「アート」に学ぶ

Subaru Matsukura
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4 min readOct 12, 2017

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最近、仕事の半分が「アート関連」のものになっている。自分からそうしたのではなく、気がつけば半分がアートに関わる仕事や相談なのだ。まもなくリリースできるものもある。新しい相談もある。そのうち半分以上がアートのお仕事になる可能性がある。

芸大で先生をしているが、別の芸術のことを教えているわけではなく、いかにして稼ぐか、とか、死なずに作り続けるか、どう発想するか、などなど、こうやったら芸術は生乱せる!なんてことは教えてない。学びは飲み屋にあると言い切ってクビになるかもしれないギリギリのところにいるレベルだ。

実際に芸大にいながら、周りの学生が黙々と作品を生み出しているのを見て、すごいなぁと逆に尊敬の眼差しで眺めている。大先生たちのグゥの音もでない真っ当な批評を全身で受けて、倒れて、起き上がって、筆を握る。これを彼ら彼女らは4年間ぶっ通しで続けているのだ。

最近、若手アーティスト(卒業したばっかりも院生も)会うことが多かった。出会ったアーティストは、みな優秀だ。アーティストとしての評価はこれから上がって行くのが見て取れた。僕が優秀というのは、人として整っているという意味だ。

まず、みんなプレゼンテーションが素晴らしく上手い。
芸術は難しい!と思いがちな人も多いかと思うが、聞いてると彼らは何が根元で、どのアプローチで、これらを生み出したかをとてもわかりやすく説明してくれる。あ、欲しい。と聞いていて思ってしまうほど。だからこの作品が出来上がった、というところまでの文脈をしっかり持っている。

それと同時に自分の価値をしっかり把握している。
何をすると自分を高めれて、何をしたら自分を下げるか。それがしっかり個々にある。作風もそうだし、コンセプトもそうだけど、存在としてアーティストは作品と一対なのだと、映し鏡なのだと思った。

卒業してまもないアーティストがなぜこんなに出来上がっているのか。
不思議でならなかった。色々考えたけど、大学での教育が良いのとすぐにマーケットvs自分という状況に置かれるからかもしれないと思った。

5年前まで、広告代理店の仕事が多かったが、年々、直接取引が増え、マーケットvs自分の戦いがいかに大切かがわかり始めてる松倉が、10近く年の離れた若者を見て勉強になっている。どれだけ大きなチャンスでも、それが作品自体を良く見せることができなければ気持ちいいほどパシッと断る。しっかり長期的な視点を持って、創作活動に向き合っている証拠だ。

そして、作品を買うという行為も少しイメージが変わった。
たくさんのアーティストの作品を見てると、なんか言葉にできないがとてもいいなこれ。というのがある。無名であればあるほど、価格は安い。自分の中の「なんかいいな」で購入した作品のお金はアーティストの次の作品を生み出すガソリンになる。そして、またいい作品をつくる。この繰り返しがアーティストの価値をあげ、生み出した作品の価値をあげていく。

なんかいいなで買った金額のゼロがいくつか増えていて、ほらやっぱりいでしょうとなるのだろう。自分の好きな作品を手に入れると同時に作家を応援することでもあり、新たな「なんかめっちゃいいぞこれ」を生み出す。このサイクルがお金として流れている。

世の中には様々なクリエイションがあるが、価値がそこで成長して行く創作物というのはアート作品だけかもしれない。不思議な生き物をみているようにアートを眺める機会が増えた。この子達は育って行くんだと。

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Subaru Matsukura
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