歯周病でなぜ歯槽骨は溶けるのか?

ー最新科学での発見とブラッシングの有効性ー

河井 敬久 Toshihisa Kawai: Forsyth 研究所免疫講座 終身主任研究教授

恒志会会報 2011 Vol.6 より

昨年になりますが、学生時代から二十数年の月日を経たち、縁あって恒志会の沖先生と土居先生にお会いしました。そして、片山先生が他界されたことを聞いて驚き、残念に思いました。

しかし、恒志会の皆さんが片山先生の遺志を継ぎ、医患共同の生涯学習を支える慈善活動を継承し、さらに英語で書かれた、マイニー(Meing)の原著、“カバーラップ(Root Canal Cover-Up)”の日本語訳本、“虫歯から始まる全身の病気”を出版されたことを知り、研究者として感慨し、また自分白身が啓蒙されました。

特に診療室で患者さんを診る多忙な日程の中、あのような重厚な著作を翻訳することは生やさしいことではありません。

高き志を恒に保ち、Root Canal Cover-Up の翻訳を完成し出版された恒志会の皆さんに敬意を表したいと思います。

私がまだ歯学部の学生だったころから、歯周病を「歯ブラシ一本で治す」片山先生のことはよく知られていましたが、当時の私は課外活動に忙しく残念ながら勉強不足でした。

しかしその後、アメリカにおいて基礎科学の分野で歯周病を研究するようになって、歯周病の原因である細菌を歯ブラシで除去することの重要さが身にしみて分かるようになりました。

最近の研究技術の進歩に伴い、歯ブラシで取り除くべき歯の表面に付着したプラークの性状が、より詳細に解明され、プラークがじつは抗生物質や免疫応答反応にまで抵抗してしまう“バイオフィルム”という細菌の要塞であることが明らかになりました。

元来、プラークの奥底にいる細菌はすべて死んでいると思われていたのですが、近年の科学研究技術の発展、特に狭焦点顕微鏡の登場により、プラークの奥底で細菌がバイオフィルムという要塞壁に囲まれて生きていることが判ってきました。

医療分野においては、尿道カテーテルや身体の中に完全に埋め込んである心臓ペースメーカーにまで黄色ブドウ球菌などがバイオフィルムを形成し消毒剤や抗生物質で除去できないことが問題となっています。

現在多数の研究者が、バイオフィルムを除去する抗生物質に代わる新しい治療法を開発することに血眼になっていますが、重要なことにこのような細菌の要塞であるプラークは恒志会が唱導する歯ブラシで破壊するのが実際一番効果的な除去方法と考えられています。

というのも、抗生物質や体の免疫細胞の攻撃に対して頑強なバイオフィルムですが、実は機械的な攻撃に脆いという側面を持っているからです。

話が少し前後しますが、Cover-upは、歯医者であり、研究者でもあった、アメリカの歯科医プライス(Price)が90年前に提唱した根尖性歯周炎を発端とする病巣感染論を歯内療法専門医のマイニーが紹介する英語で書かれた本で、虫歯が治療されずに放置された結果起こる歯の象牙細管の細菌感染 “根尖性歯周炎” が如何に全身疾患に影響するかということを、プライスが今から90年前に延々と行ったウサギを使った科学的な実験結果を回顧する重厚な書物です。

現在においても、抗生物質を併用した感染根管治療の成功率が未だにそれほど高くないことは、残念ながら事実で、それは細菌がバイオフィルムを象牙細管内に形成するからに他なりません。

根尖性歯周炎の治療を受けたからといって象牙細管内のバイオフィルムの
中に生き残っている細菌が完全に殺菌されている保障はありません。

ですから、治療を受けたにも関わらず、将来病気が再発する可能性が十分にあります。

さらに近年プラーク中の細菌が全身疾患に及ぼす影響が疑われ、特に歯周病原細菌が血液もしくは気道を介して体の中に入り、高血圧、糖尿病、心疾患、動脈硬化、肺炎等を起こすリスクを上げることを示唆する研究論文が次々とに報告されています。

ですから、象牙細管内のバイオフィルムの中の細菌が、歯周病原細菌と同じように、全身疾患に影響を及ぼしても不思議ではありません。

非常に面白いことには、近代の研究技術をもってして解明しようとしていることをプライスは90年前に気づきウサギを使った実験で証明していた
 のです。

しかし、歯科の基礎研究の世界では、現在のところプラーク中の歯周病原細菌の全身への影響が脚光を浴び、根尖性歯周炎を発端とする病巣感染に関しての研究は下火になっているのが残念ながら事実です。

私のボストンのフォーサイス研究所(Forsyth lnstitute)での一番大きな研究課題は、歯周病原細菌の感染がいかに菌を支える骨(歯槽骨)を溶かすにいたるかを免疫学的な立場から解明し治療法を開発することです。

