Ken Takeshige
原稿用紙1枚の物語
4 min readAug 11, 2016

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この子はまだ幼いから旅行に連れて行っても意味がない。そんな意見もありますが……。

『幼い子どもを旅行に連れて行っても……』

2歳になったばかりの子どもを連れて夫の実家に帰った。義母は専業主夫、義父は百人近い社員を抱える会社の社長で、威厳ある人だ。

「子育てに余裕が出てきたら、旅行でもすると気分転換になるわよ」と夫の母が言う。

「でも、いま子どもを旅行させても何にも覚えてないでしょうから……」

「それがいいんじゃない。わたしたちもね――」

夫がまだ2歳にならない頃、義父母は子連れで草津に行ったという。初めての子連れ旅行ということで、綿密な計画を立て、万全の旅行にしたつもりだった。ところが、温泉街の散策中に子どもが熱を出した。早めに宿にチェックインしようと、宿に行ってみると、何の手違いか、予約が取れておらず、満室だという。

「あのとき、主人は焦っちゃってねェ――」

義父は「子どもが! 子どもが!」と怒鳴りつつ、その宿をあとにし、草津中にある宿を回り、空き部屋を探した。あいにく観光シーズンど真ん中で、どこも満室である。それこそすべての宿で頭を下げ通し、頼み込んだ末に、ある宿の奉公部屋を特別に使わせてもらえることになった。

「あなた、あのときほど頭を下げたことないんじゃない」

義母が笑い、義父は「ふん」と照れ隠しに新聞を開いた。そんな旅行も悪くないかもしれない、とわたしも少し思った。

《No.155 お題》

あとがき――死体を山に置いてくること

最近、猟師に関する本や動画を見ています。そのなかで心がざわつく動画がありました。

動画主は北海道の山奥で鹿狩りをしています。見事、大きな鹿を仕留め、満足そう。すぐさま背中を開き、背ロースを丁寧に切り離します。滑らかな手つきで、「慣れてるなァ」と憧れの混ざった思いで見ていました。

しかし、その猟師は背ロースを取ったあと、鹿を置いて、さらに猟を続けたのです。残った鹿の身体を埋めたのか、そのままにしたのか、動画では分かりませんでしたが、持ち帰らなかったことはたしかでした。

つまり1番美味しいとされる背ロースだけを取り、あとは置いてきたというわけです。

みなさんはどう思いますか?

わたしはまず憤りを感じました。「猟師たるもの、殺した動物は隅から隅までありがたく活用すべきではないか!」という思いです。

思わずTwitterでも愚痴っぽいつぶやきを書き込んでしまいました。数日後、少し冷静になり、調べてみました。はたして、狩った動物を山に置いてくるのは間違ったことなのか、あるいはなにか正当化される理由があるのか、と。

すると、やっぱり「狩った動物を山に置いてくるのはやむなし」という意見はたくさんありました。目についた意見を挙げると……

・いつかは自然死するのだから、その死体を置いてきても山が処理してくれる(他の動物の餌になる)

・害獣駆除としての狩りだから、極端な話、食べるためじゃなくてもOK

・(ある猟師の話)「山への感謝の印として、必ず動物の一部は山に置いてくる」

などなど。どちらが正しいかと考えてみても答えはありません。結局は自分が心地よいやりかたを追求するしかないのであって、他人のやりかたをとやかく言うべきではないのでしょう。

猟に関する情報は見れば見るほどモヤモヤします。

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Ken Takeshige
原稿用紙1枚の物語

小説書いてます。『池内祥三文学奨励賞』受賞。世界旅を終え、作家活動中。 noteやMediumで小説を連載。ブログ『日刊ケネミック』→ http://kenemic.com | Amazon著者ページ→ http://amzn.to/1sh7d1f