片山恒夫 晩年の述懐

歯科医療に対する溢れるばかりの想いを書き留めた

Matsuda
koushikai
7 min readJan 15, 2018

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平成18年1月5日

生活習慣病

日常生活の中に病気を引き起こすであろう原因となる状況が、毎日のように潜んでいる。そのような生活を続けることは、健康の面から考えれば悪習慣と言わざるを得ない。

むし歯、歯周病はどの面から見ても生活習慣病と言わざるを得ない。

さて、生活習慣、習慣とまで言わないまでも、日常、生活は自分一人のものが、特に若年層にあっては、家族の生活そのものが、その子供の生活といわざるを得ない面が殆どであろうと思う。

口腔歯牙及び周囲組織の疾患は、ほとんど若年層の時代に始まる。

その歯牙疾患の予防は、第一次・第二次・第三次と分けるとしても、どの層においても家族全体の生活習慣に左右していくのであれば、その効果は望めず、虚しいことに終わるのは必定。

開業歯科医がその地区における自分の受持つ患者に対して、どのように歯牙疾患の予防として活動を起こすべきか。
つまり患者の家庭に向けて生活改善を試みるように努力すべきか。

自分が現在まで受持った患者の家庭における、主人・主婦・子供の三層に分けて考える場合、どのように手がかりを得て、どのように続けていくべきか。

この問題を恒志会は、常に会の目標として考え続けている。

平成18年1月7日

言われたことを自分で間違いなく、それも指導者の監督の下で行えば、3日でどのくらい変化するか(これがフィジセラピーと名づけられた理由)。

そしてフィジオセラピーを絶え間なく続けて行くことで、健康は取り戻せる。その状態は、一ヶ月もあれば10歳の子供でも自分も周りの子供もみな驚きをもって眺める状態が来る。

その原理を、その他の生活習慣病からくる諸々の疾患の予防と治療にどうやって利用させるか。つまり、どの点で生活改善を分かるようにやらせて行くか。

学童に一番よい指導は、受持ちの先生と相談しながら、先生の口から『お前は、やったら必ず出来る。今の状態をこう変えてやってごらん』と指示させる。

そして続けさせた結果は、成績が驚くほど向上し変わって行ったそのことから、学級全体が向上し、学年と学校全体が動き出し、結局は、10歳の子供を中心に、それ以下の子供も含めながら10年間の発育と学業成績をみられるようになった。

しかし、残念なことに途中で学校が全焼する火災に会い、データは口腔歯牙模型だけが残った。後にその模型で大阪大学第二解剖学教室で、顎の発育の一部として仕事に関与してくれたアソシエートの平山君が学位を得ている。

その後、終戦。
時代が大きく変わり、保健所がおかれ、予防に努める時代に入った。

われわれ歯科医の仲間では、保健所でどのようにして予防活動を行うか。
指示も一切なく、小生は保健所を尋ねる人たち、特に、団体としては妊婦に対し、食滓(しょくさ)と歯垢(しこう)の区別。
歯垢の酸化過程を来会者の一人をモデルにして、顕微鏡の視野に表われる状態(位相差はまだなく、単染色の状態)を見せて、既に出ている学術誌と両方で説明納得させる方法を行った。

それがまた、大阪大学医学部公衆衛生學科の注目を引き、初めて出来た医学部インターンの必修科目となり、医学部卒業生と保健所来所者の妊婦とを同席で話をすることもしばしばあった。

ここでも「やればできる…」という事を小学生の成績をみせて、つまり、小学校で初めて採った模型、数日後の模型、数か月後の模型の歯周組織の状態を見せ、妊婦の皆さんも「これはこのように変化する」と納得させ、続けてみたい人は、約束時間を守って再三再四来所するようになった。

平成18年1月10日

歯科医師としての任務、義務として、抜けそうなまでに変化し、患者本人は病気を認め、治して欲しいと意志を表明している場合、どのような手段を取っても治したい…というのであれば、十分な解説を行った上、もう一度、回復治療を望んでいる本人の意向を確かめたあと、保存回復が出来た場合は、十分な医療者の責任を、或いは義務を果たしたものといえるであろう。

しかし我々は、それで十分とは考えない。

患者自身が、自身の日常生活で、どのようにそれが続けられるか、或いは益々、健康を増進させていけるか。
即ち、回復の状態を保ち、再び、病状を呈することのないように、つまり、病気の再発再燃の阻止を自分で完全に行えるように仕上げていくための指導は、病気の回復を願って、その方法を指導する話し合いとは異なる。それは命の健康を教育することとなる。

つまり病気を治すことは、内科や外科の方法で治していくものだと考えている人に、自分自身の生活そのものを考え直し、実行し、継続して暮らしていくような教育は、医療者から教育指導されるものとは考えられないことであるため、ほとんどの人はそのように生命全体の健康についての話、教育などについては、聞くことがほとんど行われない。
つまり、気持ちの問題、こころの問題、両方からのいまの暮らしの改善、明日への継続。
つまり自分の周り総ての環境とどのように調和を得ながら暮らしていけるか。

いまの暮らしをどのように改善していけるか。
歯だけの問題ではなく、口だけの問題でもない。
生きていく暮らしそのものをどう考えるか。そこまで考えなければ完全な再燃再発は、つまり、病変の完全な排除は出来ない。

今日(2006年1月10日12時20分ごろ)いまさっきも、電話で

歯が抜けそう、プラプラしている。何とかしてもらいたい・・・というような電話が掛かってきた。

歯が動き、噛みにくく、ブラブラしている状態で、なんとか健康に戻して欲しい人は、非常に多い。
そんなに噛むのに邪魔になるほど、或いは抜けそうに思われるほど悪くなるまで、何年も何十年も、日にちが経っている。

抜いてその後、大きな歯が生えてきて元通り噛めるようになるのなら、抜くことも治療だと云える。
だが、生えかわった永久歯を抜歯したならば、そうはいかない。

大人の指を切り落としたのと同じで、あとは不自由がいつまでも続く。

だから、あらゆる手立てを加えて、十分噛めるように保持して、これを回復とみなし、その状態から再燃再発を防ぎきれたならば、全ったき、そして正しい医療と考えていいと思う。

しかし、それには医療者だけが幾ら努力しても限界があって、その医療者の出来ない部分を患者自身が補っていく治療。

それは非常に困難で非常に難しい。
そして、やり遂げて後、再燃再発を防いでいく長期の、一生の努力が必要。そして3年5年10年とやり遂げたとしても、だからあとは再発のない健康に戻ったことではない。

つまり、そのような健康は、真の健康ではなく、保たれている健康。

医療の手が加わっている健康であって、真の健康とは云い難い。
さて、そうなると、あとはどうするのか。
簡単に分かることであって、非常にやりにくいこと、つまり病因を完全に除去すると云うこと。

そこでも完全とはどのような状態か。

その病気を治すために、或いは少しでも快方に向かうために病因を除去することは、総ての治療で必ず行ってきたこと。
そしてよくなった。
再燃再発を防ぐためには、その原因が復活する生活に戻ると、或いは病状改善(緩解)出来る病因除去の程度から、数段上の原因除去を考えなければならない。

ここからが、病因除去なのか生活改善というべきか。
病因に晒されることがあったとしても、完全に抵抗できる、心身共に改善していく。

云うならば、生まれ変わりの努力が続けられなければならない。

片山は、これらの口述のおおよそ1ヶ月後、天に召された。

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