『一瞬で「やる気」がでる脳のつくり方』

佐々木正悟
Sasaki Shogo
Published in
3 min readSep 24, 2016

私が本書を書いたのは、2007年だった。たいして話題にすることはできなかったのだが、自分としては「気力」に関してそれまでに信じられていたこととは、それなりに違うことをまとめたつもりだった。

当時すでにアメリカの心理学の世界では、著名なだけでもセリグマン、バウマイスター、ダニエル・カーネマンらの知見から、こういうことが言われるようになる流れがあった。

すでにその前から、社会心理学や認知社会心理学を中心に、内的・外的動機づけ、心的飽和などの考え方はずっと知られていたし、やや異端的なところでも、fMRIを用いることで、「快楽回路」を目で確かめることはできていた。

つまり、動機づけには量的限度があり、質的な衰退もあり、そのことはわかっていた。それに深く関与する「物理的な展開」を動画でとることもできたのだ。

小学生でも、長い距離を歩かされるとわかれば、体力を温存しようという意識が働く。そういう意識は脳が「働かせている」に決まっている。体力には限界があるのだから。同じく脳は、気力を長く集中的に用いねばならないとわかれば、気力を温存しようと働くだろう。気力にも限界があるのであれば。

私としては当然

1.気力には限界があること
2.したがって脳は気力を温存するように働くこと

こういう展開で本を書きたいと思った。しかしビジネス書としては「1」のほうにあまり長々と詳しい話を書くべきではない。こういうところは専門書に譲るべきなので、話を「2」に集中することになる。

「2」の、脳が「気力を温存すべく働く」ということは、傍から見れば「やる気がない」ということだ。それが様々な現象として我々の目に映ずる。あるいは、我々が自分で自分に抗うということになる。

だがあまりに自分の脳への「抗い」が功を奏してしまうと、あるいは「現実」の要請が脳の「気力温存機構」を破壊しにかかると、気力がふんだんにでる代わりに、肉体としての現実の人間は大きなダメージをこうむることになる。

または、しばしば「躁病的」な人に見られるようなスーパーマン化した人が登場する。その人は本人も自尊心を高め、他人も賞賛するが、本当に望ましい状態にあるわけではない。こういう人を賞賛する文化に否定的であることも、本書のメッセージにしたいと思った。

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