Ken Takeshige
原稿用紙1枚の物語
3 min readAug 8, 2016

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前回に引き続き、うちわの話が2話目。祖母のうちわの思い出です。

『うちわの風』

祖母は半年前に見たときより、ずいぶんと細かった。

「何か欲しいものある?」
「……扇いでくれる?」

祖母は横のテーブルにあったうちわを見た。

「暑いの? エアコンつける?」
「いいや、うちわがいいの」

わたしがうちわを扇ぐと、祖母は目を閉じた。鼻歌を歌うように口を動かしているが、ほとんど声は出ていない。わたしは黙って扇ぎ続けた。

「贅沢ね、ほんと贅沢。――ありがとう。疲れたでしょ、もういいわ」

わたしが扇ぐ手を緩めると、祖母は窓の外を見た。

「わたし、長女でしょ。物心ついたとき、弟や妹は赤ん坊だったわ。夏になると母親に頼まれて、その赤ん坊たちをうちわで扇いで寝かしつけたものよ」
「まだお婆ちゃんも子どもだったのに?」
「そうよ。そんなだったから、誰かに扇いでもらった記憶がないの。気持ちいいのね、扇いでもらうのって。嬉しい。弟たちもこんないい気持ちで寝てたのね」

それから少しして祖母は亡くなった。わたしは時々うちわで自分を扇いでみる。やせ細った祖母の鼻歌が聞こえるようだった。

《No.153 お題:うちわ no.2》

あとがき――アームチェア山菜遊び

以前このあとがきで「アームチェア・フィッシャーマン」という言葉を紹介しました。

意味は「釣り師が自宅で、肘掛け椅子に座りつつ、書物やら、過去の釣りの思い出やらに浸り、釣りを楽しむこと」です。つまり「釣り師は家にいたって釣りを楽しんでる」ということですね。

さて、話は変わって、最近わたしは山菜やきのこの勉強をしています。もともと植物に関する知識をまったく持ち合わせていないので、図鑑を広げては「へぇ、これも食べられるんだァ」と感心する日々です。

とはいえ、毎日山菜探しをする時間があるわけでもないので、せいぜい図鑑を眺めるくらいの浅い勉強なんですが、山菜を勉強していたことで得したと思えることがありました。

とある本を読んでいたときのことです

> ヤブカンゾウの多いところで、踏みつけて歩くのがもったいないほどの……

という描写がありました。普段なら、あまり気に止めず「ああ、なんかの植物が群生してるのね」という程度の認識で読み進めるのですが、今は違います。

「ヤブカンゾウ? それはオレンジ色の花が咲く山菜だな。天麩羅でも炒め物でもOKらしいぞ!」

とすぐにわかりました。実物を見たこともないくせに、散々図鑑で見た姿が目に浮かび、勝手に味を想像します。そして……

「なるほど、たしかに踏みつけるのはもったいない気がするよな」

と著者と呼応できるような気がしたのです。本を読んでいて、出てくる野草に思いを巡らせる。

これはまさに「アームチェア山菜遊び」ですね。

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Ken Takeshige
原稿用紙1枚の物語

小説書いてます。『池内祥三文学奨励賞』受賞。世界旅を終え、作家活動中。 noteやMediumで小説を連載。ブログ『日刊ケネミック』→ http://kenemic.com | Amazon著者ページ→ http://amzn.to/1sh7d1f