体のなかの白血球やリンパ球など血液の中にいる細胞(免疫担当細胞)は、細菌やウィルスを殺すために活動(免疫応答)しています。

例えば、よく細菌やウィルス感染を予防するためにワクチンを打ちますが、これは体の中で “抗体” とよばれる細菌を特異的に殺すミサイルのような働きをするタンパクをB細胞というリンパ球によって作らせるために、人工的に免疫応答を操作している例です。

歯周病においても免疫担当細胞が活性化され病原細菌に対して免疫応答を発揮していることが良く知られています。

これまでの研究によりますと、歯周病の患者さんの血液や炎症を起こしている歯肉の中で歯周病原細菌に特異的に反応できる抗体が検出されています。

そして、免疫担当細胞(T細胞やB細胞)が炎症を起こしている歯周炎の歯肉中に集まってきていることも明らかになっています。

しかし、不思議なのは、抗体を初めとする歯周病原細菌に対する免疫反応は細菌を駆逐して歯周病の進行を抑えてくれるはずなのに、免疫反応が起きているにも拘らず病気は慢性化し進行し続けます。

我々は思いました、本当に免疫反応が歯周組織を守ってくれているのでしょうかと?

特に炎症がひどくなると歯槽骨が溶けてきますが、これは、骨を溶かす役割をする破骨細胞と呼ばれる特別な細胞が局所で増殖・活性化している結果です。

破骨細胞は酸や酵素を骨の表面に放出して骨を溶かします。

細菌が出す毒素や酵素で骨が直接溶けているのではありません。

破骨細胞を増殖・活性化する体の中で産生されるファクター(生体物質)の存在が者から予想されていたのですが、それが1998年になって初めてその物質が解明されました。

RANKLと呼ばれているファクターです。

そして、我々の研究グループは世界で始めて、RANKLが実は歯周病の病巣に浸潤している免疫担当細胞(T細胞やB細胞)から放出されていることを解明しました。

そうです、細菌を駆逐してくれるはずの免疫応答が、逆に歯槽骨を溶かすことを手助けしていたのです。

初めて患者サンプルを解析したデータを見たときには、免疫担当細胞がRANKLを放出していることは私自身信じられませんでしたが、その後動物を使った歯周病の実験モデルでも同じことを証明し確信を持ちました。

未だ仮説の域をでませんが、バイオフィルムの中の細菌に免疫反応が効かないため体がこれでもかとばかりに免疫反応を異常活性化するためにRANKLが大量に放出され歯槽骨が溶けるのではないかと解釈しています。

現在、アメリカ国立衛生研究所(NIH)から大型の研究予算(RO1)を二つ獲得して免疫担当細胞がRANKLを放出しておこる歯槽骨破壊をもっと詳細に解析し、それを予防し治す方法を開発中です。

冒頭に歯周病の原因である細菌を歯ブラシで除去することの重要さが身にしみて分かるようになりましたと書きましたが、以上の私達自身の研究結果から、歯周病を予防もしくは治療するために最も効率的なのは細菌の要塞であるプラークを破壊することだと信じています。

特に免疫応答は記憶機能が備わっており、一度以前に覚えた歯周病原菌に対しては2回目の遭遇において初回よりも迅速かつ強力に反応しますから、一度歯周病にかかった人は、少しでもプラークの除去を怠ると歯槽骨の破壊がいとも簡単に起こってしまう可能性があります。

これは無くなった歯の代わりにインプラントの人工歯根を受けた患者さんにも同じことが言えます。

いくら歯科医院で最新の歯科治療を受けても、日々の生活でプラークをきれいに歯の周りから取り除くことをしないと元の木阿弥です。

ですから恒志会の皆さんが医患共同の生涯学習を通して歯ブラシで歯周病を治そうとしている活動に全面的に賛同し応援したいと思います。

これからもボストンのフォーサイス研究所で、基礎研究を通して歯周病を考察し治療の可能性を探求していきたいと思っていますので宜しくお願いします。


河井 敬久・かわい としひさ

Toshihisa Kawai

1989年広島大学歯学部卒業(D.D.S.)

1993年大阪大学歯学部口腔治療科大学院終了(Ph.D.)

1993年フォーサイス研究所免疫学講座人絹(ポストドフトラル・プログラム)
 1999年フォーサイス研究所免疫学講座・研究員(AssistantMemberof Staff)就任

2002年ハーバード大学歯学部発生生物学講座講師(インストラクター)

2007年 ノースイースタン大学バイオインフォマティフス・プログラム終了
 2008年アメリカ国立衛生研究所(NIH)プラント審査員

2009年フォーサイス研究所免疫学講座・主任研究教授(SeniorMemberof Staff)就任


NPO 恒志会
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