Ken Takeshige
原稿用紙1枚の物語
3 min readAug 10, 2016

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頼んだそばが届かない。出前のミステリーです。

『頼んだそばが届かない』

頼んだそばが届かない。しびれを切らし電話をかけた。

「小林ですが――」

「さきほどはどうも」

「どうもって、まだ届いてませんけど」

「え!?」

訊けば、ちゃんと届けたという。しかしわたしの所には届いていない。言い合いの末、もう1度持ってきてもらうことになった。今度は誤配がないよう、合い言葉を決めた。『本当の小林です』と名乗ったら、それが本物だ、と。

しかしやはり届かなかった。

「さきほどたしかにお届けしましたよ! ちゃんと『本当の小林です』と名乗りましたしね。これ以上の言いがかりは勘弁してください』

そう言って電話は切られた。

ところが翌日のことだ。昼過ぎにそば屋がそばを持ってきた。頼んだつもりはないが、見てみると私が昨日頼んだものである。

「これ、昨日頼んだものです」

「なに言ってんですか、さっきお電話を受けて、作ったんです。だいたい、昨日は定休日で店にゃ誰もいませんでしたよ」

良く事情が分からないまま、代金を払い、そばを食べた。しかし考えれば考えるほどおかしい。誰かのいたずらだろうか……。

1時間ほどしてまたインターホンが鳴った。扉の覗き穴から見ると、先ほどと同じそば屋である。不機嫌そうな顔でそばを持ってきている。開けてやると「合い言葉は?」と言い捨てた。まさか、という気持ちで答える。

「本当の小林です」

「ほらみろ、やっぱりあなたじゃないですか!」

「これは……」

「これ以上の言いがかりは勘弁してくださいね」

そう言ってそば屋が帰っていった。そばを手にしたまま、家の電話を見た。まるで昨日の電話が、今日のそば屋に繋がっていたみたいじゃないか……。

《No.154 お題:出前》

あとがき――自然を守るよりも、自然を利用して生きる感覚を大事にしたい

「自然を守る」と言うとすごく響きが良くて、いいことをしているように聞こえます。実際いいことだとは思います。しかし、人間は自分に余裕があればこそなにかを守ったりできますが、ひとたび余裕がなくなれば、自分のことで精一杯で守る事なんて二の次になります。

だから、ぼくは「自然を利用して生きている」という感覚を大事にしたいな、と思っています。

例えばその辺に生えている山菜を食べる。釣りをして魚を食べる。(自分はやってないけど)猟をして獣を食べる。

そうやって自然を利用して生きる。当然、長く利用し続けるためには、上手に利用しなければいけません。生えている山菜を根こそぎ全部採ってしまっては来年から生えなくなるし、川の魚を釣り尽くしてしまえばもう捕れないし、獣だって取り尽くせば食べられなくなります。だから、自然を継続的に利用するために工夫や遠慮がいる。山や川がキレイでなければ、なにも捕れなくなってしまう。

自然を守るために自然を守るのではなく、今後も自然を利用したいから、(自分のために)自然を守る。

この意識だと、結局自分のためだから、モチベーションが維持できる気がします。

だから自然を利用する営みって大切だと思うんです。巡り巡って自然を守ることに繋がるし。

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Ken Takeshige
原稿用紙1枚の物語

小説書いてます。『池内祥三文学奨励賞』受賞。世界旅を終え、作家活動中。 noteやMediumで小説を連載。ブログ『日刊ケネミック』→ http://kenemic.com | Amazon著者ページ→ http://amzn.to/1sh7d1f