普通と云うのは、確かに“変わっていないこと”と捉える事も可能かとおもう。
しかし、どうだろう。そもそも“変わった者”でない人と云うのは、世の中にどれだけいるのだろうか。
実際に身の回りの問題として考えてみて欲しい。自分の周りに変わって無い人と云うのはどれだけ居るだろうか。
そもそも、自分が変わり者だから周りにも変わり者しか居ない、と云うのならそれでいい。
逆に、自分の周りには変わり者はそんなに居ないと云う人に問うてみたい。
自身の周りにいる人の属性と云うのはどうゆう構成になっているのだろうか。
まず第一に、それは仕事をしている人だろうか?
答えがイエスなら、さらに聞きたい。仕事をしていなくて変わり者で無い人はいるだろうか。
ここでもイエスと言える場合、その人の年齢層はいくつ位だろう。おそらく、大方は年少者か高齢者ではないだろうか。
少なくとも、青年、壮年、中年で仕事をしていない、となると、その時点で変わり者レッテルは免れ得ないだろう。
ニート、自宅警備員は勿論、金銭的に裕福で仕事をする必要の無い人であっても、その年代で仕事をしていない類の人は、変わり者と見做されるのが殆どであろう。
詰まるところ、変わり者でない人と云うのは、社会性のある仕事をしている層である可能性が高い。
しかし、考えてみて欲しい。少なくとも日本における、仕事をしている人の人口における割合を。
日本の総人口は約1億2000万人に対し就業人口は約6000万人。(※2014年時点)
つまり、人口の半数は非就業者。
となると、仕事をしていて社会性のある人=変わり者でない人、と云うのである場合、その逆の半数の仕事をしていない人は変わり者となる可能性が高い。
勿論、仕事をしていない人の中には、年少者や高齢者も含まれる。前述の通り、それらの中に変わり者でない人がいる可能性も大いにある。
しかし、だ。仕事をしていて社会性のある人と年少者高齢者とで、どちらの方が平均的に普通たるイメージに近いか。
年齢は関係無いと言うのであるなら構わない。
では、ここまで考えてきて、普通である人と変わり者である人、どちらの方が多いと考えられるだろう。
判断は人にもよると思うが、どちらが多いと明言できる程の差があるだろうか。
極端な年少者や高齢者(乳幼児や被介護高齢者)をそもそも“普通”の議論に引っ張り出すのは宜しくないので除外すると考えてもいい。
しかし、それを差し引いても、社会全体で考えた場合、(少なくとも日本において)普通と変わり者の差はそれ程大きくないだろう。
そもそも、普通と変わり者でキレイに分けられるモノで無いと言うならなおさらだ。
仮に普通と変わり者で分けた場合、比率で言ったら、そもそも世の中には変わり者がそれなりにいると考えられる。
そんな中で、真の“普通”と言うのは、どちらかと言うと半分変で半分普通と云う位が本当の意味での“普通”になるのではないかと考える。
誰かの歌にもあったが、皆が考える普通って真ん中よりちょっと上なのかもしれない。
ただ、統計的にみて“中間”と云う意味での“普通”は、ちょっと変な位の方が“普通”なのではないかと考える。