片山恒夫先生と W. A. Price 先生

"Dental Infections" 翻訳に携わって

Matsuda
koushikai
14 min readOct 10, 2016

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福岡 雅:歯科医師・恒志会理事

2008 恒志会会報 Vol.3 より

1.はじめに

私は、片山恒夫先生のセミナーを1回、第23回1993年(平成5年)に受講しただけの人間です。そもそも名のある歯科医師ではなく、今やコンビニ以上に多いといわれるその辺の一開業歯科医に過ぎません。仕事はあくまで保険診療が主体です。

そんな私が現在NPO法人恒志会の末席理事を拝命していますが、これにはW. A. Price : “Dental Infections vol.2” の翻訳に僅かばかり関わらせて頂いたことが大きいと思いますので、セミナー受講からここに至るまでの「ご縁」について書かせて頂きます。

2.片山セミナー

1992(平成4)年に開業した私に片山セミナー受講を勧めて下さったのは同じ地区でご開業の先輩、野々山 郁先生でした。開業一年で決して順調とはいえなかった時期、2回の土日を潰してのセミナー参加は経済的にも大変でした。

しかし、「薫陶を受ける」とはこのことをいうのでしょうか、この「たった一回」がその後の自分の進む方向を決めたのです。その教えの多くを守れてはいないとしても、です。

私が受けた歯学教育では、ただでさえ小さな口腔や歯をさらに細分化された専門分野ごとに、疾患の存在を前提として多くは形から入った「誰れ彼れの分類」があり、それに対する治療法の要件や術式に終始していたと思います。

しかし、片山先生は「原因」に対する考察とその軽減除去を常に念頭に置かれ、その医療を構築されていました。さらに、「原因」を口腔不潔=歯垢・細菌(現在ではbiofilmといわれる)に限局せず、「食をはじめとする生活習慣の乱れとして歯科疾患が発現する」とも仰せられ、そのスケールの大きさに圧倒されたのでした。W. A. Price 先生の “Nutrition and Physical Degeneration”(片山先生翻訳『食生活と身体の退化』)の存在もこの時初めて知りました。主な歯科疾患はう蝕、歯周病、不正咬合ですが前二者は感染症でもあります。従って細菌をターゲットとした取り組み方がでてくるのは当然ですが、これでは不正咬合には手も足も出ません。 Price -Katayama路線は今の私の診療体系 〜 う蝕も歯周病も不正咬合も一元的に予防する 〜 の大黒柱になっています。

これはセミナー受講から何年も経った後に感ずる真の価値です。

セミナー受講時、特に印象深かったのは次の二つで、少なくともこれは習慣として定着しました。

①「先ず、写真を撮りなさい。」・・・この重要性についてはもう説明は要らないと思います。下手でもいいから先ず一枚撮って見る。「下手だったなあ」という記録が残るだけでも進歩です。昨年、思いがけず国際学会や海外のシンポジウムでも発表する場を与えられましたが、その第一歩は写真を撮ることです。

②「はえたての歯が尖っていて柔らかいのは何故か、皆さん解りますか?」…個々の事実は知っていてもその連関、相互関連についてはそれまで考えたこともありませんでした。「形態は機能を表し、機能は形態を表す」とは解剖学で習った格言ですが、「解剖と生理」「形態と機能」は、言語学に置き換えれば「形態と意味」ということであり、高名なドイツ語学者、関口存男の言葉を借りれば、「形が意味を有するにあらず、意味が形を取捨するなり」、即ち意味=機能が上位に立つのです。

片山先生の説明を聞いているうちに「はえたての歯の講が深いのは何故か」、急に閃くものがあり、「虫歯の好発部位だから」という理由だけで歯の溝を塞ぐ(= pit & fissure sealant)のは次の日からやめました。

これが小生の予防の始まりです。のべつ幕なしにシーラントをするのは「胃癌で早死にの家系だから」と、子供のうちに「予防的に胃を切り取る(!?)、それくらいナンセンスなことだと思うからです。小高裂溝の意味=機能は何か、「片山流に(片山先生だったらどうお考えになられるだろうかと)」自問自答することが「気付き」であり、今の診療への「築き」です。

自然に無駄はなく、本当に治すべきは何か、ここまで読まれた方はもうお分かりでしょう。

そこで一句 「シーラント 歯牙の生理を 知〜らんと」

「数年したらまた来よう」と思って箱根を後にしましたが、その後セミナーは30回で終了してしまい、これが片山先生との最初で最後の対面となり
ました。しかし宿泊のホテル(箱根アカデミーハウス)の部屋で沖先生の後輩と同室になったことが、その後に生きてくるのです。

