3か所の医療機関に通院中の患者さんが、1か所の医療機関で済ませられれば、その方にかかる医療費は当然安くなるはずです。しかし、その1か所の医療機関には、「協力してくれてありがとうペナルティ」がかかってしまう、という不思議な仕組みになっています。

18種類の薬というのは、やはり普通に考えて多すぎます。しかし、どうしても必要な薬もそこそこあるわけです。

一つの医療機関から出せる内服薬は6種類までとなっています(本当はややこしいルールがあるのですが、簡単に言うと原則6種類までです)。ですので、この患者さんの場合、18種類の薬剤を6種類以下に抑えなければ、当院にペナルティがかかってしまうわけです。

時間をかけて薬剤を絞っていく作業をします。

無理をして減らし過ぎることでご本人の病勢が増したり具合が悪くなるのでは本末転倒です。合剤を使って2種類の薬を1剤にしたり、そもそも効果がなさそうな薬を削ったりあれこれ工夫し頑張って7種類まで減らしました。それでもはみ出ちゃったのですが仕方ありません。7種類はこの方にはどうしても必要な薬なのです。

症状に応じて処方薬が増減します。時に2~3種類の薬がはみ出た状態で現在も診療を続けています。私としては頑張っているつもりなのですが、そのご褒美がペナルティなのですから何とも嬉しくない話です。

違う観点から

「過不足なく医療を提供する。」言葉では簡単ですが実践は容易ではありません。医師として本質的な意味で「過不足ない医療」を提供する事が理想でありそれを目指してはいますが、現実はもっと違う意味で、相反する「過剰でない医療」と「不足しない医療」の両方を提供する努力が求められています。時にこれは「不可能」を意味します。

医療費の高騰は、本当は医師に責任があるわけではないのですが(全くないとは言えませんけれど)、なるべく不必要な検査、処方をしないようにと、審査支払機関(支払基金と国保連)からの圧力があります。

必要だと思って検査をしても支払機関側が過剰な検査や治療だと判断すれば、それは「支払う側が判断して正しくない請求」という事で(医療機関側からすると「判断の相違」と思っていても)「不正請求」と名付けられて突き返されます。第三者が聞けば「打首相当だ、けしからん」と感じるような「不正請求」というネーミングが私は嫌いです。

この「不正」の判断は地域や時期、査定する人によって変動します。納得いく判断の時もありますし、「ここを削ってきたか」という時もありますし、「え?」という事もあります。

先月からどういう理由で「不正」と判断したかが付されるようになり、随分親切になったと感心している所ですが、以前は、どういう理由か明かされる事はなく(聞いても教えてくれない)、とにかく「ならぬものはならぬ」でした。

私は医療費を請求する側ですので、削られた結果を見ると苦々しく思うわけですが、一方で査定する側にも彼らの事情があります。税金を使ってレセプトのチェックをするわけですからそこに「結果」が求められています。「結果」とは、「一定額以上の不正請求の摘発」です。何としても探し出さなくてはならない。そうすると、どういう解釈で請求を却下するか、次第に細かい所のチェックになっていくでしょう。医療機関がまじめであればあるほど査定は大変な作業になるはずです。

というわけで、とにかく医療費を節約するように、年々厳しくなる査定を考慮しながら、患者さんが最大限の利益を得られるように、医療機関には努力する事が求められているわけです。

司法が求める医療者の対応

しかし、一方で、司法の場からは真逆の対応を迫られています。

年を追うごとに医療訴訟が増加していますが、医療機関の敗訴理由の重要なものの一つに「この時点でコレコレこういう検査をしていたならば、正しい診断に至り患者さんは助かった可能性がある」というものがあります。

「疑わしいと思ったならば検査せよ」というのが要求される対応であるわけです。一見、重大な病気が隠れていると思われないような症例の中に、命に関わる病気が隠れている場合があります。大したことはないと思う症例でも注意深く対応する必要があるわけです。

疑わしい症例すべてに必要と思われる検査を適用すれば、間違いなく過剰診療とみなされ「不正請求」の名のもとに診療報酬が減額されます。

診療報酬が減額された場合、理論上は患者さんに請求できるのでしょうが、慣例的に、医療機関がその費用を負担しているのが現状です。

医学的見地と経済学的見地と訴訟回避的見地

「過不足ない医療」は、医師が医学的に目指していかなければならない方向だと思いますが、現実に突き付けられているのは、「経済的な過分が許されない」診療報酬制度と、「結果から見た不足のない医療」を求める司法による判例であって、判断基準が医学的見地からはどちらも(特に後者)ちょっとズレています。

一番良いのは、見た瞬間に医師が患者の的確な異常を認知しそれに応じた検査をオーダーする事なのですが、そもそも、わからないから検査をするわけです。例えば、結果的に「脳出血」が見つかれば保険適応、しかし何もなければ「不正請求」と判断される事もあり得ます。

医師は現在進行形の中で寸分違わぬ判断を要求され続けており、保険制度と司法制度の両方から、しかも反対方向から「結果論」を突き付けられています。

なかなかやりにくい時代になりましたが、患者さんに不利益があるよりは多少の経済的負担を負った方が精神上はよろしいのではないかと個人経営のクリニック医師の私でさえそう感じるのですから、ましてや大学病院や公立病院などは、より安全策を取った対応をしているのではないでしょうか。

あんまりこういう事を真剣に考えると憂鬱になりますので、「その場その場で柔軟に対応していくしかないですよね(ニコッ)」と割り切ることにします。

取り留めもなくダラダラと思う所を呟いてみましたが、今回はこれぐらいで。

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