Mediumに文章を書く時に、ついつい意識が高くなってしまう問題

横田真俊
Not status quo bias
2 min readMay 10, 2015

Mediumにブログを書く動機としては、気が抜けた日記を書こうと思っていて、自分の知り合いに近況を伝えようと思っていて、なんかスゴイ適当な事を書ける場にしようと思っていたのだが、どうも「仕事論」とか「IT論」みたいな意識が高い事を書こうとしている自分がいる。

本当は「あーGWはスパロボやってて、全部スパロボで終わったわー」とか「二日酔いの日にカツカレー食ったら、吐きそうになったわー」とかすさまじくどうでも良いことを書く場にしたかったのだが、どうも書いているうちに「意識が高い文章」を書こうとしている自分がいる。

なんで、元々日記を書こうと思ったのに「意識高い文章」を書こうとしているのだろう? と自分の行動がよくわからなかったのだが、これはMediumの雰囲気がどうも「意識の高い文章」を書きやすい雰囲気になっているんじゃないかと思っている。

まず、そういう事を書きたい雰囲気に持ってきているのは、FacebookやTwitterとの関係がある。MediumはFacebookやTwitterとのアカウント連携が基本になっており、文章を書く時にどうしてもFacebookの「友達」を意識した文章になってしまう。

せっかく書いた文章なので、できるだけ多くの人達に読んでもらいたいと思ってしまうと、FacebookやTwitterで自分書いた文章を紹介すると思うが、Facebookでの自分のキャラクターとかけ離れた事は、なかなか書きにくいだろう。そうなると「スパロボやってGW潰した話」とか「コンニャクパークに行ったけど、コンニャク料理は2時間待ちだったので、食べなかった」とかどうでもいい話は書きにくい。

また、Mediumにログインした時に表示される「人気の記事」も、人気があるだけあって「どうでもいい日記」は出てこない。ログインする度に「意識の高い文章」を見ると、どうも「どうでもいい日記」を書きたくなくなってしまうということもある。みんな「意識の高い事」を書いているのに、自分だけマヌケなどうでもいい日記は書きにくいだろう。

というわけで、Mediumはなんとなく雰囲気的に「どうでもいい日記」が書きにくい感じになっているんじゃないかと個人的には思っている。

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横田真俊
Not status quo bias

IT業界で働くサラリーマン。個人活動として、FacebookやTwitter、クラウド本の執筆なども行っています。詳細はURL先をご覧下さい。http://wslash.com/