3.片山ビデオセミナー

2004(平成16)年ビデ才セミナーの案内が届いた時、「たとえビデオでも久しぶりに先生の講演が聞ける」という思いと「このセミナーが参加者少数で不調に終わったらもう次回はないかもしれない…」という不純な、いや寧ろある意味純粋な気持ちで早速申し込んだのでした。

映像ではあっても、片山先生の教えには新たな発見があり、良書と同じで、一昔前の自分とはまた違った感動を覚えました。

これが片山哲学の本領だろうと感じました。少しも古くなっていないどころか、20年前から現代を見通しておられるようでした。

ビデオセミナーでは、W. A. Price のもう一つの、しかもより大きな業績である “Dental lnfbctions”(全1,174頁)の翻訳という壮大な事業が、片山先生の遣り残した仕事として、計画されていることが知らされました。

翻訳といえば故郷、美濃加茂の大先達、坪内逍遥先生の言われるように「原文の直訳から、翻訳された言語として自然な文章に直し」さらには「元の翻訳される側の言語の flavour を伝えることに重点を置くか、翻訳とわからないほどに翻訳された側の言語らしい文章にするか」といった問題がでてきます。

語学では所詮は素人の歯科医師には英文解釈の域を出ることは難しそうに思えました。たかが英文解釈といっても、山崎貞や吉川美夫のように英訳史に名を残すような和訳例は立派な翻訳といえますし、そもそも正しく解釈する力が自分にあるのか、自信は全くありませんでした。

たとえ下訳ではあっても翻訳となると、どんな難文でも巻末を見れば訳例や正解か載っている「英文解釈」とは、この点が最も切実に達います。蘭学事始のような「わからない」という苦悶をあえてするのには勇気が要りました。

受講者の多くがページを決めて分担していかれるので私は躊躇逡巡した挙句に、最後の章 General Summary を選びました。紅白歌合戦ならトリみたいで格好良いですが、私は義務教育(大学卒業)だけですぐに働き出したので、歯科における専門分野はなく、研究実験にも疎いので、皆さんが避けていたところを偶々消去法で選んだというわけです。

4.何とか和訳して

総論も各論も知らないで結論を訳したので、正しく理解できたかどうか怪しいところもありましたが「ここまでは何とか解かったが、ここからが良
く解らない」という線引きだけは明確にすることを心がけました。

「解る」は「分かる」とも書きますが「(共通の)理解を分かつ」とも「理解(できる所とできない所)の境界を分かつ」とも解釈できます。言葉の意味を味わいながら先へ進むのは苦も楽もありましたが次第に楽しみが大きくなって行きました。

Price 先生の言葉も、素晴らしいものがありました。そのいくつかを掻い摘んでみます。

…when we have come to understand these, we will understand life itself,for disturbed life is but slightly different from the normal.(これら<本書
で取り上げた口腔感染に起因する様々な疾患>を理解するに至った時、私達は生命そのものを理解することになるだろう。何故なら生命活動が障害
されたとはいっても、それは正常像からほんの僅かの変異に過ぎないからである。)

様々な疾患が存在するのは…how extremely involved the problems of defense and susceptibility are (生体の防御(免疫)や感受性(もともと弱い部分)の問題がどの程度までひどく犯されたか)と結論しています。

口腔感染の主な原因菌は Streptoccous(pl. Streptococci)ですが、これは若いうちから始まっていることです。元気なうちは免疫力で何も問題は起きないのですが、…these diseased states develop in the organs and tissues whose defense has been lowered either by trauma, starvation, physical and
mental overload, or by heredity. (これらの病的状態は外傷、飢餓、身体および精神の過重負担(過労)、あるいは遺伝によって、その防御が低下している器官や組織で発生する)と疾患の発生について説明しています。

何処に病変が初発するかについて、…in case there has been no physical(※) force to determine what tissue will break first(どの組織が最初にやられるかを決定するような物理的な(※ physical には主に「身体の、肉体の」「物質の」「物理学の」異なる重要な意味があり、low「法則」「法律 」と同じく、かなり紛らわしいです。英語は日本語と比べて特に論理的な言語とはいえないと思います。)

「力が 存在していなかった場合」の条件付で、…heredity answers to the question (遺伝が回答になる)としています。遺伝的条件によって発現する疾患も異なるというわけです。

… hence we have in one family the kidney breaking first, in another the heart, in another the joints, etc. : and we call it “Heart disease running in the family”(従ってある家族では先ず腎臓がやられ、別の家族では心臓が、また別の家では関節が、等々という具合に。
これを一般には「あの家系は心臓病の血統だ」と言うのである。勿論遺伝だけでなく「食をはじめとする生活習慣の共有」もあると思います。

