くちなしたちのために
on water melon sugar 1

青山のスパイラルという場所で、2020年のあとの文化やアートをテーマにしたトークショーがあったので参加した。
パネリストは、東京、香港、台南、グラスゴーの30代前後の若者たちで、彼らそれぞれがやっている、とても面白くてユニークなプロジェクトを発表したあと、お互いに意見を交換しあい、最後に会場からの質問を受ける段になって、会場の真ん中の一番前の席に座っていた女性が「中野で木が切られているんです。」と言った。「わたしは鳥が好きなんですけど、突然誰にも言われず中野で木がどんどん切られて、反対する人たちもいるのに、木はやっぱり切られてしまって。そういうとき、アートで何をしたらいいでしょうか。」とその女性は言った。
パネリストの人たちは困惑しながらも、それぞれの言葉で「それはとても悲しいことだ」「あなたの悲しみや怒りはよくわかる」というようなことを言った。
その女性は静かな口調で淡々と話していたけど、体のふしぶしに哀しみから来た怒りを身にまとっていまにも泣き出しそうに見えた。けれど、パネリストのひとりひとりが真摯なそれぞれの言葉で話すうちにその哀しみや怒りは少し落ち着いたように見えた。
怒りは哀しみを共有することで、昇華されることがあるのだ、ということにわたしはちょっとびっくりしていた。びっくりしていると同時に、そのことをそのパネルディスカッションが終わってからも、ずっと考えていた。
自分がびっくりしたものの、正体について。
共有される哀しみ、ということについて。
わたしは何に怒っていて、何に哀しんでいるか、を人と話す、ということについて(喜びや楽しさももちろん)。それで、哀しい、ということについて、考えていた。
いつも駅を降りて会社まで向かう道の街路樹の横に背たけ50センチほどの梔子の木があった。いまはもうない。新しいビルが建つことになり、車の出入り口になるというので、気がついたら、梔子はいなくなっていて、梔子のあった場所は、ある日ただの平たいコンクリートになっていた。冬から春になろうとしていた。
初夏のころになると、その梔子の横を通ると、白い花が咲いて、そばを通るととてもいいにおいがした。わたしはその香りが好きで、交差点になっているその道では、赤信号で立ち止まるときには、横断歩道から少し離れた、梔子の前で立ち止まるようにしていた。でも、もう来年からはそのにおいをかげないのだ。いつの日か、工事中の囲いが取れ、明かりがついたきれいで高い、大きなビルを見上げながら、わたしはこのビルを建てた人やこのビルを使う人たちには、特に何の恨みもないし、大きくてたくさん人が入るビルができることは本当にすばらしいことけれど、でも切られた梔子にはいつか謝ってほしいな、と思っていた。
東京を散歩するエッセイが読みたい、と人に言われていて、どんなものを書けばいいのか、行きたい所はいくつかあったけど、まだよくわからなかったけど、それは誰に読んでもらいたいのか、よくわからなかったからだ。読者が見えてなかったからだ。
あの怒っている彼女に、もしわたしが答えるなら、中野で切られた場所、ひとつひとつに「ここに木がありました」と書いた小さな木札をさしてはどうか、と言いたいなとおもっている。チョークで書くのでもいい。梔子のあった場所には、「ここにはかつて梔子があって、初夏にはいいにおいがしました」と書きたいな、と思う。
いまの東京を歩くをはじめるにあたっていなくなった梔子や、木を切られてどこかへ行った小鳥たちのために、あるいは諸事情でふるさとに帰れなくなった人たちのために、いまの目の前にある風景を書いてければと思う。
それで、初夏の気持ちのよい夜に、これを読んでいるあなたがどこかで咲いていた梔子の香りことを思い出してくれれば、これほどうれしいことはない。
2018年 晩春、東京
(ジョン・ケージの著作に音楽学者のダニエル・シャルルと対談した「小鳥たちのために」というタイトルの本がある。タイトルはそこからのオマージュ。


