百年の孤独(G・ガルシア=マルケス)
私はとにかく読書が苦手だ。この10年間で10冊読んだか読んでいないかくらいだと思う。まず文字が多い、自分以外の人間が書く文章が苦痛、頭を使う、気が散る。まあでも読書が面白いってことは分かっているんだよ。

この本、森さんにすすめられたのを無視していたんだけど、「読んでみなよ、これくらいの書けるんでしょ」みたいな煽りもまったく屁でもなかったんだけど、「祐子さんそっくりの登場人物が出てくる。一瞬でわかる」というのには負けてしまった。
夫に言ってみたら、ブーッと吹き出して、出てくる出てくると笑いだしたので、もう読むしかなかった。
この本の巻頭には、登場人物のブエンディア一族の家系図が載っていて、それを100回は見直しながら読み進めたんだけど、「ホセ・アルカディオ」と「アルカディオ」が別人であることに気付いて、エピソードが混線してなんだかわけがわからなくなったけど、実際のところ混線して困ることはあまりなくて、ピンときた登場人物、私ならウルスラ、アマランタ、レベーカ、小町娘のレメディオスの日々の戦いが恋がエネルギーと愛嬌にあふれていて、渦にのみこまれていくように読まされてしまった。
人間は日々縛られている。目的がなくても食べなきゃいけないし眠らなきゃいけない。物理の法則からも逃げられない。魔法も使えない。
欲望や喜び、愛がそれを超越したらどれほどふくよかなものになるだろう。憎しみや絶望、衰退がそれを超越したらどれほど虚しくえぐいものになるだろう。
34歳の私は、マコンド村やブエンディア家の草創、隆盛、戦いに夢中になり、愛にまつわる描写にうっとりしたり悲しくなったりした。
衰退、廃墟と化すまでの後半は、読み進めるのが辛かった。私には衰退が待ち受けているということ、それがとてもわびしいもので、多くの人が目を背けたくなるものであることを意識しなければならなかったから。老いが、悪天が、どんなに抗っても邪魔をする。次々と登場人物や物語が死を迎え終息していく。
苦しくても読みすすめられたのは、アウレリャノの恋が衰退を諦めきれない私の一縷の望みとなっていたからで、目を背けたい読者へ麻薬のような刺激をあたえている。そしてやっぱり麻薬なので、最後は特大の虚しさを運んで来たのだった。
いくつもあったドアがパタパタと閉じていく。ドアから人が現れなくなり、新しいドアを作ろうと奮闘する人もやがて衰え減っていく。パタパタパタ。ドアも消失していく。最後に残った一つの小さな部屋は、四方の壁が外に向かって倒れる。周りは暗闇でなにもない。私は静かに目を閉じる。
マコンド村を見守ってくれたような読者はいない。私や私を取り巻く世界の消失はいつか必ずやってきて、誰にも知られず終わるのだ。誰かが数え始めた数字を使うと、1982年以前、私は死んでいた。そして、また私は死ぬ。
その時、コントのあとの「チャンチャン」という効果音が流れてくれたらいいのに。それか「蛍の光」。チョコレートを飲んで体が浮くことも、黄色い花の雨が窒息しそうなほど降り注ぐことも、シーツにくるまって天に昇ることも、好きな男の周りに常に蛾が舞うこともなかった、読者のいない読み応えのない私の人生の、いつかくる終焉に。ほんの少しでいい、愛嬌がほしかった。