たかが虫歯でも、Dental caries is primarily a local expression of a systemic condition in combination with abnormal local physical condition. と局所だけの問題ではなく、全身との関わりで捉えるのです。

「幸福な家庭は一様に幸福であるが、不幸な家庭は様々に不幸である。」とはトルストイの『アンナカレーニナ』の有名な書き出しですが、「健康は一様、病気は多様」「生理は一様、病理は多様」と一般化して考えると、「幸福、健康、生理」を支える様々な仕組みが十全に機能しているうちは問題ないのですが、このなかの何処かが限度を超えて侵されると、様々な問題が生じてくる、ということになるうかと思います。疾患を理解するうえで極めて分かり易い説明がなされていると感じました。

5.来世主義者

こんなすばらしい研究、発見をした W. A. Price 先生はノーベル賞を貰ってもおかしくない業績だと思うのですが、沖先生からお聞きしたところによれば、この本を書いたばかりに学界はじめ公職を追放されてしまったそうです。これは案外どの世界でも良くあることで、ガリレオ然り、吉田松陰また然りです。中学高校の大先輩で哲学者の梅原 猛先生は、「学界の常識を否定するような革命的な学説を発表した学者は世に認められないことが多い。 しかし彼らはそのようなことを全く気にせず、ひたすら真理を追究したのである。」(中日新聞 平成17年3月14日)として、肯定的に「来世主義者」と捕らえています。

しかし、この「追放」によって私たちは「歴史の皮肉」という言葉ぴったりに “Nutrition and Physica1 Degeneration” 『食生活と身体の退化』を読むことが出来るのです。

ルソーの『エミール』Rousseau’s Emile,ou l’education の書き出しは、(仏)Tout est bien sortant des mains de l’Auteur des choses, tout dégénère entre les mains de l'homme.

(英) Everything is good as it leaves the hands of the author of things,everything degenerates in the hands of man. (仏英とも斜線は筆者)なので、この Degenerationは環境に適応しての変化(進化・退化)ではなく明白に「悪化」だと言って良いと思います。(因みに、ルソーも『エミール』を書いてパリ大学神学部から断罪され、本が発刊禁止となっただけでなく、本人に逮捕状が出たためスイスヘ亡命したそうです。)

6.現代的問題

最近になって歯周病はじめ歯科疾患が、全身疾患・メタボリックシンドロームに深く関わっていると声高に叫ばれるようになりましたが、Price 先生の Dental Infections はもう80年前にこのことを実証しているのです。あまりに早く研究し過ぎたということでしょうか。その結果歯医者はロの中だけ、えてして歯だけ弄っていれば良くなったのでしょうか。多くの歯科医師は医師に対して「全身のことが良くわからない」と劣等感を持っていると思います。

しかし現代の医学の研究・教育・臨床の現場も臓器別・疾患別の「縦割り行政」で、その意味ではかなり歯科的でもあるようです。

しかも、高齢者の在宅・口腔ケアの現場で特に明らかになったように、医療や介護の現場からこれほど感染源になっている口腔がごっそり抜け落ちているのです。最も近い所を診る耳鼻咽喉科医でも歯など全く診ないでしょう。そういう状況で疾患を微に入り細に入り研究・分析しても、手法の進歩以外に得るところは少ないのではないでしょうか。

Price 先生の Nutrition…はもう今では再現できない研究業績ですが、人間は本来いかにあるべきかという哲学的テーマをも現代に問いかけているようです。

しかも白人文明の限界を明確に看破しています。シュペングラーの『西洋の没落』にも似た Echo があります。今尚日本の指導的立場にある少なくない人が「欧米では、・・・」を枕詞にしていますが、如何なものでしょうか。

現在 ”健康日本21” とか ”メタボリックシンドローム” とか様々に言われていますが「食育」の提唱者である石塚左玄先生のように、民族として何を食べるのかという考察抜きには、国民の健康は、延いては国家の安全も、望むべくもないと感じます。

最後に、disturbed life is but slightly different from the normal というPrice 先生の言葉を繰り返して終わりたいと思います。別の読みかたをすれば、「正常と異常の差異はごく僅か」ということであり、「きちんと養生・治療すれば真の治療も予防も不可能ではない」ということであり、このことを実証しているのが片山恒夫先生だと思うのです。

力量不足で多々至らないことがあると思いますが、小生としてはいろいろ勉強になることが多かったと思います。

有難うございました。

福岡 雅

NPO 恒志会

学び合う医療 支えあう医療 ほんまもんの医療

http://koushika-jp.org

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